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[C58] やっぱり・・・

拝見しました。

今日はとても暑く、こんな日は池のほとりを聴きたいなあ・・・でもなんかあの曲高中なんじゃないの・・・とつらつら検索していたらたどり着きました。
やっぱりなんですね。

当時自分は中学生でしたが、finger dancin'って曲が好きでした。テレビ本編でも何度も使われています。

モップスは全然自分の世代ではありませんが、youtubeで漁ってみようと思います。興味深いお話し、ありがとうございました。
  • 2016-05-31 14:25
  • ぱるな
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[C60] 管理人です

コメントありがとうございます。私はこの記事を書くまで、まったく気づいていませんでした。「池のほとり」素敵ですよね。「サンダーストーム」も高中さんだとは知りませんでした。「縁」ですね。
you tubeで気に入ったら、正規盤も入手してみてくださいね。

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星勝とは何者か? 「ビューティフル・ドリーマー」サントラ考の一

寄り道をするつもりだったが、時間がたちすぎたので本編を急ぐ。

「ビューティフル・ドローマ―」LP表
ここで改めて問いたい。
「ビューティフル・ドリーマー」の劇判音楽を作曲した星勝(ほしかつ)とは、何者だったのか?
もう少し具体的に問えば、どういう立場の人だったのか。これを問い詰めていくと、「ビューティフル・ドリーマー」の劇判そのものの特殊な立場が浮かび上がってくる。

星勝は元々、ロック畑から出てきた人で、アニメからは遠い存在だった。
ウィキペディア:星勝
仲間とともにザ・モップスというバンドを立ち上げたのが、実績の始まりだ。このバンドは昭和43年(1968年)から昭和49年(1974年)のおよそ6年間、活動している(※1)。ここで星はギターと歌唱を担当した。
彼らが世に出た1960年代後半とは、ある種の平和主義活動としてのヒッピー運動が華やかりし時代だった。ヒッピーたちは大麻やLSDなどの薬物(もちろん非合法)を使って幻覚をみたり、精神的に安楽をえようとした。その幻覚の世界を音楽で表現しようと、陶酔的な響きを求めた「サイケデリック・ロック」という音楽が発生し、一時的に流行した。
ザ・モップスも名前を売り出すために、初期は「日本最初のサイケデリック・ロックバンド」を宣伝文句にしたそうだ。
でも、彼らは本当は情念を籠めて音を叩きだし、力強く歌い上げるR&B(リズム&ブルース)をやりたかったという。だから、「サイケデリック・ロック」の流行りが廃れてくると、彼らはさっさと「サイケデリック」の看板を下ろしてしまった。(※2)
「サイケデリック」の名を冠したのは第一アルバムの「サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン」だけで、2枚目からは単刀直入に「ロックンロール‘70」となっている。



以後、R&B道を突っ走り、「永久運動」「御意見無用」などでは、並み居る敵を斬馬刀でぶった切っていくようにギターが暴れ狂い、果たし合いの場でドスの効いた啖呵を切るように歌を唸っていく。そんな世界を確立している。
だから、ザ・モップスの音楽と「ビューティフル・ドリーマー」の音楽を並べて聴くと、これが同じ人間から出てきた音楽かと耳を疑いたくなる。
活動当時、彼らに対する世上の評価は決して高くなかったようだが、今も再評価をしようという声は少なくないらしい。確かに、人をのめり込ませる魅力が感じられるバンド、音だ。
ウィキペディア:ザ・モップス
ウィキペディア:ヒッピー
ウィキペディア:サイケデリック・ロック
ウィキペディア:R&B

さて、ザ・モップスで活躍する傍ら、星勝はバンド外でも活動を開始する。編曲者として、音楽製作の責任者(プロデューサー)として引っ張りだこになっていったのだ。
大勢の歌い手の仕事に星は関わっていくのだが、わけても井上陽水との関わりが大きく、彼との結びつきは星の立場を一気に頂点に引き上げていった。
ザ・モップス在籍中、以下の井上の仕事に星は関わっている。
① 昭和47年(1972年)
井上陽水としての初登場曲「人生が二度あれば」を編曲。
1枚目のアルバム「断崖(だんぜつ)」の全12曲を編曲。
2枚目のアルバム「陽水Ⅱセンチメンタル」の12曲中7曲を編曲。
② 昭和48年(1973年)
井上の初の人気曲「夢の中へ」を編曲。
3枚目のアルバム「氷の世界」の13曲中12曲を編曲。
③ 昭和49年(1974年)
4枚目のアルバム「二色の独楽」の14曲中9曲を編曲。
→このアルバムでレコード大賞編曲賞を受賞。
ザ・モップス解散。

今では井上陽水と言えば伝説的存在と言っていい。昭和の時代の歌謡界の重鎮だし、平成の時代でも「少年時代」のように記憶に残る歌を発表している。しかし、昭和47年の初登場時、井上の名を知る者は少なかったようだ。
どんな伝説にも始まりがあって、井上の伝説は昭和48年「夢の中へ」の人気に火が点いたところから始まった。「夢の中へ」人気爆発の影に、星の編曲の優秀さも大きな役割を果たしたのだろうと思う。
これを手始めに、星勝は編曲者として井上陽水を支え、彼の伝説とともに歩み、歌謡界の頂を駆け上がっていく。
「夢の中へ」の次、ほぼ全曲を星が編曲した「氷の世界」は、日本での「アナログレコード総生産数第1位」を達成したほどの伝説的売り上げを獲得し、かつ長い人気を誇ることになったという。
更にとどめの「二色の独楽」で星は、当時、日本の歌謡界では最高の栄誉であるレコード大賞まで取っている。すなわち、井上との仕事を通じて星は「てっぺんを取った」のだ。
もうこの時期になると、井上との仕事とモップスの仕事では、どちらが主でどちらが従だかわからないほどだったのではあるまいか。
ウィキペディア:井上陽水
ウィキペディア:「夢の中へ」
ウィキペディア:「氷の世界」


井上を筆頭に、星は大勢の歌手やシンガーソングライター(自作自演歌手)の曲を編曲したり、アルバムの音楽製作の現場責任者をしたりしている。井上陽水に並び、星勝が大きく関わったのが、シンガーソングライターの小椋佳だ。
平成27年の今、小椋佳の知名度は井上陽水に比べれば劣るだろう。しかし、僕らの世代にとっては、どこかしら凛とした佇まいのある、忘れがたい歌をいくつも作った人として強く記憶されている(まだ現役だし)。
星は昭和49年(1974年)、小椋の4枚目のアルバム「残された憧憬」から一緒に仕事をするようになり、長い付き合いになったようだ。この二人はやがて、僕の個人的に思い入れの強いアルバム「マルコポーロの冒険」を産み出している(※3)。
ウィキペディア:小椋佳

井上陽水と小椋佳、彼らとの仕事の他にも、星は「ワインレッドの心」「セーラー服と機関銃」などの名曲を編曲し、浜田省吾のような人気歌手を下積みの時代から支え、数えきれないほどの名曲に星は関わり、昭和の歌謡界にとって欠かせぬ存在になっていった。


さて、人が自力で得られる幸運はたかが知れているということを、僕も実感する年齢になった。
人が才能を発揮する時、そこには誰か他者の助力があるものだ。本当に何もかも自分の力だけで才能を世に知らしめる人間なぞ、ほとんどいないんじゃなかろうか。成功の陰には、その人の才能を見込んで世間に送り出したり、また別の才能に引き合わせてもっと凄い仕事ができるように整えてくれたりする人間がいるものだ。
星に新しい人との出会いをもたらした人物と言えば、多賀英典ということになるだろう。多賀はキティ・グループを創業し、「うる星やつら」のアニメ製作を実現させた人物だ。
彼はレコード会社ポリドールで敏腕を振るい、上に連ねた井上陽水や小椋佳のアルバムを世に送って歴史的な売り上げを記録し、大いに業績を上げた。
当時は歌謡曲全盛の時代で、綺羅星のごとく名曲が流行歌として世をにぎわした。強豪ひしめく中から井上と小椋の存在が飛びぬけることができたのは、多賀の営業手腕のお蔭とみるのが正しいだろう。
多賀はポリドールの1社員にとどまらず、昭和47年には、グループ会社としてキティ・フィルムやキティ・レコードを設立し、次々と野心的、挑戦的な作品を産み出している。
多賀はまさしく「挑戦者」と呼ぶのが相応しい経営者だった。その根幹には、何と言っても総合芸術としての映画、「サウンドと映像の融合」がもたらす感動に対する情熱があったという。多賀は人一倍、映画やアニメ製作に情熱を注いだ。
ウィキペディア:多賀英典
ウィキペディア:キティ・フィルム
文句なしの大傑作「太陽を盗んだ男」、主演の薬師丸ひろ子を人気の頂点に押し上げた「セーラー服と機関銃」、「うる星やつら」を筆頭とする高橋留美子作品、オリジナルビデオアニメとしては常識破りも甚だしい全110話を完成させた「銀河英雄伝説」・・・記憶に残る作品がキティ・フィルムから生み出された。
多賀は、まさしく映像と音楽の世界に風雲を呼んだ人物だった。



多賀が巻き起こす嵐は多くの人々を結びつけていった。星と小椋佳の出会いもまた、多賀がいなければ実現しなかったと思う。
ウィキペディアの記事をみてもわかる通り、星は小椋の音楽を「軽い」と感じていたそうだ。
「永久運動」の音を聞けばわかる。ロックを故郷とする星にしてみれば、いわゆるフォークソングの優しさが前面に出る小椋の音楽は物足りなかったのだろう。
恐らく多賀の引き合いがなければ、星が自分から小椋の音楽に興味を持ち、一緒に仕事をすることはなかったとだろう。
しかし、多賀の存在が二人を結びつけた。その出会いは化学反応を起こした。相いれないはずの二人は、長く音楽活動をともにすることになった。
恐らく、小椋の持つ抒情性、静謐性は、星の音楽観にも少しずつ影響していったのではないかと思う。
小椋の音楽を引き立たせる仕事(編曲)を続けることは、星の中に小椋の世界観が流れ込むことでもある。「軽い」と感じた小椋の音の底にある「軽いだけではない何か」が、星の世界を広げたのだろうと思う。
やがて彼らは小野崎孝輔とともに、昭和54年(1979年)「マルコポーロの冒険」というアニメ番組に珠玉の歌を寄せることになる。
それにしても、ザ・モップスでR&Bを志していた頃の星は、まさか自分が将来、アニメソングを編曲することになろうとは、まさかビキニ姿の鬼娘が空を飛びまわるアニメ映画の音楽を作曲することになろうとは、夢にも思わなかったことだろう。
多賀が星と小椋を引合さなければ、「マルコ・ポーロの冒険」がなければ、「ビューティフル・ドリーマー」の音楽もなかったかもしれないと、僕は妄想するのであった。

さて、「マルコポーロの冒険」については、またの機会に語ることにして、ここからがようやく本題になる。僕の自分史も交えながら、星勝が残した奇跡的かつ魅力的な「ビューティフル・ドリーマー」の音楽について触れいこう。
残念ながらこの劇判CDは平成27年現在、廃盤の憂き目にあっており、ネット配信もされていない有様だ。
ところがアマゾンには多数、この音楽を愛する人々の意見が寄せられていて、これらの意見、感想に目を通すだけでも、この劇判の魅力は十分に伝わるだろう。
ある程度、語りつくされているかもしれないが、しばしお付き合いを。
「ビューティフル・ドリーマー」サントラCD表
「ビューティフル・ドリーマー」サントラCD裏
アマゾンのレビュー
僕が「ビューティフル・ドリーマー」の劇判LPを買ったのは、たぶん映画を観た後だったと思う。物語とともに、劇判にも衝撃を受け、「一聴ぼれ」したという印象が強いからだ。前もって聴いていたら、あれほどの衝撃は受けなかったと思う。
「オンリー・ユー」は確か、映画を観る前に劇判LPを買って、何度も何度も聴いたと思う。だから耳に馴染んだ曲を劇場で確かめている節があったが、「ビューティフル・ドリーマー」はその逆だったはず。
なぜ「ビューティフル・ドリーマー」は先にLPを買わなかったのか? 映画の公開時点ではまだ未発売だったのか、それとも押井守のTV版での暴走ぶりに警戒心を持っていたので、映画を観るまではLPを買い控えていたのか。
なんせ30年も前のことなので、自分のことでもさっぱり覚えていない。
LPはキティレコード(製造販売ポリドール株式会社)から発売された。定価2500円ぽっきり。消費税が存在しない時代であった。
収録されたのは全12曲。劇中歌「ラメ色ドリーム」と主題歌「愛はブーメラン」を除き、全て星勝の作編曲だ。
ただし、曲順は劇中で使用された順番とは全く違う。
どういう意図でLPの曲順が決まったのか教えてくれる資料は皆無で、LPの解説書も映画の荒筋と歌の歌詞、製作陣と声優陣名簿しかない。
演奏者の名前すら記されていない。
あまりに映画での順番を無視した配置だったので、LPを聞きながら映画を思い出すという役にはあまり立たなかった。
曲がきっちり映画の筋の通りに並んでいて、聴きとおすと映画をまた観たような気分に浸れた「交響詩銀河鉄道999」とは正反対だ。
しかし、そんなことはお構いなく、僕は何度も「ビューティフル・ドリーマー」のLPを聴いたものだ。
それだけ、音盤に刻まれた音楽の求心力が強かったのだ。
「ビューティフル・ドリーマー」LP解説表
「ビューティフル・ドリーマー」LP解説裏

この映画を観た後、僕は大学受験に落っこちて浪人生活に突入した(※4)。この劇判LPはMIOの第一アルバムとともに僕の浪人生活を支えてくれた(はず)。
このアルバムではピアノ曲「Star’s Rondo」の存在感が際立っていて、この曲に重点を置いて語る文章が多いと思う。
でも、元々が暗い青春を過ごした人間であったため、僕がこのLPの中で一番大好きなのは、夏休みの熱気が溢れだす「池のほとり」だったりする。
音楽の雰囲気と曲名がさっぱり一致していないが、そんなことはどうでもいい。
劇中では中盤あたり、廃墟となった友引町でラムたちが遊び倒す場面で流れている。
しょっぱなから夏のお日様みたく、キラキラまぶしいエレキギターが大活躍する。このギターの輝きが大好きだった。
それにギター演奏の狭間の水しぶきみたいな軽やかな音(シンセサイザーだろうか?)も実に夏らしくていい。この曲、そして映画で観たラムたちの楽しげな様子、それらが相まって、僕は曲の向こう側に立ちのぼる世界に、憧れのような想いを抱いたものだった。

このギター演奏が高中正義であることを、平成27年の今さらになって初めて知った。アマゾンの感想欄にちゃんと記載されている。
「星勝 高中正義」で検索したら、いくらでも出てくる。
ギター界の大御所である高中正義もまた、キティレコードの仕事で名を成した一人だ。で、星はやはり高中とも組んで彼のアルバム製作の仕事をしている。高中の出世作「虹伝説」も星勝が担当している(※5)。
そのつながりで星は「ビューティフル・ドリーマー」の演奏者に高中をひっぱってきたわけなのだろう(でも、高中が録音に参加したという正式な情報源はどこなのだろう。そこら辺が突き止められなかった)。
1曲目の「What’s coming」は劇中では使用されていなかったように思うのだが、全篇、ギターが実にいかした曲だ。何やら思わせぶりに低音で演奏が始まるのだが、途中から軽やかに星飛沫でも舞い散るような輝きが溢れる音がほとばしる。ギターの音だけでも十分に物語になる。最後には音が弾けてまばゆい世界が広がるような心持になる。
たぶん、このギターも高中なのだろう。
30年間、僕はこのギターの響きに魅せられてきた。そして、この魅力的な響きは、高中だったからこそ生まれたものなのだろう

ここでちょっと考えてほしいことがある。
このレコードの録音に、高中正義のような大物が無記名で参加したことの意味は小さくない。
高中と言えば、その名前だけで十分に売れるレコードが作れる人材だ。映画で言えば主演級の役者だ。高中程の演奏者が参加しているのなら、他の演奏者も推して知るべしだろう。下手な役者を高中と並べるわけにはいくまい。恐らくキティレコード関連の猛者たちだったことだろう。「What’s coming」でギターと丁々発止で渡り合うドラムなど最高だ。
聞き流してしまうと気づかないが、このアルバム、音の粒がたっているし、一音たりとて、無駄がない。聴けば聴くほど味わい深くなる。

高中ほどの大御所が言わば「手弁当」で参加してくれた(※6)のも、偏(ひとえ)に星勝のアルバムだったからだろう。
実績を見れば、星がキティレコードの製作現場の総責任者と言っていいほどの存在だということが理解できるだろう。その彼が声をかければ、高中ほどの大物でも参加してくれたということだろうか。
星の映画音楽は、このアルバム以外にも「太陽を盗んだ男」「セーラー服と機関銃」などがあるが、その録音演奏家はどのような布陣だったのか、興味深い。



でも、ギターとなれば、星勝自身も名手だ。ザ・モップスの音を聴けば納得してもらえると思う。なぜ、自分で弾かなかったのか?
それは多分、あのきらめくような音色を求めたかではないだろうか。
星が求めた音の世界は、きらめくような飛翔感を必要としていた。その感覚を実際の音にするには、高中の演奏が必要だった。だから、高中に任せたのではないだろうか。
自分の音では重すぎる-そう感じたのかもしれない。
もちろん、全然、別の理由があったかもしれないが、「俺が求める音は、高中にしか出せない」と思ったから、理想の音を実現したかったから、必要な演奏家として高中正義を呼んだ。
と、いうことなのだろうか。
米国の音楽家ドナルド・フェイゲンなどは、凄腕の演奏家にさんざん演奏させておいて、ほんの一部の音しか採用しなかったこともあるという。

そこまで徹底はしていないが、自分の目指す音作りのために、自分自身も、高中正義でさえも、その存在を消して、ひたすら音だけを磨いたアルバム。
そう捉えてみると、このアルバムの凄みが更に増してくる。
まあ、僕のカン違いということも十分にあるのだが、このアルバムの成立過程について、どなたか確認していただけないものか。
「イデオンⅠ」と同様に、このアルバムを巡る物語を、やはり公式に記録に残して欲しいものだ。
(この稿続く)
「ビューティフル・ドリーマー」サントラLP裏

※1)けっこう、彼らの初期の立ち位置はややこしくて、GS(グループサウンズ)、ぶっちゃけ今でいうアイドルグループの範疇にくくられることが多いみたいだ。「ロックを歌うアイドルグループ」だったのが、本性をむき出しにしてバリバリのロックバンドに切り替えることに成功したというところか。
※2)でも、1枚目でも既に十分、R&Bっぽいように思うのだが。まあ、サイケデリック・ロックとの細かな違いを指摘できるほど、この分野を聴いているわけではないので。
※3)ただし、主題歌や副主題歌を編曲しているのは小野崎孝輔で、星は脇の曲を固める役割だった。
※4)余談として、この浪人時代の夏、「ビューティフル・ドリーマー」が京一会館という今は無き名画座で再上映されると知って、いそいそと観にいったことを覚えている。下宿のおばさんに「京一会館ってどこですか?」と尋ねたら、「・・・ふだんポルノ映画やってるところだよ」といぶかしげに睨まれたことは今でも忘れない。
だが、その京一会館も今は無く、僕ら世代の郷愁を誘っているらしい↓。
You tube:京一会館
You tube:京一会館 その面影をたずねて
※5)かつて僕が大好きだったプロレスラー、天龍源一郎の入場曲「Thunder Storm」が、高中の出世作「虹伝説」の収録曲であることも、たった今、知ったところだ。

※6)彼の名前を出すだけでもサントラの凄い宣伝になったはずなのに! でも、印税がややこしくなるか。
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今日はとても暑く、こんな日は池のほとりを聴きたいなあ・・・でもなんかあの曲高中なんじゃないの・・・とつらつら検索していたらたどり着きました。
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当時自分は中学生でしたが、finger dancin'って曲が好きでした。テレビ本編でも何度も使われています。

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