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登場、高橋留美子と押井守

HPVワクチンを巡る状況については、また触れなければならない。



高橋留美子は稀有の作家である。
昭和53年(1978年)「勝手なやつら」で少年サンデーに初登場し、いくつか中短編を発表した勢いで、その年のうちに一気に「うる星やつら」の連載を開始している。
昭和55年(1980年)にはビッグコミックスピリッツに「めぞん一刻」の連載を開始。「うる星」と併せて大好評を博し、漫画界を代表する人気作家の仲間入りをした。

彼女の凄いところは、新陳代謝の激しい漫画界において、平成26年(2014年)現在にいたるも、第一線の作家の立場を維持していることだ。
少年サンデーでは「うる星やつら」「らんま1/2」「犬夜叉」「境界のRINNE」とほぼ途切れることなく連載を継続している。
これからの時代、週刊少年誌の連載を30年以上も続けられる地力を持った作家がどれだけいるだろうか。
また、「境界のRINNE」の評価はまだこれからだろうが、それ以外の連載作品は全てが代表作と言えるだけの人気を獲得している。
平成の時代、少年週刊誌の世界で代表作をいくつも持つことは至難のわざだろう。
更に高橋の凄いところは、過酷な少年誌連載を続けながら、「人魚の森」連作や「1ポンドの福音」を並行して発表し、更には短編作品も定期的に発表していることである。
しかも、そうした作品群の大半は、アニメやTVドラマ化されている。
彼女の作品が、幅広い層の視聴者に受け入れられるだけの高い質を持っていると認められているからだろう。何と言っても、高橋の作品は、性別を超えて読者を選ばないし、どの作品も外れがないことが、数多くの映像化に結びついているのだと思う。
ウィキペディア:高橋留美子


作品の質を保ちながら、きっちりと長期連載を続けることができて、要請があれば短編も描ける。読者はもちろんのこと、出版社(小学館)にとっても仕事ぶりが安定していて、信頼できる戦力だと思う。
いかな天才があっても、むらがありすぎて作品が出るのか出ないのかわからないようでは、困る。高橋にはそうしたむらがない。
むらがない才能は信頼されるから、仕事が途切れない。だから、息も長い。
高橋は常に最前線の人気を獲得しているわけではないが、作家としての息の長さは手塚治虫に通ずるものを感じる。
柔らかい、丸みを帯びた愛らしい描線で万人受けするような作品を描きながら、場合によっては人間のどす黒さを生々しく描いてしまう点もそっくりである。



さて、そんな高橋が出世作である「うる星やつら」の連載を開始したのが昭和53年(1978年)である。この年はと言えば-
まさにSF・アニメ人気が急騰し始めた時期の登場だった。
時代が彼女を呼んだのか
彼女が時代に飛び乗ったのか
いずれにしても絶妙の好機だった。

初期の高橋の画風だが、独特のものがあった。
女性なのに、登場人物をやたら「不細工」に描いていた。
初登場作「勝手なやつら」は、宇宙人や地球を破壊する爆弾などが登場する、ドタバタ仕立てのSF的な物語だ。
ここでは副主人公扱いの女の子こそ可愛く描いているのだが、主人公は間抜け面だし、脇役は宇宙人も含めて相当、不細工に描かれている。
この時代、女性漫画家といえば、主人公は当然として、脇役でもそれなりに可愛く描こうとしていたものだ。ところが高橋留美子ときたら、こちらの先入観を軽やかに無視して、「こうして描いた方が面白い」とばかりに登場人物を不細工にしていた。
可愛らしさよりも面白さを優先する感性。まだ、「女性」としての肉体的・精神的自我がまだあいまいな、中性的な場所にいる「女の子」の感性であるように僕には思えた。
女の子が男の子と張り合って、男の子を笑わせようとしたら、どんな手法を使うか。
その一つが「不細工」という表現様式ではなかろうか。
ここで注意してほしいことがある。それは「不細工=下品」ではないということだ。
「下品」は男子、男性の感性だ。高橋の感性は「下品」からはほど遠い。ゴミからゴミへ瞬間移動ができる超能力者を主人公にした喜劇漫画「ダストスパート!」なんて作品もあるが、それでもどこか品が保たれている。
「不細工」は自分を卑下した、へりくだった笑いである。自分の立場を一段下げて、自分のみっともなさ、情けなさを押し出して、相手から笑いを誘いだす手段だ。
一方、「下品」は自分の醜さ、欲望をさらけ出し、その露骨さで、相手にも潜んでいる下品さを刺激して笑いを引き出す手法である。
両者の違いは大きい。


高橋の作品には、「不細工」以外にも工夫があった。
登場人物を、「ちょっと、変」な性格に設定していた。そこには、高橋独特のほどよいさじ加減が発揮されていた。
初登場作「勝手なやつら」の主人公は、「地球の危機が迫っていても、新聞配達にこだわる」性格だった。下手をすれば身の危険よりも新聞配達を優先するのだ。
一般人からみて、「全く理解できないわけではない。でも、ちょっとばかり普通じゃない」という人物を描くのがうまい(※1)。
これが男の手になると、「ついてこれる奴だけついてこい」という暴走態勢にはいってしまうことが多い。例えば漫画☆太郎などの画風は、僕でもついていけない。男は己の異常性を表現しようとすると、抑制が効かないのかもしれない(※2)


もう一つ、こだわっておきたいことがある。
初期の高橋作品ではお気に入りの女性の登場人物は、吊り目で描かれていた。
吊り目は、攻撃的にも見える。批判的にも見える。
受容よりも排他的である。そして、吊り目からは誇りの高さが感じられる。
「不細工」を演じることによって笑いを誘いながら、高橋がその内なる誇りを、吊り目の女性像に無意識に託している、という捉え方は歪(いびつ)だろうか?
後に触れることになるアニメ「うる星やつら」で人物造形を担当した人員の一人に高田明美がいる。彼女の人物造形も、初期の頃は、特にこれという女性を吊り目に描いていた。高橋と高田は、互いに相通ずる感性の持ち主であるように僕は感じている。
ウィキペディア:高田明美

しかし、そうした高橋の筆致も変化していく。「うる星やつら」「めぞん一刻」の連載中期から、その吊り目が消えていくのだ。
目の輪郭が丸みを帯び、柔和な視線に変わっていった。
それと同時に「不細工」な造形も影を潜めていく。
連載と人気が安定して自信を得たことによる潜在的な心境の変化か。
あるいは、吊り目でない方がより可愛らしく、読者受けするという明確な目的意識を持ったからか。
どちらでもあるように思える。
とにかく、同時代にこの絵柄に接した僕としては、ラムちゃんも響子さんも「べらぼうにかわいい」と感じたものだった。
と同時に、描線からも肩の力が抜けたような伸びやかさが感じられるようになった。
「男の子っぽい女の子」から「女の子として生きる楽しさを知った女の子」への変貌、変態。そこには手塚治虫的なエロスが溢れていた。
少女という肉体的属性を持ちながら、全くの少年として振る舞う藤波竜之介など、まさに手塚的である。

高橋作品から溢れる無意識裡のエロスは、少年たちを高橋留美子に引き寄せた。特に非体育会系少年はやられたことであろう。
少年たちだけではない。少女たちも自分の分身をみるように、高橋留美子の世界に引き寄せられていったと思う。
従来の少女漫画が微妙に肌に合わない、でも、いわゆる少年漫画はお呼びでない、そんな迷える少女たちの感性を捉える力が、高橋留美子の描線から放たれていた。
この時、高橋留美子は性別を超えた作家になったと思う。
ラム初期
ラム初期
ラム後記
ラム後記
ラム平成25年
ラム平成25年
図は順番に、アニメ「うる星やつら」の劇判LPに高橋が寄せた絵と、昨年、高橋留美子特集を組んだ雑誌の表紙に寄せた絵である。
可愛いが、どことなく棘が隠れているような、吊り目で描かれた初期のラム。
程よい、絶妙な丸みを帯びて、いよいよ女の子らしく脱皮したラム。
そして30年の歳月を経て、成熟した大人の女性の表情になったラム。
比べてみれば、感慨深いものが胸をよぎる。

さて、ここからは押井守の話になる。
高橋留美子の人気・知名度を一般社会に広げたのは、やはりTVアニメ版「うる星やつら」の製作・放送だろう。
製作はスタジオぴえろ(現ぴえろ)。タツノコプロで演出家を務めていた布川郁司が起こした会社である。以前にも「星銃士ビスマルク」で触れたことがあった。
スタジオぴえろがアニメ界で認知されたのは、昭和55年(1980年)NHK製作の名作アニメ「ニルスのふしぎな旅」だった(※5)。
ウィキペディア:ニルスのふしぎな旅

ここで演出家として活動を開始したのが押井守。言わずと知れた後の「うる星やつら」の演出責任者である。
ウィキペディア:押井守
押井は昭和26年(1951年)生まれのバリバリの「団塊世代」であり、高校生時代に学生運動にも参加していたという。しかし、教師であった父親に活動を阻止され、学生運動を強制的にやめさせられたという。
大学は、戦前の師範学校を前身とする東京学芸大学(※4)に進学。学生運動に反対した教師である父親と同じ道を歩まされた、すなわち、言ってみれば父親の軍門に下ったわけである。
ウィキペディア:東京学芸大
しかしながら1960年代当時の自由気ままな野放し学生生活を存分に謳歌したという。
大学卒業後は紆余曲折の後、タツノコプロに在籍。
やがて布川がスタジオぴえろを創設すると、押井の師匠にあたる演出家の鳥海永行とともにタツノコを退社して、スタジオぴえろに参加することになった。押井は鳥海の監督下に「ニルス」で演出を経験した後、30歳の若さで「うる星やつら」の現場責任者に抜擢されることになった。

「うる星やつら」TV版は昭和56年(1981年)から放送が始まった。
初めて監督(総演出)を任された押井が指揮したTV版初期の「うる星やつら」は、まさしく「男の感性で描いた」ドタバタ劇だった。
まず、ぴえろが製作を請け負った時点で、TV放送までの期間がわずか45日しかなかった、つまり制作体制が整っておらず、演出の方針を検討する時間もなかったこともあるだろうが、笑いが勢い任せで「下品」だった。
主人公諸星あたるの初登場場面の、スケベ根性丸出しの表情描写は、高橋留美子の「不細工」の対極にある「下品」そのものだった。
基本的に喜劇だから、登場人物の表情も笑いを取るために崩されるのは当然として、その崩し方も「不細工」というより「下品」だった。
高橋の見せたような、「不細工だけど、愛嬌がある」といったような、けっこう繊細な描写からかけ離れていたのだ。
僕も高校生の頃、TV版をみて「これはうる星じゃねー」と感じたものだった。
つまり、押井を代表とするアニメ製作の現場が、高橋の感性を理解できない、あるいは再現できない状況だったのである。

まだ、時代の黎明期だったからでもある。というか、TVアニメ「うる星やつら」そのものが黎明だったのだ。
軽薄短小と後に揶揄される1980年代、世界の平和よりも隣の女の子の方が大事という風潮が当たり前となり、「とにかくかわいい女の子」を描こうという少年漫画が増え始めた時代。
ところがというか、何というか、TVアニメの現場では、「かわいい」女の子を描ける絵師はまだまだ少なかった。
東映動画の魔女っ子作品や、日本アニメーションの名作劇場では女の子を描写することも多かったろうが、「かわいい女の子」を描くには、少年漫画が遺伝子の根底にある、当時はまだ男性の方が遥かに多かったであろう絵師たちには、まだまだ荷の重い作業だったのかもしれない(※6)。
原作よりも美しい描線で、美男美女が乱舞する映像が展開される、平成20年代のアニメ界とは状況が違うのだ。まだまだむさ苦しい時代だったのだ。
このため、初期の放送では、原作支持者から非難と脅迫がスタジオぴえろに殺到したという。

ところが、後に頑固で有名になる押井は、そんな程度のことではめげなかった(らしい)。めげるどころか、「野郎」の感性を押し出して、むしろ「うる星やつら」の世界を「乗っ取って」しまったのだ。
彼の持つ「野郎」の感性とは、「学生運動」を戯画化して、お笑いに転嫁するというものだった。手前の高校時代のこだわりの残滓を「うる星」の世界に注ぎ込んだのだ。
「立ち食い」という労働者階級のための飲食業を舞台に、その存在意義を大見得きって、滔々と登場人物に語らせ、視聴者を煙に巻く。
原作では大した活躍もみせない「メガネ」という人物に、扇動的な言説を延々と語らせ、目立たせる。
まるで学生運動の亡霊が墓場から蘇ってきたようだ。ただし、お笑いの衣をまとって。
ところが、これが受けてしまった。
これを見て、団塊の連中がどう感じたかは知らない。学生運動の後はバブル経済に勤しんでいて、アニメなんて見ていなかったかもしれないが。
しかし、団塊の世代が青春の思い出としていた学生運動を、押井はアニメの中で、それも「うる星やつら」の世界の中で、ドタバタ喜劇の味付け素材に変貌させてしまったのだ。
それが、受けた。
なぜだか、受けた。
扇動的な言説(アジテーション)の見世物としての面白さが受けたのだと思う。
よど号のハイジャック犯もかくや、押井は「うる星やつら」をものの見事に「乗っ取って」しまったのだ。

こうした押井の演出は、反発者を黙らせ、逆に賞賛する者を増やしていった。
「異形の世界と楽しく暮らしましょう」という原作の世界観とは、別の構造を持つ物語に押井はTV版を作り変えてしまったのだ。
ただし、だ。
逆を言えば、高橋が築いた物語の様式は、押井による改造すらも受容できるだけの抱擁力があったということでもある。
しかし、この押井による改造型「うる星やつら」も、これはこれで人気を博すようになった。
僕もいつしか、この世界観を受け入れるようになった。

この項、続く。

※1)彼女が在籍した「劇画村塾」の主催者である小池一夫の「主人公のキャラをたてろ」という教えを、彼女なりに消化した結果だった。
漫画家養成機関である「劇画村塾」は、かつて同名の雑誌も発刊していた。高橋は母校のよしみで時々、表紙の画を描いていた。しかし、この画につられて雑誌を買っても、高橋の作品は載っていないのだ。小学館と専属契約していたから。ちょっとな、だった。
下のHPでその高橋留美子表紙が閲覧できる。
コミック劇画村塾表紙展示室
※2)ついていけないことはないが、男には生理的に受け付けにくい女性的な異常性を描く山岸涼子のような作家もいるのだが。

※3)高田の描く少女もまた、やがて目の表情が丸みを帯びて、垂れ目気味になっていったことも高橋と共通している。

※4)東京芸術大学ではない。最近までカン違いしていた。
ウィキペディア:東京芸術大学
※5)ちなみにこの作品の主題歌「ニルスのふしぎな旅」は作詞:奈良橋陽子、藤公之介、 作曲:タケカワユキヒデ、歌:加橋かつみの布陣。
※6)と、言いながらも、美樹本晴彦が登場して、少女の作画に革命を起こす時代は、目と鼻の先まで来ていたのだが。

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