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永遠の青春を謳う 「交響詩 銀河鉄道999」後篇


(承前)
いよいよ物語も終盤である。ここからの音楽たちは、時に優しく、時に勇ましく、時に眩いほどに華々しく-そして、甘く切なくも、美しく終わる。

第8曲「愛の目覚め」は、クライスラー(※1)のごとき甘く切ない旋律を、絹のような響きでヴァイオリンが奏でる曲だ。第3曲でも流れた「愛と惜別」の旋律であり、第12曲でこの映画を締めくくる役割も果たしている。1分40秒と短い曲だが、旋律の美しさが耳に染みる。

さて、第9曲「心の詩とアルカディア号」は、僕が聴いてきた中でも最高にかっこいい曲だ。かっこよさというものは、個人の好みでどうとでも変わってしまうことは承知の上、これ以上にかっこいい曲というのが、僕にはちょっと思いつかない。強いて言えば、「戦闘メカザブングル音楽集2」収録の「ウォーカー・ギャリア」くらいだろうか。


前半はハーモニカの哀愁のこもった唄が流れる。機械伯爵を追いながらも病に力つき、ヘビーメルダーの地で鉄郎に看取られながら、アルカディア号の魂へとトチローが昇天する場面に佇んだ曲である。
クレアのくだりでも述べたが、青木がここで口ずさんだ歌には、柔らかくも哀感が満ち満ちており、まさにトチローの面影が宿っている。
一歩々々、踏みしめるような唄だ。夕陽が目に染みるような唄だ。
ここまで生きてきて、ふり返ってみれば、色んな事があった人生だった。
そんなトチローの声が聞こえてくるような唄なのだ。(※2)
青木望、最高である。
流浪の日々を送ったトチローに、ハーモニカの音色(ねいろ)ほど相応しいものはないだろう。寂しげだが、優しみのある旋律は、赤い沙漠の大地で命を終えるトチローの人生を、何よりも語ってくれているように思える。
トチローの魂であるハーモニカを愛しげに囲むように、ヴァイオリンが同じ旋律を奏でる。
ハーモニカの唄が僕の心にも染み込んできて、つい、聴き惚れてしまう。
トチローが昇天するとともに、ハーモニカの唄も、末期の息のように弱まっていく・・・。

その時だ!
突如、風がうねるがごとく、竜巻のような合奏がギュギュギュッと湧き上がる。
あまりの劇的な変化に、何事か!?と思いきや-
ティンパニがノッシノッシと重々しく連打され、吹き荒れる砂塵を物ともせず、雄々しく、誇り高い海賊船の勇姿が現れた-
トチローの命の盟友、キャプテン・ハーロック率いるアルカディア号の出現だ。
キャプテン・ハーロックを出迎えるように、ブラスたちが威風堂々の行進曲を吹き上げる。
血、湧き、肉、踊る。
まさにハーロックの、アルカディア号の唄だ。
弦と管に次々と引き継がれる行進曲は、短いながらも呆然とするほどにかっこいい。
以前にも触れたが、静と動、死と生の対比が劇的な効果を生み出している。
しかも、終わり方が単純ではない。さあ終ろうと一度は音階が下がろうとしながら、急に音階をあげ、ブラスたちがダダダダダッと荒々しく強奏してブチッと終わるのだ。まるで海賊どもの雄叫びのようだ。
この終わり方、コード進行というのだろうか、その常道をたぶん外している。
「テイキングオフ!!」でもそうだったが、青木はお定まりのコード進行を捨てて、音楽を綺麗に終わらせるよりも、連続漫画のように「引き」の要素を持ち込んでいると、僕には感じられる。
ダダダダダッと唸りをあげるブラスたち。さあ、いよいよ最終決戦、惑星メーテルに殴り込みだ!!と檄を飛ばすハーロックの声が聞こえてくるようではないか。
この曲は、たったの2分3秒の時間の中に、トチローとハーロックの生き様を、彼らの人生の一瞬を凝縮してしまったのだ。この曲はトチローとハーロックの伝説を永遠に語り継ぐ唄なのだ。
繰り返す。青木望、最高である!!


いざ、最終決戦である。
遂に、鉄郎は終着駅に降り立った。構内放送が駅の名前を伝える。
「惑星メーテル」
鉄郎は驚愕する。
「なぜ、君の名前と同じなんだ!?」
その星は機械化人たちの拠点であり、機械化人の女王プロメシュームが治める機械化母星だった。
メーテルはプロメシュームの娘であり、機械化人世界の王女であり、惑星メーテルの分身だったのだ(※3)。鉄郎をこの星の「生きた部品」に改造するために、メーテルはここまで彼を連れてきたのだ。
鉄郎はまたも危機に陥るが、メーテルの父親であり、プロメシュームの夫であり、機械化人に反旗を翻し、機械化母星を破壊するために潜伏していたドクターバンの加勢を得て、機械化母星の急所を破壊することに成功した。
惑星メーテルの崩壊が始まった。
崩壊と同時に「男には負けるとわかっていても戦わねばならない時がある」と駆けつけたアルカディア号、そして愛するトチローを看取ってくれた鉄郎を救おうと駆けつけたクイーンエメラルダス号が、機械化人の軍団と華々しい戦闘を繰り広げる。
第10曲「惑星メーテル」は、この最終決戦の場面に、華々しさのみならず、陶酔感すら注ぎ込んだ豪華絢爛たる曲だ。
前曲の「心の詩とアルカディア号」が終わり、僕の心は期待が頂点に達していた。次にくるのはどんな勇壮な音楽か。そんな状態の僕の耳に、不意打ちのように飛び込んできたのは、華麗で陶酔に満ちた音の奔流だった。
チューバの低い唸りとティンパニの連打が盛り上がり、ハープが舞台の幕を切って落とすと、女性合唱が艶やかに歌いだす。弦が絹のような響きで背景を支える中、エレキギターの色気すら感じるなまめかしいまでの音の舞いが加わる。
極彩色の音が乱舞する、と言えばよいだろうか。
このエレキの舞いはサロメ(※4)の舞いもかくやと言わんばかりの滴るような色香に満ちている。
ひとしきり舞い踊ったエレキが退くと、ハープが第2の幕へと移る合図を送る。
第2幕は弦合奏と管合奏が交互に歌う大掛かりな二重奏だ。ひたすら弦と管が同じ下降音階を奏で続ける。少しずつ変奏を加えていくのだが、この音の繰り返しに浸っていく内に、聴く者はいつしか響きに酔いしれていく。
陶酔の世界に誘われていくのだ。
気が付けば、女声合唱の女神たちがまた舞い降りている。ともに歌うパーカッションの響きも情熱的だ。
寄せては返す音の波間に心が溶けていくようだ。忘我の境地に到ろうかというところで、夢が途切れるように、ふっと曲は終わるのである。
三度、繰り返す。青木望、最高である!!!

「心の詩とアルカディア号」の後でこの曲が始まると、世界が急に変わってしまう。
突然、広大な光渦巻く世界に投げ出され、この世のものならぬ劇的かつ華麗な舞台を見せられたかのようだ。
この場面転換の鮮やかさ。
「交響詩銀河鉄道999」は、曲の中だけでなく、曲と曲同士の間でも対比が鮮明で、故に前後の曲がともども強い印象を残すことに成功している。
「惑星メーテル」の基本的な音の色合いは華麗なる舞台(ショー)向けだと思う。
宝塚歌劇や、様々な舞踏、マジックの舞台などの音楽が連想される。
どこかで聴いたことがあるようでいて、しかし、こんなにしっかりとそれらしく聴かせてくれる曲が他にあるかと言えば、ありそうで意外と見当たらないのである(※5)。
クラシックの楽器を使いながら、パーカッション、ドラム、エレキギターと異質な音を加え、情熱的な音に仕上げている。(※6)
音が渦のように渾然一体になっているかのようでいて、しっかりと各楽器の個性を際立たせている音作りが見事だ。

当然ながら、「惑星メーテル」に魅せられた人々がいる。
例えばある人は、「この曲はマーヴィン・ゲイの『Mercy Mercy Me』とかにとっても似たフィーリングを持つ」と評している。
もまきゅ 歌心=猿心 2010/6/10
「Mercy Mercy Me」は昭和46年(1971年)ベトナム戦争(1960年~1975年)を社会的背景とした時代に発表された歌だ。題名の意味は「神よ、お許しください」というところらしい。
Yahoo知恵袋
Julia Lunaの魂の磨き方
ベトナム戦争、公害問題、様々な社会の腐敗、暗部に対する哀しみを綴ったものらしい。
この歌で度々繰り返される「Mercy Mercy Me」という言葉に託された旋律が、どことなく「惑星メーテル」の主旋律に聴こえないこともない。
深読みすれば、青木が「Mercy Mercy Me」を土台にしたメーテルの懺悔の曲として「惑星メーテル」を作曲した・・・という見方もできる。


他方、こんな記事も見つけた。
「『惑星メーテルのテーマ』という曲があるのだが、今日、たまたまiPodをシャッフルで聴いていてとても似た曲を発見して驚いた。
それはシルヴェッティの1976年のアルバム『World Without Words』に収録の
「Silvia's Picture」という曲。」
good time graphics シビレさせたのは誰?
ピアノ独奏が中心の曲だが、確かにこの曲の方がより華麗な「惑星メーテル」を彷彿とさせる。
Bebu Silvettiの曲はマーヴィン・ゲイとは180度異なる、どこまでもお洒落な雰囲気を醸しだすことを目座している。ただ、「World Without Words」の中でもこの「Silvia's Picture」だけが突出して詩的な空気をまとっており、レコードの中でも特別な雰囲気を感じるのだが。


触発を受けた音楽がいづれであったとしても、「惑星メーテル」からは、この曲からしか感じ取れない独特の色気を感じる。
今もって、アニメ音楽史上、最高の曲の一つなのである。

第11曲「銀河に散ったクレア・・・涙」は惑星メーテル崩壊後、戦いの残り火が消えていく様をしめやかに彩った。
クレアは鉄郎の命を救うため、自分を犠牲にする。ガラスのクレアは砕け散り、涙の形となった無数の欠片となる。
冒頭、星屑のような鈴の音がこぼれる。
ポロン、と鳴ったピアノの音は、天に召されるクレアの魂を表したものか。
クレアはもういない。魂となって天に昇っていくのであろう(※7)。ヴァイオリンが優しく、静かに、ゆっくりとクレアの旋律を歌い始める。やがてトランペットも哀感を込めてクレアの旋律を歌いだす。
それらは美しくも悲しい、鎮魂の歌である。クレアの笑顔が見えてきそうで、でも、もう手の届かない世界に旅立っていく姿しか見えず、涙で視界がかすむような、そんな歌だ。
高みへと昇っていくクレアを見送るための歌が最高潮を迎えると、また、灯が消えるように静かになる。ハープの音は灯を消す風の音だろうか。
一陣のヴァイオリンのもたらす風が吹きすぎ、第2曲で登場した鉄郎の旋律が、今度は深い悲しみに包まれて流される。
様々な思いが走馬灯となって駆け巡るのだろうか。気持ちの揺らぎを示すように、一歩一歩、踏みしめるような足取りで、前の楽章で流れた旋律が憂いを帯びて繰り返される。
それは多分、それまでの人生と、メーテルとの銀河鉄道の旅を振り返る、鉄郎の心情を表現しているのだろう。
フルートが鉄郎の主題を静かに歌う。たくさんの仲間を彼は失った悲しみ故か、寂しげだ。
だが、オーボエの温かな響きが鉄郎の主題を引き継ぐと、急に陽射しが差したような輝きが芽生え、明日につなぐ希望を感じさせる。
戦いは終わった。さあ、次の人生を始めよう。
そんな期待をこめるように、光が周囲にたちこめるように、音階をあげて、曲は終わる。

「終曲‐別離そして新たなる出発」は別れの哀しさを秘めながらも、爽やかなすがすがしさに満ちた曲だ。
地球に戻った鉄郎とメーテルだが、二人には別れが待っていた。
機械化母星メーテルは、無数の若者をだまし、彼らの肉体を改造して作った、「魂を持った」部品でできあがった人工の星だった。星一つを築くのに、どれだけの若者が犠牲になったことだろう。どれだけの年月が過ぎたことだろう。
何もかも忘れて、鉄郎と暮らすには、メーテルが背負った原罪は途方もなく重いのだ。
だから、二人は一緒にはもういられない。
永遠の時を生きるメーテル。
限られた命を精一杯に生きる鉄郎。
二人の別れるのが必然なのだった。
その別れを、「愛と別れの歌」が柔らかく、温かく、愛しむように包む。
幾度、聴いても優しく、美しい。

映画公開当時、次のような紹介記事を読んだ記憶がある。
「銀河鉄道999」の作画作業は、この鉄郎とメーテルの別れ、つまり最終場面から開始されたのだという。
というのも、アニメ映画の製作進行は、あたかも避けられない運命であるかのごとく、予定より大幅に遅れるものであり、日程がせっぱ詰ってくると、どうしても作画にも粗が出てきてしまう。
製作関係者たちはこの別れの場面の作画が乱れることは何としても避けたい気持ちで、真っ先にこの場面から作画を開始したのだという。
そんな製作者たちの丹精込められた画面に、野沢雅子と池田昌子が命を吹き込んだ。二人の一世一代といってもよい声演(※8)は、映画の中の鉄郎とメーテルに、まさしく「永遠の命」をもたらした。

「愛と別れの歌」が流れる中、メーテルは999号に乗り込んだ。
いよいよ別れの時である。
999号は遂に発車する。
車窓のメーテルの姿が遠ざかろうとする。
「メーテル!!」
叫びとも泣き声ともつかない声を鉄郎があげるとともに、「愛と別れの歌」もいっそう強く、高らかに歌いあげられるのだった。
メーテルを乗せて走り去ろうとする999号を追いかけながら、鉄郎(野沢)はメーテルの名を何度も何度も、ただひたすら、呼び続ける。
メーテル!
ただそれだけの短い言葉に、野沢は悲しみも感謝も寂しさもことごとくを詰め込んだ。
野沢は全身全霊の声演で、観る者の心にメーテルへの鉄郎の想いを刻んだ。(※9)

彼方へと、彼方へと、小さく消えていく車窓のメーテルの姿。
駅の長い長い歩廊を駆けていく鉄郎。
999号が空へと舞いあがり、やがて見えなくなる。
メーテルを見送るように、「愛と別れの歌」も、静かに幕を下ろすように、終わるのだった。

そして、メーテルを見送った鉄郎は踵を返し、未来に向かって走り出すのだ。
「Galaxy express 999」の輝かしい歌声とともに。

繰り返すが、「交響詩銀河鉄道999」は邦画、洋画を問わず、最高の映画音楽集の1枚なのだ。
情景音楽、描写音楽としても一級品だ。わかりやすく、親しみやすく、十分に大衆性がありながら、その一方で何度聴いても飽きない音楽の性格づけがされており、表現している場面と楽器の個性が見事に適合している。
何と言っても、この音楽は「聴く者の心に残る」音楽なのだ。
そして、35年の時を経ても、なお色褪せていない。古臭さが全く感じられない。
これは、日本のアニメ文化が残した金字塔の一つなのである。

※1)フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler, 1875年2月2日:ウィーン - 1962年1月29日:ニューヨーク)は、オーストリア出身の世界的ヴァイオリニスト、作曲家である。後にフランスを経てアメリカ国籍となった。ユダヤ系。(ウィキペディアより)。甘くも美しい旋律に満ちた、ヴァイオリンのための小曲を多数作曲した。自身もまた素晴らしい音を紡ぎだす演奏家であった。彼の曲は世界中で今なお、この瞬間にも奏でられていることだろう。
ウィキペディア:フリッツ・クライスラー



※2)それでも、享年は40歳前後か。僕よりも若い。僕は少年期の英雄の年齢を追い越してしまった。
※3)今の時代なら、差し詰め「人格を付与された端末」ということにでもなるのだろうか。
※4)リヒャルト・シュトラウス作曲の歌劇「サロメ」。その見どころは佳境で繰り広げられる主人公サロメの舞い。古代、まだキリスト教が異端とされた時代のある国で、布教者であるヨハナーンは犯罪者扱いで捉えられていた。国王であるヘロデ王は、義父でありながらサロメに肉欲を感じており、サロメに何でも欲しいものがあるなら与えるからと、いやらしい踊りを求める。求めに応じたサロメが欲しがったのは、ヨハナーンの首。サロメはヨハナーンが語る布教の話を聞いていたが、キリスト教関連のお話はすっぱりと聞き流して、「男としての」ヨハナーンに魅せられていた。でも、キリスト教命のヨハナーンはサロメの誘惑など一切おかまいなしの朴念仁。業を煮やしたサロメは死体でいいから、首だけでいいからヨハナーンとキスをしたい、だから自分に欲情しているヘロデ王に色気たっぷりの踊りを見せて油断させ、ヨハナーンの首を切らせることに成功した・・・って、おしとやかでお行儀がよいと錯覚されている歌劇だが、実は過激(・・・ベタでごめんなさい)極まりない。現実においても演出家によっては若い別嬪の歌手にストリップ同然の演技をさせたりする。


※5)You tubeで検索してみたが、「惑星メーテル」の響きに似た曲というのが、ありそうでない。主文で紹介した、触発を受けたかもしれない2曲にしても、旋律は別として曲の作り自体は全く違う。他にありそうでない華麗さ、ここに青木望の独自性が強く出ているのだろうか。「デス・ファイト」みたいな曲だ。
因みに、前回、「やさしくしないで」を「交響詩銀河鉄道999」に収録しなかったのは、印税の配分がややこしくなるからではないかと勝手に推測してみた。ところが、「やさしくしないで」のEPレコードのB面に、この「惑星メーテル」が器楽曲でありながら収録されていたのだ。前回紹介したHP画面の外装写真をみて欲しい。
どーゆーことなのか? 「やさしくしないで」の劇中で使用された編曲版でいいじゃないか。作曲者違うのに・・・。また、当事者に聞きたい謎が増えてしまった。
※6)因みに腹巻猫さんのサントラ千夜一夜に記載されているが、「ドラムス・石川晶、Eベース・江藤勲、Eギター・直居隆雄という当時最強のプレイヤーがリズムセクションとして参加している」のである。このレコードの録音後、ほどなくして石川と直居は「イデオンⅠ」に参加するのである!!
※7)念のため。映画にそんな場面はない。僕の妄想語りである。
※8)あまりしたくはないが、造語である。
※9)この映画の声演収録については、ウィキペディアにもあるように、有名な逸話がある。
「ラストの鉄郎とメーテルが別れるシーンは、収録の際、野沢・池田共に感極まって泣き出し、他のスタッフももらい泣きしてなかなか進まなかったという」。これまで僕もまた、この文章の表現そのままに受け止めていた。
しかし、待ってほしい。野沢も池田も、「演技者」なのだ。
演技者が「泣く」ということは、野沢を通して「鉄郎が」泣いているのであり、「野沢が」泣いているのではないのだ。この二人の別れを実在化させるために「必要な演技だから」野沢は「鉄郎となって」泣いたのだ-という、視点が欠けている。まあ、本当に「野沢さんが」泣いちゃったのかもしれないが、僕は声優とは、「全身を使った表現を全て声に凝縮した演技を行う人」と、捉えたい。声で演じる、声演するということは、「声で○○の真似をしてみせる」ということではない。
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