Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://kosumosunikimito.blog9.fc2.com/tb.php/100-549b6954

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

永遠の青春を謳う 「交響詩 銀河鉄道999」中篇

東京オリンピックが開催されることになったそうだ。
ところで、福島第一原発の汚染水の流出はどうなるのだろう。
東電はこの事実を隠蔽していた。何度も否定してようやく認めた。
あるいは本当に気づく能力がなかったのか。
政府は何をしていたのか。そして、何をするのか。
「首相があんなことを言ったら、ますます東電は本当のことを言わなくなる」
って・・・・子供ですか。「本当のことを言わなくても」済むんですか。
誰がやるとかしないとか、誰が金を出すとか出さないとか。
そんな悠長なことをしている場合なのか。
と、いうか、平成23年3月14日、原発が水素爆発を起こし、全国を「このまま日本は放射性物質に汚染されてしまうのではないか」という恐怖が飲み込んだ時よりも、より深刻なのではないのか。止血したと思っていた動脈から、今もだらだらと出血が続いているのに、今度はただボウッとその様を眺めているだけではないのか。
政府からも東電からも、国家存亡という気持ちも覚悟も感じられない。
責任問題とか、非難の応酬をするよりも前に、直ちにできることを確実に行うしかない。
TVの報道者も「これは海外にすぐに援助を頼むべきではないのでしょうか」と意見しているけど正にその通りで・・・・でも、物事は何も進んでいるようには見えない。
でも、報道もどこかあきらめたようにポソリポソリとしか報道しない。
「人間は自分が見たいと思うものしか見ない」
もう、取り敢えず原発のことは見たくも考えたくもない、オリンピックのことを考えよう、と、いうことなのだろうか。
かくいう僕も、あの時と同じ。何をする能力もなく、自分の仕事を片付けることのみに汲々としている。僕もまた、流れ続ける血を阿呆のように眺めているだけなのだ。


(承前)

第4曲「“テイキングオフ!!”銀河の彼方へ」はゴダイゴの挿入歌「テイキングオフ!!」と、これを青木が管弦楽に編曲した音楽で構成されている。
この映画の中盤は、土星の衛星タイタン、冥王星、惑星ヘビーメルダーと舞台を移していくのだが、この曲は地球を旅立ってからタイタンに到着するまでの場面で用いられた。
ゴダイゴの挿入歌については繰り返し語る必要はないだろう。ここでは、青木が施した編曲に注目したい。
元々、「テイキングオフ!!」は耳に馴染みやすく、歌いやすい名曲である。
あまりにくせがないため、この歌の美しさに気づかないまま、つい聞き流しかねない。
ところが、青木が施した編曲を耳にすると、「何と美しい旋律なのだろう」とはっと思い知らされるのだ。
このレコードではゴダイゴの歌う「テイキングオフ!!」が次第に消えていくのと入れかわりに、さざ波のように静かに、心地よく、ヴァイオリンがささやき始める。笛のしとやかなさえずりが加わるとともに、次第にヴァイオリンのささやきは高まり、瑞々しい響きで「テイキングオフ!!」の旋律を歌いだすのだ。
そのささやきは清冽で心地よい。南国の波打ちぎわ、あるいは清流のせせらぎを思わせる。
とても耳に心地よい。いつまでもこの流れに心地よく浸っていたくなるほどだ。
だが、音の風景は流れるように変わっていく。次はオーボエ(※1)たちが「年老いた大地を~」のくだりを歌いだす。なんと柔らかい音色だろう。ヴァイオリンとの瑞々しい音質とのさりげない対比の妙が、知らず、僕を引き込んでいく。
そして「さあ 飛び立て」のくだりまで歌い終えると、ヴァイオリンやホルン、トライアングルが一斉に「I'm leaving, I'm flying I'm taking off to the unknown」の旋律を高らかに奏でる。光の飛沫が飛び散るようだ。


-「テイキングオフ!!」って、こんなにきれいな曲なんだ。
ゴダイゴの歌を聴いただけでは見過ごしてしまいそうな、この曲の美質をくっきりと浮かび上がらせており、まさしく編曲者:青木望の面目躍如たる技と言えよう。
個々の楽器の個性を際立たせる手腕が素晴らしい。青木は、その楽器を最も美しい姿で響かせようとしているように、僕は感じられる。
女優を最も美しく取ろうとする撮影手のように。

曲は2巡目にはいり、ホルンが「若さが光を追いぬき 走り続ける」と歌い始める。
ここでもホルンの音の個性がたっている。そして、やはりオーボエが後を継ぐのだが、一緒に歌っている楽器は何だろう? 微妙な色合いの変化をつけている。
曲はまた複数の楽器の合奏を繰り返し、しめやかなヴァイオリンの調べでしめくくられる。

第5曲の「氷の中のレクイエム」は、冥王星の場面の背景に厳かに流れていた。この曲も前後にわかれた二部構成になっている。
前半は男女混成合唱による無言歌が主役だ。ひっそりと歌いだすのだが、レクイエム(鎮魂歌)に相応しい、厳かで、どこか悲しげな旋律なのである。唸るようにつぶやくように、男女の声が言葉もなく、氷の世界に響く。
物語では、冥王星には氷の墓場がある。その風景の寂しさ寒々しさを、余すところなく表している。
だが、ここで歌われているのは現実の世界ではないのかもしれない。男女の合唱は、彷徨える人々の魂の声なのだろうか。
歌は最初は静かだが、広大な墓場に眠る無数の魂のことを訴えるかのように、ひとしお声を高め、強まっていく。
が、それも束の間、行き場を失ったかのように、霞んで消えていくのだった。

合唱が終わったあとは、ハープ(だと思うんだけど)の音が時を刻むようにポロポロと、つつしまやかに流れてくる。そして、オーボエが合唱と同じ鎮魂の旋律を奏でるのだが、残響控えめの録音調整のせいでもあるのだろうか、合唱に比べて音の輪郭がくっきりしている。
魂の気配が消え、視界の霧も晴れて、氷の墓場全体がはっきりと見えてきたかのようだ。
合唱が彼岸の世界、魂の世界を歌っていたのに対し、ここからは現実の世界であることを、さりげなく演出したのだろうか。
だが、寒々しいことに変わりはない。オーボエとフルートの響きはどことなくロシア民謡っぽくも聞こえる。続くヴァイオリンの高音も、凍てついた感覚を更に強めていく。(※2)

後半は弦楽器の合奏が主役だ。最初に強く、ため息をつくように音の強弱をつけ、「ああ、私は・・・・!!」という、悔やみとも嘆きともとれるような旋律を、弦楽器たちが激情を抑えながら、しかし、時に爆発させて奏していく。
永遠の生命を手にいれながら、機械の身体では元の生身の肉体の美しさを超えることができないと葛藤に苦しむ、冥王星の墓場の番人であるシャドウ、あるいは、永遠の時を生きながら、無数の若者の生死を見つめ続けてきたメーテル、これは二人の「嘆きの歌」なのかもしれない。


第6曲「可憐な少女 ガラスのクレア」は、愛らしい、素朴さが心に残る名曲である。
ガラスのクレアはその名の通り、ガラスの材質の身体を持っている。
ディズニーランドの店舗でガラス細工で作られたミッキーマウスなどが販売されていたのを思い出す。いずれもそれなりに高額な商品だった。しかし、ガラスの輝きは美しかった。
ガラスのクレアも、「母親が見栄っ張りで」一般よりも高額なガラス細工の機械の身体を授けられたのだという。
しかし、クレア自身は、美しいとされる機械の身体を厭い、生身の、普通の肉体を取り戻したいと願っている。
(母)親と子供の確執は、「銀河鉄道999」の影の主題であるが、それはここにも影を落としている。
ただ、ここで僕は、クレアという無垢な愛情を持つ存在と、それを明解に描写した青木望の歌心の素晴らしさを讃えたい。
青木はクレアの無垢で純情な心を、オカリナ(だと、思うんですが・・・)の素朴な音色に託した。クレアならば、この響き-青木の視点が、感性が先ず、素敵だ。


クレアという人間を描くとして、どの楽器を主役に据えるか。
ここは創造主であり、現場責任者でもある作曲家の腕の見せ所だろう。
音色次第で素朴にも、妖艶にも変わる。どんな楽器でどのように描写するかによって、クレアという少女の性格が定まってしまう。「クレアとはこういう女性なんです」という人間性そのものが決まってしまう。
そもそも素朴さといっても十人十色だろう。さあ、どうするか。
それを、青木はこの音色で勝負した。(※3)
愛らしく、柔らかく、しかし芯のある響き。原作を読んで既にクレアのことを知っていた僕だったが、初めてこの曲を聴いた時、即座に「ああ、クレアの音楽だ」と得心できたはずだ。僕は、これぞクレアの音だと感じたはずだ。
この音色、そして、この旋律。
銀河のトンネルの中でふわりと浮かび上がるクレアの放つ光。そのほのぼのと温かい光の如き、優しげな旋律。
僕は、この旋律を聴けば、即座にクレアのことを思い出す。
それくらい、この曲は微塵の違和感もなく、クレアの存在にはまっているのだ。
一度聴いただけで、クレアに会ってみたくなるのだ。
でも、そのクレアも物語の終盤で命を落とすのだった。

第7曲「時間城へ」は、中盤の大詰めである鉄郎と機械伯爵の決戦場面で使用された。
最初はファゴットか何かの低音木管が物々しい気配を漂わせて歌いだす。
しかし、それに続く弦楽器たちの合奏は、どこか薄暗さを漂わせながらも華やかさも秘めている。おどろおどろしさと華やかさが同居しており、日本風の怪談ではなく、洋館に繰り広げられる幽霊たちの宴のようだ。喜遊曲(ワルツ)風なのである。
だが、そんな賑やかさもすぐに過ぎ去り、忍び足で暗闇を彷徨うような曲調に変わる。その音楽も次第に緊張感を高めていく。
ここら辺は時間城の中を、鉄郎が宿敵・機械伯爵を探し求める場面の緊張感によくあっていた。
遂に機械伯爵と邂逅、一時は敵に囲まれて危機一髪となるが、盗賊アンタレスの加勢を得て、逆に機械伯爵を追い詰める。
ドラムの連打とホルンの咆哮が、戦いの火ぶたを切って落とす。
タンタンタンタン・・・と鉄郎が駆ける様子を映し出すように拍子が刻まれる。ここはドラム、ベースとジャズの楽器の拍子にヴァイオリンのピッツィカートが合わさり、更にホルンが合いの手を入れる。
曲としては脇役なのだが、中盤の雰囲気を引き締める技が光る。
最後はショスタコーヴィチ交響曲第5番の冒頭のような、ヴァイオリンの高音による緊迫感一杯の響きで締めくくられる。



さて。
第8曲に移る前に、「交響詩銀河鉄道999」のただ一つの瑕疵について触れておきたい。
「神がかり」と僕が呼ぶこの音楽集だが、劇中で表しがたい切なさを醸し、強い印象を残した名曲を収めていないのだ。
それは「やさしくしないで」。歌詞:中原葉子、作曲:中村泰士、歌唱:かおりくみこの布陣の歌だ。

何がほしいというの
わたし それとも愛
翼いやす鳥たちも
わたしを欲しいと騒がしい
壊れたおもちゃ箱を 子供みたいに
かかえこんで 涙ぐんで
それでどうなるの

「やさしくしないで」歌詞
EP画像はこの中古店のHPで

一番の歌詞を記した。劇中、機械伯爵の拠点である時間城に潜入する前の場面で、ヘビーメルダーの酒場で鉄郎が偶然、耳にした歌だ。
機械伯爵の愛人リューズがギターで弾き語りするのだが、この歌詞は中学生の僕にさえ、言葉にできないもの悲しさを感じさせた。
これは本来、大人の歌だ。生き続けて、挫折や失敗、どうにもならないことを経験した人生の果てにある、思い出にふけりながら悲しみを噛みしめる人々の心情を綴ったものだ。
二番では「誰でも昔話 一つや二つ 大事そうに語るけれど それでどうなるの」と口ずさむ。とても優しい口調なのに、なんと残酷なまでに突き放した言葉だろう。
人生そのものの切なさ、大人になればやがて、思い出にひたるよりない時があるのだということを、この歌は中学生の頃の僕に語りかけていた。
そして、最後の「誰でも昔話 一つや二つ 大事そうに語るけれど それでどうなるの」という語りは、たぶん、僕の心のどこかに鍵のようにひっかかっている。
思い出にふけりそうになっても、浸りきれず、その手前でやめてしまうのは、「それでどうなるの」という言葉が僕にかけた魔法なのかもしれない。



この歌を編曲した音楽が、時間城崩壊の場面で流された。曲の冒頭はオカリナとリコーダーが切々と歌い始めるのだが、「ガラスのクレア」とは趣が全く変わり、音に哀愁が溢れんばかりに含まれている。潮風を吸った時、潮の香りで胸がいっぱいになるように、この曲を聴くと心が切なさでいっぱいになる。
歌の部分はギターがポロポロと、涙をこぼすように奏でていく。
時間城が崩れていく。
赤く錆びて、がれきとなり、滅んでいく。
それは人生の終わりを暗示しているかもしれない。
無限の命を誇ったはずの、機械化人たちに英雄と讃えられたはずの、機械伯爵。
だが、彼の人生にも、死という終焉が襲いかかってきた。
永遠の命のはずだったのに、機械伯爵ですら死はまぬがれない。
人は、いずれ、必ず、死ぬのだ。
そんな絶対の、自然の摂理から逃げようとした機械伯爵を、嘲笑うでもなく、叱るでもない。ただ、傍らにたたずみ、見守りながら自分も消えていこうという、これもまた鎮魂の曲である。
「伯爵を撃たないで‐私はそう願っていたのよ。でも、いいの、これでいい」
機械伯爵の愛人として、言われるがまま、その愛情を求めんがために己の身体をおもちゃのように改造させられたリューズ。
機械伯爵を裏切ったはずなのに、それでも隠せない愛情。
機械伯爵のどこがよかったの? こんな冷酷で傲慢で身勝手な男のどこがいいというの?
でも、そんなことは他人が決めることではない。
たぶん、彼女はこういうだろう。
好きになってしまったものは仕方がない-と。

「時間城の章」は「やさしくしないで」に始まり、「やさしくしないで」で締めくくられた。この名曲はさりげなくも「時間城の章」の主題曲となっている。
ところが音楽集に収録されなかった。恐らくこの歌、この曲だけが青木やゴダイゴとは別の方々の手によるものだったからだろう。
要するに、印税の配分が複雑になるからだったのではないかと僕は考える。
「やさしくしないで」を収録すれば、中原葉子、中村泰士、かおりくみこにも当然、印税を支払わなければならなくなる(契約にもよるだろうが)。すると、青木とゴダイゴへの配分が減る。
念のために記すが、別に悪意や意地悪で排除しようというわけではなく、「このレコードは、青木とゴダイゴのもの」という予定で製作されたということなのだろう。
そもそも、当時、人気絶頂のゴダイゴの歌を劇判集に収録しただけでも快挙と言えよう。「さらば宇宙戦艦ヤマト」ですら、沢田研二歌唱の「ヤマトより愛をこめて」を劇判集に収録しなかった(できなかった)のである。
21世紀ともなれば、TV作品でさえ劇判集に主題歌を収録することができなくなった(そもそもそういう発想もなくなった)。
そういう事情を考えれば、「大人としての」僕は「仕方ないよねえ」と呟くしかない。
それでも、画竜点睛を欠いた印象は否めない・・・。

作詞の中村葉子は中原泰士と組んで他にも「それぞれの原宿」(ロス・インディオス&シルビア)を手掛けている。
ところが、彼女の作詞で検索できたのは「やさしくしないで」と「それぞれの原宿」の2曲のみ。本来、彼女は作詞家ではなく歌手なのだ。代表作で有名なのは「赤いドレスの踊り子」だ。
略歴はウィキペディアにもないが、下記のブログに簡潔に記されている。
井口啓三のサウンドblog
さて。ここで謎である。なぜ、中原は「やさしくしないで」を担当したのか。
作詞をしたのは恐らくわずか2曲。
しかも1曲はアニメ映画用。
究極の佳作なのに、できた歌詞は超逸品。
どうして中原だったの? どうして「銀河鉄道999」だったの? どんな人の縁があったの?
この疑問だけでも当事者に取材しまくりたくなってしまう。

中原の歌詞を支えた中村泰士は歌謡曲、演歌界の大家である。何といっても僕でも知っている大人気曲「喝采」や「北酒場」(※4)を作曲しているし、昭和40年代のアイドル桜田淳子の歌も阿久悠と組んで多数手掛けている。そんな中村による「やさしくしないで」の音楽の骨格は、演歌そのままといってよい。
ウィキペディア:中村泰士
音楽工房 泰士
昭和54年当時、既に中村は大御所と呼ぶに相応しい業績を残していたわけだ。
なぜ、青木望とゴダイゴの世界に、異質ともいえる中村の音楽を持ち込んだのか。誰の発案だったのか。
もちろん、中村の参加は「銀河鉄道」の世界に「大人だけが知る、生きることの哀しさほろ苦さ」の色合いを含ませることとなり、世界観に更なる奥行を与えることに大成功した。
この映画に関しては、企画者の思惑が全てツボにはまりまくって、こうして35年を経て顧みても「なしてこんなに全てうまくいくとですか!?」と関心至極するばかりなのである。
やはり、「奇跡の映画」だったのだ。

・・・と、青木望の世界から横道にそれたが、この項続く。

※1)違っていたら、ごめん。オーボエとクラリネットの音色の違いがわからない人間です。
※2)ショースタコビッチという旧ソ連の作曲家も、やたらとと言っては何だが、「高音さざ波」攻撃を好み、その音楽の「凍てつき感」「冷え冷え感」は只ならぬものがある。あまりに凍てつきすぎて、スパスパッと肌が切れてしまいそうになる(妄想の中では)。旧ソ連のしかもスターリンなどというヒットラーに勝るとも劣らぬ残酷な独裁者によって、知己が次々と粛清(殺戮)されていく中で、生き延びながら作曲を続けた男の慟哭とも、絶望とも感じられてしまう。というわけで、彼の交響曲は聴いているのがなかなかにしんどいものが多い。有名な第5番交響曲などは別として。
※3)オカリナ+リコーダーという意見もある。
http://j-ken.com/category/all/data/654813/
※4)60~70歳代以上にはね。僕は高校生の頃だった。でも、「喝采」はその歌いだしの旋律と強弱が独特で耳に残るし、「北酒場」もほんのり人情の温かい居酒屋気分が溢れたいい曲だ。



スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://kosumosunikimito.blog9.fc2.com/tb.php/100-549b6954

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

コスモスに君と

Author:コスモスに君と
FC2ブログへようこそ!

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。