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フェアライトCMIと安西史孝と星勝と

前の記事から半年もたってしまった。
その間にもこの国は危険な道を歩んでいる。
しかし、それを喜んでいる人もいる。
だが、僕は勇ましい言葉は信用しない。勇ましい言葉をはく者は、絶対に自らを危険にはさらさず、危険を誰かに押し付けるからだ。
勇ましい言葉は権力にすり寄り、保身のために他の価値観を排除していく。

それ以前に果たして、いざ「有事」という時に、今の日本に強かに立ち回り、少なくとも「敗北」を回避する能力があるのか?


うる星やつらサントラLP

キティ・グループ総帥の多賀英典がアニメ製作にどれくらい情熱を感じていたか、僕には知る由もない(※1)。
しかし、キティ・フィルムを設立したのが1979年、TV版「うる星やつら」を製作したのが1981年であり、アニメを手掛けたのは会社設立とほとんど同時期である。当初から多賀は「アニメも作りたい」と考えていたのではなかろうか。
どうであれ、キティ・フィルム製作のアニメ番組第一号「うる星やつら」に対して、キティ・レコードは、アニメの枠を超えた画期的な歌と音楽を提供したのだった。

この作品では、主題歌こそ最初の2年間、「ラムのラブソング」で通したが、副主題歌は半年毎に更新された。それだけでなく、劇場版第一作目「オンリー・ユー」の公開前後には、主題歌である「I, I, YOU & 愛」が映画の宣伝も兼ねて副主題歌として放送された。
今では当たり前の連携商法だが、「うる星やつら」以前にこのようなことをしていた番組があったか、僕には記憶がない。
キティ・レコードは、今では一般化した連携商法を、1980年代に「うる星やつら」で先駆けていたと言える。
しかもだ。キティ・レコードが番組に提供したのは恋愛の歌だった。
1980年代当時ですらまだ根強かった「アニメ=子供番組=童謡・行進曲」の既成概念を根底から破壊する、ラブソングのオンパレードだったのだ。
TV局が対象年齢をどのように考えていたのかを伝える資料を知らないが、キティ・レコードが展開した戦略は、明らかに高校生以上の世代を狙ったものだった。

主題歌第一号「ラムのラブソング」は作詞:伊藤アキラ、小林泉美、作曲・編曲:小林泉美、歌唱:松谷祐子の布陣だ。
異能の小泉を起用したこの主題歌で、キティ・レコードは当時のアニメソングの枠をいきなり超えてしまった。
アニメソングのくせに、その中身は「高校生以上が視聴するTVドラマ」で流れてもおかしくない内容だった。それだのに、アニメ本編と何の違和感もなく調和していた。
80年代当時にこの歌がみせた新しさは、2015年の今も定番曲として口ずさまれるだけの魅力を持っていた。
歌詞タイム「ラムのラブソング」
1980年代の少年漫画界ではラブコメの最盛期を迎えていた。ただし、(少年誌だから当たり前だが)男の側からの物語であり、好きな女の子に好きと言えずにうじうじしたり、いらぬ空意地を張っていた作品が多かったように思う。
「うる星やつら」の原作にしても、主役は諸星あたるであり、少なくとも連載初期はあたるの視線で物語られていた。
それが「ラムのラブソング」は

男の人って いくつも愛をもっているのね
(中略)
わたしだけ愛してよ いつでも一人だけを

女の側から「男の浮気本能」を軽やかに牽制しながら、自分の恋心こそ主役であると歌い上げて、男を圧倒する女の積極さが歌われていた。
「あちこちに ばらまいて」
という歌詞などは、男の愚かさをずばりとついて、笑わせてくれる。
男の浮気心という題材を喜劇のごとく軽やかに描写したこの歌には、スポ根だの、別れの涙だの、男女の駆け引きだの、学生運動だの、安保だの、公害だの、戦争の記憶だの、うんぬんかんぬん、日本人が1970年代まで引きずっていた、「重苦しさを伴った感性や社会性」から解放されたと「錯覚させる」だけの力があった。
1970年代なら、男に浮気されたら悔しいとか悲しいとか、別れるとか身を引きますとか、何とかかんとか、とにかく不幸という言葉が溢れだすのが通常だった。
それが、
「男の人って いくつも愛をもっているのね」
「あちこちにばらまいて 私を悩ませるの」
と、軽く愚痴って、終わり。
その小気味好いテンポと相まって、「あ、時代の空気が変わった?」と感じさせる主題歌なのだ。
子供向けのアニメ番組でこの歌を流す。確かに幼児がこの歌を歌っているところを想像すれば、頭がくらくらしそうにならないでもない。

まだ「最強ロボダイオージャ」や「ゴールドライタン」「ゴライオン」「Drスランプ」が同時代に放送され、それぞれが子供アニメらしい主題歌を提供している中で、キティ・グループ発のこのアニメ主題歌は、テクノポップの音楽に乗せて、より大人びた男女関係を描くことにより、アニメ音楽の世界に地殻変動を起こしたと言ってもいい。
1981年のアニメ一覧
だからこそ、恐らく当時の大人たち(1930年代から1950年代生まれ)、自分の世代の価値観を下に押し付けることが躾と思っていた世代は慌てたことだろう。

そうした「うる星やつら」の音楽の礎を築いたのは、主題歌を作詞作曲した小林泉美であり、劇判音楽を作曲した安西史孝であり、天野正道だった。
小林はその日本人離れした感性で、それまでの恋愛観をひっくり返した自由奔放な世界を築いた。
1980年代と言っても、まだ歌謡界の基本的思想は「純愛」だったと思う。
男であれ女であれ、一人の恋愛対象に対して誠実であったかどうか。その恋愛が成就したか破綻したか。そうした基準で世界観を築いていたと思う。
それに対して小林は、「浮気しようが何だろうが、おつむの中身が阿呆だろうが構わない。私はこの男のことが好きなんだから」と、相手との関係性以前に自分の我を前面に打ち出す歌を歌ってしまったのだ。
見過ごされているが、小林は革命児なのである。

「うる星やつら」で採用された歌の中には、以前にキティレコードで発売された作品の歌詞を多少、番組用に変更して再登場させることもしていたらしい。その元歌がそもそも「大人向け」なのだから、子供向けになるはずがない。
「うる星やつら」では、小林泉美を筆頭に、多数の歌手、作曲家、作詞家が、一癖も二癖もある歌を提供した。
yahoo知恵袋「うる星やつら「Dancing Star」の歌詞は結構きわどいですよね」
そして、テクノポップを基本にした安西と天野の軽やかな音楽は、アニメ音楽の新しい時代の幕を開けたと言っても、これまた過言ではない。

1980年代の軽さ、軽やかさの象徴の一つとして、YMOによるテクノポップの響きがあげられるだろう。
「テクノポップ(Technopop/Techno Pop)は、シンセサイザー・シーケンサー・ヴォコーダーなどの電子楽器を使ったポピュラー音楽で、1979年から1980年にかけて日本で大流行した。」
ウィキペディア:テクノポップ
世間の動きに疎かった僕ですら知っているYMOの「ライディーン」にしても、「インベーダーゲーム」の効果音を重ねあわせたくなるような、ゲーム音楽に通ずる軽やかさと美しさを感じさせていた。
当時の電子楽器の技術的制限は作曲や演奏の上で足かせになっただろうが、その代わりに1980年代に共通する「その時代に普遍的な響き」を音楽が共有することにもなったことだろう。



安西史孝は昭和33年(1958年)生まれ。不思議なことに平成27年の時点でウィキペディアに彼の項目はない(※2)。
以下の記事によれば、音楽家の家系に生まれ、18歳の時期に既に電子楽器(シンセサイザー)を部品そのものからいじり倒す道を歩き出している。
恐ろしいことに、やはり18歳で「作曲、楽理を有馬礼子氏、故小舟幸次朗氏に師事。ジャズピアノ理論を塚原愛子氏、故八城一夫氏に師事」とあるが、出身校の記載がない。
どういうことか。
つまり、音楽大学にいかず、両親の人脈で紹介された先生に個人指導を受けたということではないのか。
これは相当のものである。その上、師事したのも下記の通り、一角の方々ばかりである。恐ろしすぎる、安西家。いわゆる良家でなければありえない経歴である。
安西史孝略歴
タワーレコードの安西史孝の紹介
有馬礼子


小舟幸次朗
塚原愛子自伝
タワーレコードの八城一夫の紹介

彼に関する記事を読んでいて感じるのは、「電子楽器をいじるのが楽しくて仕方がない」という安西の気持である。
彼の電子楽器に対する思い入れは筋金いりで、以下の対談の中でも「またメーカーには(それが短期的な収益に結びつかなくても)アマチュアユーザーが触る事すらできないような超高級楽器を開発して欲しいと思います。」「『このモジュールとこのモジュールをつないでボリュームをこんな風にセットしたら、きっとこんな音が出るぞ』なんて妄想に耽る事ができるくらい魅力的な楽器が再び登場する事を望みます。」
うわああ、オタクだ。でも、凄いぞ。
安西史孝氏インタビュー:電子音楽史に残る“幻の名盤”『TPO1』が25年ぶりに再発

安西は今でいう「理系クン」なのだと感じる。と同時に、「音楽家」としての才能も備えていたのだから、「天が二物(にぶつ)を与えちゃった」人間なのであった。
先ほどの略歴をもう一度、見て欲しい。19歳で職業音楽家として活動開始。しかも、下積み生活とは無縁で、19歳の時点で各地に講師として招聘されている。既に第一人者扱い。
23歳の時点で「自らのスタジオで制作した TV アニメ"うる星やつら"シリーズのレコードがキャニオンレコードで年間優秀ヒット賞と 2 本のヒット賞を受賞」とある。
ば、化け物か!?
しかも、「自らのスタジオ」って・・・・。23歳でっせ。
どうしたウィキペディア、なぜ「安西史孝」の項目がない、なぜ誰も記事を書かない?
そう叫ばずにはいられないような御仁なのである。

「オンリー・ユー」LP表
安西&天野解説
さて、安西は自身が「うる星やつら」原作の愛好家だったそうだ。TVアニメ製作を知るや、作曲者として自分を売り込んだのだと「オンリーユー」劇判LPの解説に記している。
やがて彼は天野正道とともに当時の最高峰の電子楽器フェアライトCMIを日本人として初めて購入し、TPOという演奏集団を作った(※3)。
そのフェアライトCMIを駆使して作曲・演奏したLP第一号が、あの「オンリーユー」の劇判なのである。LPの解説には安西と天野が寄せた文章が掲載されており、そこからは最新鋭の楽器を手にして嬉々としている彼らの様子が伺えるのだ。
このフェアライトCMIだが、安西たちにとっては単なる楽器を超えた存在なのだと思う。今でも彼のこの楽器に対する思い入れは、あたかも人生の伴侶に対するそれのようだ。
何しろ、この楽器は、手に入れただけではただの鉄屑に過ぎない。命を吹き込むためには、電子機器としての構造、性能、操作法を知り尽くさなければ、その実力を発揮させることができないのだ。
しかもフェアライトCMIはオーストラリアで製造されいた。日本に代理店すらなかったのではないか。
この楽器について学ぼうと思っても、当たり前のことだが日本には教えられる人間が一人もいない。メールもネットもない1980年代のことである。自分がオーストラリアまで行くしかない!
だから、英語が話せる天野正道がオーストラリアまで赴いて、楽器の使い方を学んでいる(※4)
ウィキペディア:天野正道
個々の楽器に高度な奏法や技巧があるように、電子楽器であるフェアライトCMIにも音を出すために必要な手続き(プログラム技術)があるのだ。その技術に秀でているかどうかで、奏でられる音は陳腐にもなろうし、あるいは素晴らしい響きを聴かせてくれるかもしれない。
そう、フェアライトCMIは演奏者に修業を要求する、特別な楽器だったのだ。
ウィキペディア:フェアライトCMI

繰り返すが、そんな特別な楽器、フェアライトCMIの日本での初演奏が、「オンリー・ユー」の劇判なのである。LPを買った僕らアニメ愛好家はそうした事情をちゃんとわきまえていたが、当然のことながら一般の世間は知る由もない。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」の映画を観るために中高校生が夜中から行列で公開初日を待とうが、ガンプラが大流行しようが、当時の大人たちはアニメを評価することも尊重することもなかった。
当時はFM放送が現在のyou tubeのごとく無料で楽しめる高音質音源として重視されており、いくつもの専門誌が発売されて、FM番組の情報を伝えていた。どの雑誌かは忘れたが、「オンリー・ユー」とは別の(一般音楽の)作品をフェアライトCMIを用いた最初のLPと誤報を掲載して、アニメ愛好家から抗議されることがあった。
ある程度、取材をすればすぐにわかることなのに、いい加減な仕事をしやがって、あるいはアニメ音楽を無視しやがって、と当時は思ったし、今でも思っている。
フェアライトCMIの初仕事が「オンリー・ユー」であったことは、この楽器にとって幸運だったと僕は思う。
映画の型にこだわらなくていいアニメ作品の音楽を、アニメ音楽の型にこだわらない作曲家たちが、それもフェアライトCMIに惚れ込んだ男たちが、喜び勇んで仕事に打ち込んだのである。
壮大な主題曲があり、お遊びの小曲があり、華麗な情景曲があり、多種多様な音を生演奏を超えようという気迫に満ちた二人がフェアライトCMIに奏でさせたのだ。
その楽しさは今でも変わらない。80年代の電子音楽と馬鹿にするなかれ、改めて聴いてみるとなかなかに深い響きがして、「あ、いいじゃない」と感じられるのだ。
残念ながら、このにぎにぎしくも楽しい劇判もまた、中古LPかCDを捜すしか聞きようがない。
安西はこの仕事の後、伝説のアルバム「TPO」を発表した。TPOとしての活動は諸般の事情により短期間となったようだが、安西史孝として多数の作品を発表している。
それらの音を聴いていると、彼が「オンリーユー」作成の過程で培った旋律や音作りがそこここに聴かれて、改めてこの劇判音楽の価値を実感するのだった。
しかし、安西の支持者や「音楽評論家」たちが、「オンリー・ユー」の評価をどこまで真っ当にしてくれているのかについては、大いに不安と不満がある。
安西史孝さん、知られざるシンセサイザー音楽家


「オンリー・ユー」LP裏

さて、これがどのように「ビューティフル・ドリーマー」と繋がっていくのかというと、僕の憶測でしかないが、この劇判に恐らくフェアライトCMIも参加しているということだ。
「ビューティフル・ドリーマー」の楽器編成はピアノの独奏から管弦楽まで多岐にわたるが、恐らく管弦楽の曲はその均質な音の響きから見て電子楽器により演奏されていると思われる。
いくら高中正義ですら演奏者として名前を載せなかったとはいえ、通常は人を集めて交響楽団を結成していたなら、せめて某かの名前(コロンビア・シンフォニック・オーケストラとか)だけでも形式的につけて掲載するものだ。
それもないことをみると、やはりこれは電子楽器による演奏であり、
-当時のキティ・レコードの状況を考えれば
-この劇判が「オンリー・ユー」の次回作であることを考えれば
-更に星勝がキティ・レコードの総音楽監督の立場であることまで考えれば
フェアライトCMIの達人、安西(もしかすると天野も)が、「ビューティフル・ドリーマー」の録音に参加していないはずがないのである。

間違っていたら、ごめん。誰か、代わりに当事者の方々に取材してください。

(僕の妄想が正しいという前提で進めるが)そこまで考えていくと、やはり「ビューティフル・ドリーマー」は特別なLPなのだ。単に映画の劇判を超えた、「星勝製作・総指揮」によるキティ・レコード全面支援体制による作品であり、その存在の大きさは映画本編からの独立性まで有してると言えるほどなのだ。

ここで、更に疑問が湧いてくる。
原作者側の干渉を排除するため、押井守は「ビューティフル・ドリーマー」の物語の内容を、製作が間に合うギリギリまで伏せていたと伝えられている。
一方、星勝による音楽は、押井守が描こうとした世界観を十分に理解し、見事に具現化したものである。「Star’s Rond」で記したように、物語の構造そのものを音楽で言い表してしまっているほどである。
また、繰り返し述べたように、星勝の号令のもと、録音にはキティ・レコードの錚々たる面子も参加していた。すなわち、キティ・レコードの全面的な支援のもとに製作された。
そう考えてくると、「それでは星勝(キティ・レコード)はいつ、押井から作曲を依頼されたのか?」という疑問が湧いてくるのだ。
少なくとも「ビューティフル・ドリーマー」の内容をよく把握していないと、「Star`s Rond」や主題曲は作曲できない。それなりに綿密なやり取りを押井と交わさないと、成しえない仕事に思われる。
もしかすると、星勝(キティ・レコード)は、原作者が知るよりも早く、映画の本当の姿を押井から伝えられていたのかもしれない。
それとも、ギリギリの期限で内容を知らされた星勝が、超人的な活動で物にしたのだろうか?
もしも前者なら、キティ・レコードひいてはキティ・フィルムは押井の共犯者ということになるだろう。原作者をあざむいてまで、「おもしろい」映画を撮ろうということで思惑が一致したものなのか。

もっと根本的な疑問を言えば、「どうして星勝が作曲を担当したのか?」ということだ。
なぜ安西&天野ではなかったのか。
押井は傲岸不遜にも「主題歌だって本当はいれたくなかった」とうそぶいている。監督作については相当、独占欲が強いようで、「恋はブーメラン」の存在すらも疎ましかったようだ。
観客の立場からすれば、あの最後の「死ぬまでやっとれ」の台詞の後、「恋はブーメラン」が流され、この歌によってそこはかとなく映画のことを思い起こした後、友引高校の歪んだ鐘の音が響いて終わるという一連の流れがあってこそ、強い余韻を残したと思っている(※5)。
この流れから「恋はブーメラン」が欠落していては、それこそ押井の独りよがりが強調されてしまったと思う。よくぞ、押井に主題歌を受け入れさせた人がいたものだと思う。
人の意見も少しは聞くものだ。
さて、それほど自我の強い押井だから、己にとって汚点以外の何物でもない「オンリー・ユー」の色が濃い、安西と天野、小林を排除したかったのかもしれない。
あるいは単純な理由として、彼らの祝祭気分に溢れた音楽世界が「ビューティフル・ドリーマー」の世界観に合わなかっただけのことかもしれない(※6)。

話を戻そう。
僕としては、星勝がこの作品の音楽「監督」に選ばれるまでの経緯に至極、興味がある。
提案したのは誰か、監督の押井か、それとも押井の魂胆に惚れ込んだキティ・フィルムの多賀か。どうにも星が自発的に手をあげたとは僕には思えない。
あるいは押井の強引なやり方に手を焼いた人がいて、押井の相手ができるのは星くらいだろうと推薦したのか。
妄想が広がるが、しょせんは妄想。
誰かが明らかにせねば、戯言で終わる。

最後に、改めて「うる星やつら」の音楽は画期的だったのだなあと感じている。
ここにもたくさんの人の想いが秘められ、音楽という場に結実している。
音楽を語ることは、人を語ることでもある。
一方通行ではあるが、多くの人の想いを知ることができて、幸運だったと思う。

ただ、以前は押井を支持する気持ちが強かったのだが、彼の考えや態度を知るにつけ、「こりゃ合わんな、自分とは」と強く感じるに至った次第だったりする。
監督とは大なり小なり自己中心的であり、自己正当化の権化のようなものであろうが、それを声高に言われると鼻白む。
「オンリー・ユー」を否定するのもどうかと思う。これがなければ「ビューティフル・ドリーマー」はなかった。

しかしながら、徹底した自己正当化は、裏返せば批判に対する恐怖心の表れでもある。

最後はやけくそぎみだが、この稿、終わり。



※0)「ビューティフル・ドリーマー」の印象深い場面として、「深夜のちんどん屋」がある。夜食を買いに深夜の街に出かけたあたると面倒が、交差点でちんどん屋と遭遇するのである。
なぜに深夜にちんどん屋?
舞台が不条理な世界に突入したことを象徴する場面と言えようか。
この場面で流れたちんどん屋が奏でる曲は、どこか物憂げでしかし懐かしさを感じさせるものだった。
不思議なことに、劇判集に収録されなかっただけではなく、ドラマ編のLPでは別の曲に差し替えられていたのだ。原曲とは似ても似つかない、妙に明るい調子の曲で、全く場面の印象が変わってしまうのだ。この明るい方の曲は、CDに特別収録されていたが、TVアニメ「さすがの猿飛」用に作曲された曲を流用したという文章があって、現在はこの記事が拡散しているようだ。
Rumic Data File劇場版編
※1)多賀は、現在も「銀河英雄伝説」の舞台製作に関わっている。もともとはアニメ製作が始まりであった。
銀英伝舞台HP
銀英伝舞台HP
※2)彼を「マイナー」と評したブログもあるが、アニメ愛好家の故か、「うる星やつら」でそうとう馴染んだせいか、僕からすると「そんなに知名度ないかなあ・・?」なのだが。
安西史孝さん、知られざるシンセサイザー音楽家
※3)というか、フェアライトCMIを日本に導入するために人を集めたことが、TPOの結成につながったのだと「TPO」のCD解説書に記されている。
※4)安西は別の仕事が入っていたため、渡豪できなかったそうだ。たぶん、物凄く悔しがったのだろうなあ。
※5)どこかしら哀感の漂う「愛はブーメラン」は、「ルーミックワールドなどと言っても、しょせんは虚構」と暴露した、映画本編の持つ残酷さを和らげてくれた。「(楽しい世界が)去っていったとしてもまた帰ってくるかもしれない」と。「主題歌!? そんなもんいらない」というのは押井の勝手だが、僕らはこの歌に救われた部分もあった。
※6)だとしても、それまで「うる星やつら」の音楽世界で重要な役割を果たしてきた小林泉美の「ラメ色ドリーム」の劇中での扱いは最低かつ非礼にすぎるものだ。
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