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星勝の「Star’s Rond」

お詫び 前の記事からだいぶ間が開いてしまった。その上、「ビューティフルドリーマー」の項は今回でもまだ完結せず、続くのである。



「ビューティフル・ドリーマー」の曲の中から一番、印象に残る曲を選ぶとしたら、「Star’s Rond」をあげる人が多いのではないだろうか。
物語の前半、サクラと温泉マークが喫茶店で会話する場面に流されていた。ここは友引町の異変が次第に明らかにされていく、劇中でも重要な件(くだり)だ。
このピアノ曲は愛らしい、耳あたりのよい響きで始まる。よくある普通の背景音楽の面持ちなので、何となく聞き流される。ところが、二人の会話が友引町の異常の核心に近づくにつれて、鍵盤をたたく勢いは強まり、響きも歪み、音楽の様相は変貌する。
「うる星やつら」の日常世界が破綻していく様を、「Star’s Rond」は見事に表していた。
この場面は押井の演出も冴えわたり、実写、アニメを問わず、日本映画が生んだ最高の映像表現の一つだと僕は思う。

Rondとは「ある同じ旋律(ロンド主題)が、異なる旋律を挟みながら何度も繰り返される楽曲の形式のこと。ロンドには「輪舞曲」(大辞泉、大辞林では「回旋曲」)という字があてられる場合がある(ウィキペディアより引用)」とのことだ。
ウィキペディア:ロンド
ロンドの形式については次のHPをみると、ピアノ実演による例示もあってわかりやすい。
SENZOKU ONLINE SCHOOL OF MUSIC ロンド形式

「Star’s Rond」でも、ロンド主題(冒頭の可愛い旋律)と別の旋律とが、入れかわりながら演奏される。最初に入れかわる旋律は、主旋律と同じような穏やかな響きなのだが、次第に劇性の強い旋律に変わり、響きも強圧的に変容していく。
耳に心地よい旋律を聴いている内に、入れかわる旋律が次第に異様に化けて、気がつけば異世界に連れ去られている構造になっているのだ。
言わば、あどけない娘に手を引っ張られ、夕闇を歩くうちに異界に連れ込まれ、知らぬ間に握った手の主は魔物に変わっていた-そんな印象を与えられる。
まさしく、日常と思っていた世界が実は非日常であったと悟らされる場面にふさわしい、見事に物語と一体化した音楽である。
なるほど、ロンド主題の間に挿入される別旋律の変容する様が、物語世界そのものの変容を象徴しているのだ。曲の形式そのものが、まさしく、「ビューティフル・ドリーマー」の世界を反映している。
作曲者である星勝が、映画の本質を見事に読み込んだ仕事である。
「Star’s Rond」-「星の輪舞曲」。なぜ、「Star」と名付けたのか? 「星」勝の謎かけなのか、ただの気まぐれか?

それはさておき、この曲がエリック・サティ作曲「ジムノペディ第1番」を意識して作られたという意見がある。
こういちろうの雑記帳 「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の音楽集(再掲)
なかなか素敵な指摘だと思う。
エリック・サティは1866年~1925年に生存したフランスの作曲家であり、西洋音楽の基盤をさりげなく、しかし根底から変容させた(のかもしれない)存在だった。
19世紀末から20世紀初頭の時代に生きたサティは、クラシック音楽の世界では決して華々しい存在ではない。もっと目立つ作曲家は他にも大勢いる。
例えばヴェルディ、ブラームス、チャイコフスキー、フォーレ、プッチーニ、マーラー、ラヴェル、ドビュッシー、R.シュトラウス、ストラヴィンスキー等々。
彼らの人気をサティが上回るかと言われれば、たぶん、違うと思う。サティは決して無名ではないが、録音の数や演奏会で取り上げられる頻度、知名度は上にあげた作曲家に比べると、たぶん、かなり少ないのではないか?
確かに派手な存在感はない。
だが、ふと耳に残り、忘れえぬ音楽を作った。気が付けばどこかで耳にしている。
知らず知らずのうちに、身近に接している音楽。
それこそがサティの真骨頂かもしれない。
目立たぬ存在でありつつ、彼は「音楽の在り方」そのものを変えようとした。
サティは現在の環境(背景)音楽、街のそこここに流れる「生活の背景の一部となる音楽」を提唱した。意識して、音楽そのものを楽しむというより、生活を飾るための音楽。
強い自己主張はしない。あくまで黒子として機能する音楽を提唱した。
目の前に立ちはだかり、鑑賞することを求めてくるのではなく、ふと振り向けばどこかしら物陰にひっそりと佇んでいる。そんな音楽を彼は謳った。
ジムノペディ第1番もそうだ。静かに、控えめに、何気なく耳に入って次第に心に染み込んでくる音だ。
You tube  ジムノペディ第1番
今や音楽は消費財として、家具として、まさしくサティが提唱した通りの存在に成り代わっている。

背景音楽を提唱しただけではなく、彼は調整や和声、拍子など、音楽の基盤になる作曲技法について、ことごとく新しい試みを加えたという。
そうした彼の技法は、ラヴェルやドビュッシーといった印象派として一時代を築いた作曲家はもとより、西洋音楽の美意識を覆したストラヴィンスキーの三大バレエ音楽にまで影響を及ぼしたという。




サティのピアノ曲は、19世紀のショパンやリストのように、音を濃密に緻密に盛り込み、音の一大絵巻を構築するのではなく、より簡素に、しかし精密に音が構築され、水墨画もしくはミュシャのポスター画のように物静かに佇んでいる。
音と音の狭間が意識されることによって、余韻が拡散していく。僕の好きなラヴェルやドビュッシーは、そんな彼の音楽に影響を受けたのだそうだ。彼らの音楽は19世紀にはなかった響き、空気の中に溶け込んでいくような静謐な音をもたらした。
目立たないくせに、影響力がやけに大きい裏ボスのような存在、それがサティなのだ(と思う)。
ウィキペディア:エリック・サティ


最初は目立たないが、次第に変容して存在感を増して、世界を乗っ取ってしまう「Star’s Rond」は、夢の世界が登場人物たちを飲み込んでしまう「ビューティフル・ドリーマー」をまさしく具現化した曲である。
背景音楽でありながら物語世界を乗っ取っていく「Star’s Rond」は、音楽という魔物を音楽会場から日常生活に解き放ち、到るところに忍び込ませた魔法使い、サティの申し子と呼ぶのに、実に相応しいと言えよう。

さて、次の話題に移ろう。
実はこの映画には物語の始まりを明快に表す曲がない。
映画は冒頭、いきなり廃墟と化した友引町の場面から始まる。
背景には弦楽器(を模した恐らく電子音)が、不気味というか、どこか異質な空気を感じる響きで、以下の旋律を奏でる。
(iPhoneのTiny Pianoに記されている記号を並べてみる。例によってど素人のことなのでお許しを)

D4-A3-G3-3F-G3-A3- D4-A3-G3-3F-G3-A3(繰り返し)
C4-G3-F3-Em3-F3-G3- C4-G3-F3-Em3-F3-G3(繰り返し)
A3-D4-E4-A3

たぶん観客はこれを主題曲と思うことはなかっただろう。
「オンリーユー」はエルとあたるが出会う回想場面が愛らしい影絵として表現された導入の後、題名とともに「I, I, YOU & 愛」が高らかに物語の始まりを告げ、観客を一気に映画の中に引き込んでくれた。
多数の人気映画に音楽を寄せたジョン・ウィリアムスは、勇壮で親しみやすい旋律を必ず用意して、映画の初っ端にバーンッ!!とかましてくれた。
「スター・ウォーズ」「(1970年代の)スーパーマン」「インディ・ジョーンズ」「ジュラシック・パーク」・・・・実は微妙に似ているのに、けれどもそれぞれの映画にぴったりはまりこむ主題曲を彼は作曲し、まさしく「これぞ映画音楽!」というに相応しい。


しかし、この曲は「うる星やつらの映画が始まったけど、何かいつもとは全く違う“異変”が起きている」という認識を芽生えさせる。
「映画が始まった」ということよりも、「いったい何が起こったのか?」に意識を向けさせる音楽だった。
物語の始まりを告げるのが主題曲なら、この映画には主題曲すら存在しない。
そして、この曲はLPにもCDにも収録されなかった。
この曲が流れる中、突如、場面は急転換して「学園祭の前日」の場面に移行する。観客をとまどわせたまま、「なし崩しに」映画は始まるのだった。

しかし、映画の冒頭、幻影のように忍び込んだ旋律は、その後も姿かたちを変えて登場するのだ。
次にこの旋律が登場したのは、しのぶが風鈴の迷宮に足を踏み入れる直前の場面だ。
夢邪鬼の結界によって、友引町から出られなくなった(家に帰れなくなった)あたるの仲間たちが、あたるの家におしかけて一晩宿泊し、さてまた「明日の学園祭の準備のために」学校へ向かおうという件だ。
登校中のあたるやラムたちの姿が、昨夜の雨でできた水たまりに映し出される。
ゆっくりと、スローモーションで描かれた画面とともに、今度は静かな風のような響きに伴われてあの旋律が現れる。
ピアノで始まり、次いで笛のような響きが優しく、静かに、静かすぎるほどに音楽が進む。
ところが気がつけば、あたるは水たまりの中に溶け込むように沈み、しのぶはしのぶで、ふと目を逸らしたばかりに、風鈴の迷宮に閉じ込められてしまった。
あたるたちを包み込んでいた優しい旋律は、姿を変えていた。
美しい旋律ではあるのだが、何か様子が違う。おとなしい人と思っていたら、実は目を剥き何やら言葉を吐きながら迫ってくるではないか。
「Star’s Rond」と同様に、音楽の変容が世界の変化と連動している。音楽が(世界が)しのぶをそのまま取り込んで、自分の懐に飲み込むような、そんな恐怖と恍惚がないまぜになった感情を、実に見事に表していた。
そして、最後には一瞬の嵐が吹きすぎた後のように、何事もなかったように曲は終わる。
この曲は「メインテーマ~不安」と題されて音楽集に収録されている。
あたかも、音楽(旋律)そのものが映画世界の意志であるかのような存在である。

最後にこの旋律が登場するのは、夢の中の友引町が崩壊する場面だ。
ヒュルルル・・・と打ち上げ花火のような短い前奏に続いて、あの旋律が世界の崩壊を告げる。それはあたかも黙示録に登場する、世界の終わりを告げる天使のラッパのようだ。
荒れ狂う嵐の様に、幾つもの楽器が一斉に吹き鳴らされる。
フル・オーケストラ(風)の重厚かつ壮麗な響きは、獏(ばく)によって虚構をはぎ取られ、はりぼての姿を晒されてゆく無残な友引町の末期をみて、怒っているようにも嘆いているようにも聞こえ、画面に厳かな様子さえ与えるのだった。
この曲は「We expect・・・」の中に他の曲と一緒になって収められている。

映画冒頭の曲、「メインテーマ~不安」、「We expect・・・」の3曲は全く異なる様相、響きを呈しており、別の曲と言っていいくらいだ。しかし、使われている旋律が共通することにより、映画の流れに連動している。
一つの旋律を状況に併せて、これほど変貌させることができたのは、やはり編曲という「その旋律に、その場に最も相応しい姿、装いを与える」技術の最高峰に立った星勝ならではと言える。
いや、編曲のみならず、作曲者としても実に素晴らしい。これほどまでに独創的であり、唯一無二でありながら、時の流れにさらされても風化しない「音楽」としての魅力に溢れている。これはまさに星勝が創造した渾身の歌であり、耳に残り続ける音楽だ。
それにしても、星の音楽は物語と一体化し、その世界を具現化している。
これはもう、押井守の意図するものを完全に理解して行われた仕事に違いない。
星は押井守の意図、物語の特殊性(通常のうる星やつらとは全く異質であること)への深い理解の下に作曲を行い、曲を構成している。
もはや「『ビューティフルドリーマー』には星勝のこの音楽しかありえない」という境地に達して。映画の音楽監督としては最高の仕事である。
恐るべきは星勝と言わざるをえない。
さすが、黄金時代のキティレコードを、実質的な音楽監督として支えた人物である。
「ビューティフルドリーマー」が星勝という「総合的」音楽家と巡り逢えたのは、本当に幸運であった。
もし、音楽を担当していた作曲家が星勝でなかったら、どうなっていたことだろう?

押井と星の協同作業は恐らくこれきりだ。
押井映画の音楽の伴侶と言えば、「紅い眼鏡」以来、押井を支え続け、今や大河ドラマの作曲まで出世した川井憲次である。
それはそれで幸福な出会いだったと思うのだが、押井と星の出会いが、あるいは奇跡だったのかもしれない。
(この項、続く)


次回はこの項をお休みして、もう一度、子宮頸癌ワクチンを巡る現状について触れる予定だ。
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「メインテーマ~不安」ですが、芥川也寸志の「交響三章」(トリニタ・シンフォニカ)の第2楽章を意識しているように思えます。芥川の方を後で聴いたのですが、驚きました。
  • 2015-10-12 02:12
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