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「オンリー・ユー」と「ビューティフル・ドリーマー」



(承前)
そうこうしている間に、「うる星やつら」TV版の放送開始から1年が経過した。当初は低迷していた番組人気も上昇気流に乗っており、勢いに乗って劇場版が製作された。
昭和58年(1983年)2月に公開された劇場版の題名は「オンリー・ユー」。押井守監督第1作にもなった(※1)。
高校生の頃、僕はこの映画をみて、大層、感激した。
TV版では絶対的存在であるラムに対抗して、恋敵のエルが登場し、諸星あたるを巡る大争奪戦が繰り広げられるのだ。そこにおなじみの主要登場人物が総出演して、まことに、にぎにぎしくも楽しい物語展開になっていた。
ウィキペディアにもある通り、まさしく、映画化の王道だった。
とてもいい映画だと、今でも僕は思う。
高橋留美子的世界と、押井守的世界が見事に調和していた。
「才能の衝突」が結実した作品だった。
ウィキペディア:オンリー・ユー

ところがどっこい、何を思ってか、「玄人」たちがこの映画を酷評した。
後に「お葬式」で映画監督として一気に名声を獲得した伊丹十三が、何を思ってか、この映画を酷評したのだという。
ウィキペディア:伊丹十三
ウィキペディアの記載によれば、伊丹はこの映画を「甘いケーキ菓子のような映画」と評し、押井は悔しがったとある。
だが、いつどこで、どのような文脈で彼がこのような評価を口にしたのか、原典を検索することはできなかった。ネット上でこの逸話を紹介している記事は皆、ウィキペディアの記載を引用しているに過ぎない。逸話が勝手に一人歩きしている。
そもそも、何で伊丹だったのか。
「オンリー・ユー」公開当時、伊丹はまだ俳優としてしか知られていなかった。非常に個性的で存在感のある俳優と認知されていたが、べらぼうに大物というわけではなかったと思う。
彼が頭角を現したのは、昭和59年(1984年)に初監督作品である「お葬式」が公開されてからだ。この映画は世俗の高い評価と人気を得た。その後も「タンポポ」そして「マルサの女」と、伊丹は意欲的な題材を取り上げ、次々と人気を高め、優れた興行成績をあげることに成功した(※2)。




基本的に彼が取り上げる題材は、色と金と暴力、そして病と、大衆の好奇心を強くくすぐるものだった。伊丹は細かな薀蓄を誇張して大きくみせながら、色欲もたっぷりと盛り込んで、畳みかけるように物語を展開した。
大衆の下世話な欲望を巧みに刺激する演出で、まさしく一世を風靡した。
彼の視点は常に一般大衆の目をいかにして引くかに注がれていた。社会批評的な台詞もないことはないが、彼が目指したのは徹底した娯楽だった。大衆性だった。彼の映画は日本人の村人根性に取り入ることで成功したのだった。
そんな彼が、何でまた「うる星やつら」をみて、わざわざ批判までしたのか。
昭和58年当時、アニメの世間的地位は、現在とは比較にならないほど低かった。というか、相手にしてもらえていなかった。当時、既におっさんで、通常の俳優業をしていた、すなわちアニメとはとても縁遠いとしか思えない伊丹の視界に、なんで「オンリー・ユー」が入ってくるのか、それが不思議でならない。
まさか実はアニメ愛好家だった・・・というわけではないだろう。
配給会社の東宝から無理矢理、試写会に狩り出されでもしたのか。
もっとも、「甘いケーキ菓子のような映画」と評された「オンリー・ユー」の明解な物語設定とわかりやすい演出と比べて、伊丹の作品の間に、大衆性という点で、いかほどの隔たりがあったのか、僕には違いがわからないのだが。

しかし、とにもかくにも伊丹の評価に悔しがり、自分でも「こんなの“映画”じゃない!!」と押井は落ち込んだらしい。
それにしても、物凄い負けん気の持ち主である。
先にも述べたように、伊丹が「甘いケーキ菓子のような映画」と評したといっても、そもそもが昭和8年(1933年)生まれのオヤジに「オンリー・ユー」を見せたところでどれだけの理解が得られるというのか。端からその程度の評価しか返ってこないのは目に見えていたはずだ。
元来、アニメに接点がない伊丹に「オンリー・ユー」の面白さがわかろうはずもあるまいが。昭和の時代、大半のオヤジ連中はアニメ「映画」など、端から映画として認知していなかったのだから。
それとも、「俺の映画はアニメ愛好家以外の一般の人間にも評価されるだけの自信がある」と思っていたのだろうか?

さて。
そんな押井に、同業者からも批判が出た。
「カリオストロの城」を監督した後、アニメの仕事がなくなり、映画化を目指して「風の谷のナウシカ」の連載をしていた頃の宮崎駿である。

以下のHPにけっこう詳しく記載がある。
押井守と宮崎駿の愛憎と確執
「アイドルアニメ」という表現が言いえて妙なHP
馬鹿の一つ覚え

宮崎は押井のパロディ精神を批判したようだ。
パロディとは過去の作品の構造を模倣して、笑いなり敬意なり、某かの意味を付与する行為である。
押井は割とパロディを好んでいた。
「オンリー・ユー」でもパロディそのものではないが、宇宙戦争の場面で「宇宙戦艦ヤマト」を暗におちょくるような情景を描いたり、また有名な米国映画「卒業」を思わせる場面を描いたり、「ビューティフル・ドリーマー」ではこりもせず宮崎の「カリオストロの城」の演出を模倣したり、TV版「うる星やつら」の最終監督作(「スクランブル!ラムを奪回せよ!!」)でも出崎統の「ゴルゴ13」の台詞をぱくったり(※3)。
宮崎はというと、そうしたパロディを一番嫌う人種だ。映画は自分の表現を絞り出す場であるから、他人の表現を模倣して遊んでいる余裕はないのだと、生真面目に考えてしまうので、押井のそうした遊び心を批判してしまう。



まあ、この映画を普通に楽しんだ人間からすれば、難癖つけてるだけにしか思えないのだが、そこはそれ、やはり「映画監督」とは凡人には計り知れない感性とこだわりがあるのだろう。そして、それくらい「変人」でなければ、人の心を揺さぶるような何か、それは狂気なのかもしれないが、それを表現することはできないものなのかもしれない。
伊丹や宮崎が押井を刺激した結果、押井の中の狂気の歯車が動き始めたのだろう。
その狂気が、「ビューティフル・ドリーマー」を導き出すことになった。
押井守は暴走を開始した。

「ビューティフル・ドリーマー」を作成していた頃、TV版での押井の暴走が始まっていた。
押井は意図的に王道的展開を拒絶し、自分のやりたいことを追求した実験的な、マジわけのわからない小劇場的な作品を産み出してしまった。
第78回目の放送「みじめ! 愛とさすらいの母!?」は、僕も実際の放送で観たのだが、「・・・・何じゃこりゃ」としか思えない内容だった。
主人公諸星あたるの母親は、通常の逸話ではドタバタ劇に巻き込まれて右往左往し、うろたえ、あまつさえ息子のことを「産むんじゃなかった」と(お笑いに転化しているのだが)呪ってしまうような役どころであり、それ以上でも以下でもない存在である。
高橋留美子の世界では、一個の様式化した役割を果たす立場と言えよう。
ところが、この逸話では、あたるの母が、そんな自分の存在意義に「ふと」疑問を持ち、物語の登場人物でしかない自分の自我のあいまいさを自覚してしまうのである。
物語はあたるの母の夢の中で展開し、夢から醒めたらまた夢だったという、「ビューティフル・ドリーマー」の展開を先取りしたものだった。
不評だったらしい。
TV局側も激怒したらしい。
当たり前だ。水曜午後7時半の時間帯に、全国、一般家庭に届けるための番組を作るために金を出しているのに、「たかが」一個人のこだわりで固めたような前衛劇を作られたのだ。
普通なら、首だ(※4)。
僕も「つまらない」と思ったし、たぶん今見直してもきっと「青いぞ押井」と呟いてしまうことだろう。
というわけで、劇場版第2作目も押井守が監督すると知り、僕は不安になった。
「もしかして、とんでもなく前衛的な自己満足な映画になるのではあるまいか」と。


けっこう寒い冬だったと思う。
だが、映画館の中で、僕は銀幕から溢れ出る夏の空気に酔いしれていた。
永遠に続く楽しい時間
永遠に続く夏休み
夏の陽射しに満ち溢れた星勝の音楽に乗って、ラムやあたるたちが廃墟の中で目一杯、夏休みを謳歌していた。
僕が一番、好きな場面だ。
友達と一緒に泳いだり、釣りをしたり、花火を打ち上げたり、野外で映画を見たり、楽しいことだらけ。
今ほど涙もろくなかったので、ただ感激していただけだが、もし、今の僕が初めてこの映画をみたら、ボロボロに泣いてしまっただろう。
そんな「人生の楽しさ儚さ美しさ」を語りかけてくる映画だった(僕にとっては)。
前衛映画を見せられるのではないかという、僕の不安は心地よい形で裏切られた。

学園祭の前日、模擬店の準備を続けるあたるたち。でも、いつものごとく、それぞれが好き勝手にしているから、ドタバタばかりしていつまでたっても準備が進まない。
しかし、何かおかしい。同じ「学園祭の前日」を無限に繰り返しているのではないか? 教師である温泉マークが異変に気がついた。その謎に迫ろうとしたあたるたちの周囲に異変が起こり始める-。

こう書き始めると、いかにも前衛臭そうな内容が思い浮かばれ、当たりか外れか、その間はないな、という印象を受ける。
だが、この映画では、押井の目指す「芸術性」「実験性」「作家性」が、観ている者にわかりやすく、受け入れやすく、素直に演出・処理されていた。
難解さは少なくとも僕は感じなかった。監督が何を言いたいのかわからない場面があったとしても、すぐに次の場面で仕切りなおして、興味が途切れるのをうまく防いでいる。
物語世界の中での「日常」と「非日常」を交互につなげることによって、難解の迷路に陥りかねない「非日常」の場面が浮いてしまうのを予防している。

例えばしのぶが登校途中で風鈴の迷路にはまる場面だが、これだって何を言いたいのかは、今にいたるもわからない。物語を進めるにあたって、必要のない場面なのだ。
だが、風鈴に取り囲まれて、迷宮の中を出口を求めてしのぶが駆け巡る映像の美しさ。詩情にあふれながらも、得体がしれない世界に放り込まれた不安感を、星勝の音楽が劇的に盛り上げていく。
物語とは関係はない。
でも、見惚れてしまい、心に残る映像なのだ。
それは押井が映像で表そうとした詩編なのかもしれない。
映像の力、映像だけが伝えられる表現。それを、この場面で押井は実現したのかもしれない。
延々とやりすぎれば退屈に堕して、不満がでるところだ。しかし、この場面の後は、「僕のレオパルドンが・・・」と面倒終太郎が愕然となる、お笑いの場面につながっていく。そこで、「うる星やつら」世界の日常に戻っていく。
この緩急のつけ方が、うまかったのだ。
要するに、不思議なお話展開だったけど、映画として、おもしろかった。楽しかった。そして、ちょっぴり毒も盛られている。
実験的でありながら、娯楽作として成立している。
だから、僕個人としては、押井守の最高傑作と言ってもよいのかもしれない。

だが、漫画「うる星やつら」原作者の高橋留美子は、この映画を嫌悪したという。これもまた有名な話だ。

この項、続く。


※1)以後、東宝の年間計画の中で、「うる星やつら」劇場版は2~3月公開と位置付けられていた。
※2)伊丹の妻が、「あまちゃん」の「夏ばっぱ」こと天野夏役の宮本信子であることは有名。伊丹は監督した映画の大半で妻の宮本に主演させていた。また、宮本も見事な演技でそれに応えていた。
※3)昭和58年【1983年)公開、出崎 統監督・杉野昭夫作画監督の布陣による劇場版。最強かつ最凶の大傑作。
※4)恐るべしは、そんな押井を罷免することなく起用し続けた、スタジオぴえろ社長の布川侑嗣だ。
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[C33] 甘いケーキ

どーも、はじめまして、
「甘いケーキ菓子のような映画」はNHKのソリトンという番組に押井監督が出演した時に本人の口からはっきりと言っていますよ。デマではないです。
昔の番組なので見たことない人もいるのかもしれないですね。
幻の押井ルパンの話もここでしています。
  • 2015-04-07 01:52
  • プー
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