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さらば天龍、響けthunder storm!!(後篇)

(承前)
ここでビンス・マクマホン(Jr)についても触れておこう。
というのも、この男はプロレスの歴史を一代で塗り替えてしまったからだ。今後、プロレスについて語ろうとしたら「マクマホン前」「マクマホン後」と区別せざるをえないほどなのだ。

経営者としてのビンス・マクマホン(Jr)の特異性については、色々と記事があるので目を通されるとよい。いかに彼が破天荒か、よくわかることだろう。
マクマホン物語
プロレス列伝第3回:「闘う悪の経営者」ビンス・マクマホン
アダムとイヴはアダムとスティーブではない!:経営者としてのビンス・マクマホン
しかし、単に破天荒というだけなら、世界に目を向ければ常識を超えたような経営者はいくらでもいる。日本でもユニクロの柳井正、ソフトバンクグループの孫正義、かつてのダイエー中内功のごとく、強烈な個性を持った経営者はいくらでも頭に浮かぶ。
「世界のビジネスプロフェッショナル 経営者編」
しかし、マクマホンには他にはない異質さがあった。
それは自らを商品化したことだ。
自分の「権力そのもの」を見世物にしたことだ。
WWFは1990年代後半、大富豪テッド・ターナーの傘下に入ったWCWとTV戦争を繰り広げた。この時期、ハルク・ホーガンなど花形選手を次々とWCW側に引き抜かれ、WWFは劣勢に立たされた。業績は悪化し、破産寸前まで追い込まれようとした時、マクマホンは自らリングに上がり、「WWF物語」の登場人物になったのだ。


それだけではない。彼が演じたのは二枚目どころか三枚目ですらない。社長としての権力を盾にして傍若無人に振る舞う、くそ憎たらしい「悪役」を演じて、善玉選手の徹底した引き立て役を担ったのだ。それはもう、裏の主役といっていいくらいの存在感だったそうだ。
リングの上のマクマホンは徹底して下衆で下品だった。WWFで絶対的な権力を握っているマクマホンが、リングの上では善玉レスラーにいいように叩きのめされてしまう。
現実のマクマホンは、どんな人気レスラーでも顎でこきつかう絶対の権力者だということを、客の誰もが知っている。国家の危機に際して、強面の専制君主が道化を演じて国民の笑いをとったようなものだ。
自分の持つ「権力」すら見世物にして、商売にしてしまう。こんなことができる経営者は、世界広しと言えど、他にはないだろう。
それが大衆に大うけしてWWFの業績が回復したというのだから恐れ入る。マクマホンとストーン・コールドの抗争は一時代を築いたと言える。

しかもそれだけで済まないのが、マクマホンの凄みである。彼は自分の家族すらも「WWF物語」の舞台にあげてしまった。妻と長男、長女までが登場することになった。言うまでもなく、全員がプロレスの素人である。
妻のリンダ・マクマホンは実業家の家庭に育った、要するに「お嬢様」だった。息子のシェイン・マクマホンを、リンダの実家が保有する会社の経営陣に迎えようという動きがあると伝えた記事を昔、読んだ記憶がある。週刊ファイトだったろうか。要するに資産家なのだ。
つまり、マクマホンは大学出の良家のお嬢様である妻にも、ハチャメチャな物語の登場人物を演じさせたわけだ。よく妻の実家から不満が出なかったものだし、妻にしてもよくぞ付き合ったものだと思う。
更に息子(シェイン)と娘(ステファニー)もボストン大学の卒業生である。因みにボストン大学は入学の難易度も最高順位で、世界的な大学としての序列も65位と相当の高学歴である。
通常なら選ばれし者として、それなりの経営・経済に関わる道を歩みそうなものだが、そんな二人をマクマホンは自分の会社(WWF)に就職させ、現場労働者として働かせた。
ここら辺のビンス・マクマホンの感性、主義は、他の経営者と比べてどうなのだろう。大阪商人風に言えば、跡取り息子を一番下っ端の丁稚扱いから修業させたようなものだ。さすがにそこまでする経営者は少ないのではないか。
やがてこの息子も娘もWWFの現場の人物(レスラー)と結婚することになり、配偶者も幹部として扱われるようになっていく。まさしくWWF(WWE)は「マクマホン一座」と言える体制になっていく。
子供らの結婚にしても、普通なら他の実業家の子弟と姻戚を結ばせ、米国経済界に閨閥を広げていきそうなものだが、ビンス・マクマホンは徹底してWWEに自分の家族を取り込んでいった。政略結婚など求めず、子供たちが仕事の中で自然と見初めた相手との結婚をためらうことなく許したという感じもする。
この血縁関係を内に内にと強めていくマクマホンの様は、興味深い。
そこには父親であるビンス・マクマホン・シニアに対する激しい敵意、父親と自分を差別化しようという執念が感じ取れないこともない。
でも、もしかすると寛容さの結果ではなく、自分に絶対に服従する人間で周りを固めようとした結果なのかもしれないけど。

マクマホンがただの背広組でないし、ただリングに上がって道化を演じていたわけではない。自身も「レスラーとして」危険な技を出したり、屈強なレスラーの技を受けたりしている。
つまり、文字通り体をはっていたのだ。
もちろん、本人がプロレスが好きなのだということもあるだろう。素人ながら、マクマホンはボディビルディングで肉体を鍛え上げており、「プロレスラーと並んでも体格で引けを取らない経営者」「プロレスもできる経営者」である自分に陶酔している面もあるのかもしれない。
それをならってか、息子のシェインもまた、自らリングに上がり、危険なダイビング技を披露している。
WCWとのTV戦争に勝ち抜いたマクマホンは、逆にWCWを買収し、その社長にシェイン・マクマホンを就任させた。この時期、シェインもリングに上がって、いきなり危険な技を実践してみせて、新たに支配下にはいった現場のレスラーに向けて、「ただのボンボンやないで」と睨みをきかせ、腹の座ったところを見せたものだった。
親の七光りとは言わせねぇ!プロレス技『ダイビング・エルボー・ドロップ』

今もなおWWEは益々の発展を示している。2015年のレッスルマニア31は7万7千人近い入場者を集め、開催地の市長から歓迎の祝辞をもらい、収入もこの1大会のみで15億円を大きく上回ったという。
世界最大プロレスの祭典『レッスルマニア』数々の新記録樹立!

大会が開かれた会場では例年、米国最大のイベント「スーパーボウル」も行われるのだそうだが、その「スーパーボール」を上回る観客動員をレッスルマニア31で達成したという。
世界中から観客が押し寄せらしいし、地元経済も大いに潤ったことだろう。
だからこそ、市長がわざわざ祝辞を述べたのだ。それだけWWEの経済効果は大きかったのだ。

この数年間、WWEの年商は5億ドル(1ドル=120円なら600億円)前後で推移している。因みに、業績が急上昇中の新日本プロレスの2015年度の年商が27億円強だから、会社の規模としては雲泥の差がある。
今やWWEは経営の重点を変更し、過去の興隆の礎となった「特別番組の有料放送で収益を一気にあげる」形態から、「月額払いの見放題」で固定客をつかみ、安定した収益を上げる形態を選択している。
更には全世界の観衆を取り込むために、各国で埋もれているプロレス映像の権利を全て取得しようとしているのだそうだ。つまり、WWEは世界のプロレスの歴史そのものを支配下に収めようとしているわけだ。
GOOGLEが全ての情報を手中に収めようとしているように。
エヌヒトのアメプロ万歳!より

日本でも埋もれつつある映像は無数にある。日本テレビが有する日本プロレスに始まる全日本-ノアに到るプロレス映像も今後、どうなるかわからない。
現在の日本テレビにとって、プロレスの映像資料がどれだけの価値があるのだろうか。このまま死蔵し続けるくらいなら、WWEにそれなりの値段で売り払った方がマシと考える人間が出てくるかもしれない。
だが、他国の一私企業に日本の文化財産を譲り渡してしてはいけないと思う。
一度、権利を渡してしまえば、企業は自己都合でいくらでも情報を改竄できるからだ。
マクマホンはその強烈な自我故に、何人もの大物レスラーと対立した。ランディ・サベージについては長くWWEの歴史から抹消状態にしていたという。
版権の「権」は、権利の「権」だけではない。権力の「権」でもある。
版権を持つ者は、消費者、観客、一般大衆の願いなど無視して、自分の好き嫌い、利害だけで作品を自由にすることができる。
また、版権がWWEに渡ったとして、ならばその映像資産の今後が安泰かといえばそうでもない。
マクマホンの強烈な個性、感性と突破力で切り開かれたWWEの興隆だが、マクマホン亡き後もこの業績が続くのかどうか。息子も娘も優秀ではあるが、マクマホンの存在が大きすぎるだけに次世代はどうなるかわからないと言える。
更にいくら年商5億ドルといったって、世界規模からみれば微々たるものだ。将来、WWEがより巨大な企業に買収されないとも限らないではないか。その時、日本語の映像資料に価値があると判断する人材が、買収先にいるだろうか。
日本の文化財は日本人が守るべきだと、僕は思う。
(逆に言えば、WWEによる影響が最小限にとどまり、日本が独自の路線を歩めたのは、やはり我々が日本語を日常語としているからだろう。これが米語を使う文化圏に属していたら、WWEの前に恐らく成す術もなかっただろう)

話がそれた。さてと。
話題がWWEの未来にまで飛んで行ってしまったが、改めて時間を平成2年(1990年)に戻そう。
この年の4月13日、東京ドームで「日米レスリングサミット」が開催された。
全12試合が組まれ、うち9試合が全日本とWWFの「対抗戦(交流戦)」だった。
大会の内容は関東圏では黄金帯に2時間枠で放送されたようだ。しかし、関西圏では通常の深夜枠で1時間ずつ分割放送されただけで、しかも大半が短縮・編集されたものだった。
当時、読売テレビにしろ朝日放送にしろ、関西圏のテレビ局はプロレスにもアニメにも冷淡だった。
プロレス観戦のほとんどがTV越しだった僕にとっては、当時の関西圏のTV屋には憤懣やるかたない思いがある。

さて、つらつらとこの大会について述べてみよう。今、改めて見返してみると、日本のプロレスの分岐点がさりげなく散りばめられている。
第4試合では二代目タイガーマスク(三沢光晴)とブレット・ハートが対決した(*1)。
年齢差は5歳、同世代だ。両者とも、この大会からほどなくして、団体の頂点(世界王者)に立つことになるのだが、この時点では中堅選手の扱いだった。
試合結果は20分戦って引き分けになるのだが、印象深かったのは、終盤でハートが仕掛けたスリーパー(裸絞め)の場面だった。ハートは、三沢の首を左側にねじるようにして、首筋に左腕をねじこませているのだが、頸動脈をギリギリのところで締め上げているのか、三沢の顔色が白くなっていくのだ。
三沢の脳への血流が途絶えて「落ちる」のではないかと思わせる状態で、レフェリーは何度も彼の腕を取り、意識が途絶えていないか確認していた。

ブレット・ハートはカナダの出身で、父スチュ・ハートも高名なレスラーだった。家族のほとんどがプロレス界に関わっており、ハート一家はこの世界では知る人ぞ知る名門だ。
余談が続くが、「Wrestling with Shadows」という映画がある。1997年にブレット・ハートはWWFからWCWに移籍するのだが、その際に経営者であるビンス・マクマホンといざこざがあった。その前後の時期を記録した映画であるが、物語性を排した実録作品だ。
この映画に父スチュ・ハートが登場する。1915年生まれだから、この映画の時期には80歳を越えている。ところが、ジサマはまだまだ現役で若者にプロレス指導を行っており、その訓練の場面が映し出された。
それがごつい。やはり裸絞めだったと思うが、屈強な若者が父ハートに締め上げられて、「助けて!」と言わんばかりの苦悶の表情であえいでいるのだ。父ハートはと言えば、涼しい顔で楽々と締め続けている。ハート一家の凄みを感じさせる場面だった。
ブレット・ハートは1992年にWWF世界ヘビー級王座を戴冠する。以後、WWFの最高位のレスラーとして活躍し、レスラーの派閥も率いることにもなる。
しかし、最後の最後でマクマホンが裏切り行為を働いたため、ガチでマクマホンをぶん殴ってWWFを去ることになった。ハートは当時、マクマホンの裏切りに備えて無断でWWFの舞台裏を撮影しており、それらを編集したのが「Wrestling with Shadows」だった。
ハートとマクマホンの確執
目にハートに殴られてできた青あざを浮かべたまま質問に応じるマクマホン
マクマホンの裏切りを見て見ぬふりした若手レスラーたちを冷静な口調で罵るハートの妻
その妻に黙って罵られている若手レスラーたち(その中には後にマクマホンの娘婿になるHHHもいた)
やがて映画は米国とカナダの対立にまで踏み込んでいくのだが、この作品は様々な人間模様を伝える、秀逸な記録映画だった。

話を戻せば、ブレット・ハートがさりげなく繰り出した裸絞めは、父スチュ・ハート仕込みの言わば「奥の手」だったのだと思う(*2)。
誇りと誇りがぶつかり合う大舞台で、ハートが三沢や全日本プロレスに「WWFなめんなよ」と凄んでみせた一撃だったのだと、今にして思う。
三沢を落とすか落とさないかの絶妙な締め具合も、ハートがこの技を自家薬籠としていて、完璧に制御できたからだろう。
この技から三沢は自力では抜け出せなかったと思う。ハートはしばらく三沢を苦しめた後、自ら技をほどいたのだった。
この技を仕掛けられた体験は、三沢にとって、もしかしたら大きな意味があったのかもしれない。後に彼自身がスリーパーと同系統のフェイスロック(顔面締め)を得意技にしたからだ(前者は「落とす」業であり、後者は「まいった」を言わせる技なので、本質が違うが)。
ハートもそうだったが、決してレスラーとしては大柄ではない三沢は、巨大な壁であるジャンボ鶴田に対抗するため、打撃技のエルボー(肘打ち)と、顔面締めを駆使する戦い方を選択するようになったのを思い出し、僕は人の行いの連鎖というものを考えずにはいられないのだった。

ジャンボ鶴田は第8試合に登場した。本来なら「五輪コンビ」として谷津嘉章と組むはずが、確かこれ以前の試合でウィリアムスのオクラホマ・スタンビートを食らって怪我をして欠場となってしまったのだ。鶴田の相方には、大相撲出身でかつて全日本プロレスにも在籍したことのある、キング・ハクが務めた(*3)。
試合はいかにもジャンボらしく和やかに進んで、終わった。
実は天龍とサベージの試合は、この試合よりも後、第9試合として行われている。全日本の現役選手として、天龍がある意味、ジャンボを越えて「トリを飾った」わけだ。それはまた後ほど。

第10試合はWWF世界選手権試合となった。アルティメット・ウォリアーテッド・デビアスという、今から見ると相当に渋い、あまりに渋い対戦だった。
この大会の少し前、レッスルマニア6が「The Ultimate Challenge」と題して開催された。その最終試合でホーガンとウォリアーが対戦し、まさかのホーガン敗北となり、ウォリアーが世界王者となった。
ウォリアーは筋肉むきむきの、いかにも「ステロイドだいじょうぶですか」状態のレスラーであり、意地悪な言い方をすれば「みてくれ」だけの選手だった。それでも、マッチョ大好きの平均的な米国人たちには人気があったようで、レッスルマニアの直前でも大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントに「勝利」するなど、WWFは当時、彼を後押ししていた。
ウォリアーがレッスルマニアでホーガンに勝ったのは、日米レスリングサミット対策だったのだろう。
ホーガンが王者のままであれば、レスリングサミットでもWWF世界王者選手権試合を組まないわけにはいかない。しかし、もしもそこで予期せぬ事態が起こって、ホーガンが負けでもしたら大変である。わざわざ全日本の選手を米国に呼ぶか、ホーガンがまた日本に戻るかして、選手権試合をやり直さなければならなくなる。
商売に長けたマクマホンが、全日本を信頼するはずもない。火種は最初から消しておくに限る。彼なりの危機管理として、「王者は一時的にウォリアーへ」ということだったのだろう。
レスリングサミットでの試合は、巧者のデビアスがうまく試合を盛り上げ、最後はウォリアーのロボット攻撃で逆転勝ちというわかりやすい内容だった。
このウォリアーも後にマクマホンと喧嘩別れをして、彼の情報は一時、封印状態にあったそうだ。

いよいよセミファイナル第11試合でジャイアント馬場と「世界の大巨人」アンドレ・ザ・ジャイアント組が、デモリッションと対決した。
馬場とアンドレは、二人とも常人を越えた身長と体格の持ち主であり、長らくレスリング界では別格の存在だった。
馬場の最盛期は昭和40年代前半、アンドレは昭和50年代と世代のずれがあり、更にはアンドレの日本での主戦場が新日本プロレスであったため、二人が同じリングに立つことは、この時まではなかったのである。
その二人が、この大会をきっかけに、様々なしがらみを超えてタッグを組む。
それはプロレス愛好家にとっては「夢」であった。
それは2種類の神話の登場人物が、物語の枠を超えて共演するようなものだった。
昔で言えばマジンガーZ対ゲッターロボ、今で言えば・・・ポケモン対妖怪ウォッチ??
最盛期が過ぎていたとしても、当時のプロレス愛好家たちはこの両雄がリングに並び立つことを望み、歓迎した。
大巨人コンビの試合はこの試合の後も継続することとなった。彼らの試合内容は、基本的に巨大な二人を引き立たせるものであり、勝敗を激しく争う内容ではなかったが、それでも観客は彼らに温かい声援を贈り続けた。




最終試合はWWFの大スター、ハルク・ホーガン対全日本の外人選手の頂点に立つスタン・ハンセンの対決だった。
この少し前、新日本プロレスとの東京ドームでの対抗戦でも、ハンセンは新日本側のビックバン・ベイダーと頂上対決を行っていた(*4)。
ベイダーの打撃で脳震盪を起こしかけたハンセンが切れて、ベイダーに肘打ちを連発してその右目を潰してしまった。後日、ベイダーはこの負傷のために手術する破目になった。
この結果、ベイダーも怒り狂った。凄まじい打撃をハンセンに食らわせ、日ごろはしないようなトップロープからの飛び技やドロップキックまで繰り出してハンセンをいたぶった。
組み合っても互いの髪を引っ張り合い、恐らく「プロレスの試合」という仕事意識がなかったら、殺し合いになりかねないような殺気がリングを覆っていた。
しかしながら、恐らく日本人であれば壊れてしまうようなベイダーの猛攻を、ハンセンは全て受けきった。相当、苦しかったようだが、それでも「不沈艦」と仇名されたハンセンは、意地でベイダーにやり返すなど、ド迫力のぶつかり合いが繰り広げられた。
この試合はリングアウト引き分けとして処理されたが、全盛期のまっこと巨漢同士が、それこそ真正面からぶつかり合った規格外の戦いで、実質、これが全ての意味での全日本と新日本の頂上対決と言ってもよいくらいの内容だった。
ハンセンが繰り広げた外人選手同士の頂上対決はまだある。彼がまだ新日本プロレスに在籍していた頃、有明コロシアムで現役バリバリのアンドレと大熱戦を繰り広げた。ハンセンは馬鹿でかい上に全盛期のアンドレにボディスラムを仕掛けて成功した。それだけでも凄い試合だった。名勝負として語り継がれている。

どんな大物と戦っても、客を満足させるだけのド迫力の試合ができる。ハンセンはその点で、実力、実績ともに申し分のない選手だった。
事前にはテリー・ゴディ―がホーガンの対戦者候補に挙がっていたようだが、誰の判断か、ハンセンとなった。
ゴディ―が嫌がったという説をどこかでみたが、その反対にむしろゴディ―はホーガンと戦いたかったと思う。なぜなら、レスリングサミットの前夜祭でこの対戦が発表された折、ゴディ―が未練たらしく現れた様子が報じられていたからだ。
たぶん格式や序列を重んじる馬場が、ゴディ―よりもハンセンを選んだのだと思う。また、ハンセンならきっちりと試合をした上で、「勝ちはホーガンに譲る」という仕事もこなすだろうという安心感があったが、ゴディ―はちょうど「成り上がりたい」盛りの頃だったので、不測の事態(ホーガンに勝ってしまったり、怪我をさせたりする)の恐れがあったのだろうと思う(ベイダーに怪我させたけど)。
ホーガンとハンセンの試合は、米国ではご法度の流血試合となる「日本仕様」の展開となったが、最後はきっちりアックス・ボンバーでホーガンが勝利を収めた。
因みにアックス・ボンバーは、ハンセンの必殺技ウェスタン・ラリアットを少し改良した技である。世界的な名声は乏しいが、「仕事人」ハンセンの働きが心に残る試合だった。

なお、この大スターのホーガンともマクマホンは喧嘩を繰り返した。何度も手を握っては別れ、また手を握るということを繰り返したのだが、ついにはホーガンの過去の人種差別発言をつかまえて、永久追放にしてしまった。

さて、天龍は第9試合、ハンセンはおいといて、全日本プロレス側としては実質的な名インイベントに登場し、WWFのスター「マッチョマン」ランディ・サベージと対決した。
サベージはエルガーの名曲「威風堂々」とともに、派手な蛍光色をちりばめた衣装をまとい、女性マネージャーを従えて登場する、「とにかく派手好きな色男」という設定のレスラーだった。米国ではホーガンの好敵手として戦い、時には「メガパワーズ」として一緒にタッグを戦うこともあるという役割だった。
ホーガンよりは小柄だが、均整の取れた筋肉美の身体を誇り、動きも敏捷で、トップ・ロープからのダイビング・エルボー・ドロップが華技だった。
その派手なたたずまい、これまた派手な化粧衣装の女性マネージャーが試合の盛り上げ役として付き添う、まさしく米国の娯楽路線、最前線の選手だった。
テレビ放送では彼の入場場面で若林アナウンサーが「派手な衣装でテレビがハレーションを起こしそうだ!!」と煽ったものだった。
黙々とリング上で戦ってきた天龍にとって、これほど異質な試合の経験はなかったことだろう。本人も「何だ、これは?」と感じたという。
前評判でも、異質な者同士の試合がどのように展開されるかと、怖さ半分、期待半分という内容だったと記憶している。

残念ながら、関西では短縮版しか放送されなかったが、天龍の格好のよさは存分に発揮されていた。
天龍は運動神経のよいサベージの動きに惑わされ、次々と攻撃を食らっていた。サベージの女性マネージャーが事あるごとに喚き、叫び、時には天龍に攻撃するという茶々をいれていた。
しかし、最後には天龍が延髄切りからパワーボムという連携攻撃で勝利するという、定番の内容だった。
実際に戦ってみて、天龍は充実した感覚を味わったそうだ。
それは天龍がずっと全日本のリングの上で経験してきた世界とは、全く別の世界だったことだろう。
-青春をやり直していたような阿修羅原との下積みから始めた戦い
-鶴田、ハンセン、ブロディ―との息詰まるような戦い
-若手をしごき抜く、情け容赦のない戦い
それまでの数年、天龍はそんな「内へ内へと籠っていく」戦いを繰り広げていた。
だが、サベージとの戦いはそれらのどれとも違っていた。
それは「物語を作り上げる戦い」だったと僕は思う。女性マネージャーを介して、観客や放送席の人間たちまで巻き込んで、リングの内外を縦横に動くことによって、興奮の渦を客席へと広げながら、最後にはきっちり物語を収束させる戦い方。
例えばアントニオ猪木は、「観客を掌に乗せる」と語ったという。
身もふたもない言い方をすれば、それは彼のしていることが限りなく「演劇」に等しいと言い切ったようなものである。更に言えば、現在のWWEははっきりとそうだと言いきっている。
しかし、プロレスと演劇は似ていて、非なるものかもしれない。
何もかもが定められているわけではない。リング上の当事者同士が、阿吽(あうん)の呼吸で次の展開を「一緒に感じて作り上げていく」、より即興的であり、当事者の感性、発想、機転が許される舞台だ。それはクラシックとジャズの違いに似ているとも言えよう。
プロレスでは即興性に加え、更に仕事の枠を超えた生の感情が出てしまうことがあるかもしれない。
天龍はサベージとの戦いで、それまで経験したことのない、リングの「外へ外へと広がる」試合を実際に体験して、ドーム内の全ての人間を掌に乗せていく快感を覚えた。そこにはサベージとの共犯関係も生まれたろうし、そのような関係性は天龍にとって、本当に新鮮だったのかもしれない。

ランディ・サベージもまた、脇役でありながら余人に代えがたい存在感のあるレスラーだった。いわゆるショーマンスタイル(派手な演出で目立つ)でありながら、天龍のようなごつごつした戦い方にも対応できる、順応性の高いレスラーだった(*5)。
きちんと自分の見せ技を披露しておいて、最後の花は天龍に持たせた。その天龍のパワーボムを受けた時も、怪我をしないように、彼は両腕を巧みに使った受け身を取っていた。
パワーボムの原型となったパイルドライバーは、間違えると首を負傷し、命にもかかわることがあるため、WWFでは禁止技となっている。これを使っていいのは特別な立場に昇格したアンダーテイカ―ただ一人である。
パワーボムも危険であり、天龍は自分自身の得意技でありながら、リング上で切れてしまった鶴田に危険な角度でこの技を仕掛けれてしまい、首を負傷してしまっている。
筋書があろうがなかろうが、プロレスは「攻撃を加える」「攻撃を受ける」という、本質的に身体に痛手を加える動作から成り立っている。どんなに危険に見えてもサーカスなどの曲芸は、怪我をしないようにと訓練するのだが、プロレスは擬似的にでも「怪我をさせる」。だから、WWF(WWE)は筋書が決まっているにも関わらず、怪我は多い。何人ものレスラーが怪我で引退を余儀なくされている(*5)(*6)。
全く対極の戦い方をする相手であっても、自身は怪我をせずに対応できる、サベージは一流の職人レスラーなのだ。
しかし、前述の通り、サベージとすらも仲たがいをしたマクマホンは、彼の戦歴は一時、封印されてしまったという(*7)。
追悼 マッチョマン・ランディ・サベージ

平成2年、新日本プロレスのリングに乗りこんで長州と戦い、天龍同盟を解散し、そしてWWFのプロレスを経験した天龍の内面は、本人が思う以上に変化したことだろう。

この大会の後、4月16日、全日本は大阪府立体育館で興行を催した。僕は友人と連れ立って、初めてプロレスを生観戦した。
一人ぼっちの天龍は田上とシングルマッチを行った。
WWFが許可を出したので、馬場は大阪でもアンドレと組んで試合を行い、大歓迎を受けた。
トリの試合では鶴田が小橋健太と組んで、ハンセン&スパイビー組と試合をした。レスリングサミットでホーガンと戦って(負けはしたものの)最終試合の大役を果たしたハンセンは、三冠王者の鶴田を挑発していた。鶴田は4月19日に天龍と三冠選手権を争う予定だったが、ハンセンはその次は俺だと主張していた。
試合はというと、お調子者の大阪の観客が悪乗りしていた。レスラーが攻撃をしかける度に、レスラーの名前を唱和したのだ。小橋なら「コバシ!」、ハンセンなら「ハンセン!」。鶴田だけは特別に「オー!」だった。最後はハンセンのラリアットに小橋が倒れたが、審判のジョー樋口がカウントを取る時は「ジョー、ジョー、ジョー!!」との掛け声が飛んだ。
大阪大会は和やかに終わった。レスリングサミット後の幸せな空気が、会場を包んでいた。
しかし、この数か月後、大阪の客たちは凶悪化し、SWSのレスラーたちに「八百長!」の罵声を浴びせる暴挙に出るのだった。

東京、大阪と続いての4月19日、再度、関東圏に舞台は移った。横浜体育館で催されたシリーズ最終試合で、半年ぶりの鶴龍対決が行われた。
同日、ハンセンはスパイビーとともに殺人魚雷コンビの持つ世界タッグ王座に挑んだが、負けてしまった。その腹いせか、あるいは誰かがハンセンに囁いたのか、ハンセンは三冠選手権のためにリングに上がった天龍に襲いかかった。
これから試合だという天龍にハンセンはラリアットをかませた。天龍はリングの隅で崩れ落ちた。
ハンセンの乱入
王者の鶴田が入場曲も鳴らさずにリングに上がってきた。王者のベルトを振り回し、ハンセンに「出ていけ!」と威嚇する。
ハンセンはリングから降りたが、なおもマイクを持って「俺と戦え!」と主張した。
場内は騒然とした。女性の金切り声が「ハンセン、出ていけ!」と叫んでいた。
なし崩しに試合が始まった。
天龍は精彩を欠いた。ハンセンのラリアットの痛手がまだ残っていたからか、他に原因があったのか、ほとんど鶴田の技を一方的に受け続け、パワーボムをまともに仕掛けることもなく、返し技でばかりフォールを奪おうとするだけだった。
最後は鶴田のバックドロップにフォール負けをした。
どこか釈然としない試合展開のまま、試合は終わった。
またぞろハンセンがやってきて、鶴田と小競り合いを始めた。
二人とも、とんでもない体力の持ち主たちだった。まるで神話の神々の戦いであった。
TV放送では次のような煽り文句が画面を飾った。
TV予告
しかし、この通りの展開にはならなかった。
この試合を最後に、天龍は全日本プロレスを退社するのだった。

この稿、延長戦へ続く!

*1)タイガーマスク時代の三沢が、まだ駆け出しだった小橋と1対1で試合をしたことがある。「小橋試練の7番勝負」という、小橋の株を上げるための企画だった。大柄な体格で、練習熱心な小橋は馬場のお気に入りだったのだ。この試合を紹介した「週刊プロレス」の記者は、三沢(タイガー)のことを「ミニジャンボ鶴田」と評していた。受けの上手さ、プロレスの上手さ、懐の深さはジャンボに匹敵する才能を持っているという意味だったと思う。まさか、この試合から半年ほどで三沢がタイガーの覆面を脱いで、天龍離脱後のジャンボの好敵手としての立場に立つことになろうとは。
*2)ガチンコに強いレスラーは、いざという時に相手を叩きのめせる技を持っている。例えば長らくNWA王座に君臨したルー・テーズの奥の手はアーム・ロックだった。彼は厄介な相手と戦う時は、アーム・ロックで脅かしたという。実質的な引退試合となった蝶野正洋との試合でも、アーム・ロックをしかけようとしていた。愛弟子の肩をへし折るつもりだったのか、爺さん。いやいや、単純に自分のこだわりの技を、もう一度、披露したかっただけだろう。
*3)このキング・ハクが後に谷津嘉章とSWSでコンビを組むのだから、もうプロレス界は因縁と連鎖でいっぱいなのだ。
*4)この試合、解説席にはかの田代まさしが座っていた。「ベイダー、(ハンセンを)殺る気ですよ」と抑揚のない声で語っていた。
サベージは後にSWSの東京
*5)サベージをみていると、37歳で既に髪は薄くなり、やたら血管が浮き出ている。WWFで問題となった「ステロイド疑惑」を感じずにはいられない。かつての世界王者、ビリー・グラハムは自らステロイド使用したことを告白した。
*6)更に言えば、WWF、WWEでは事故死、事件死した人間もいる。ブレッド・ハートの弟であるオーウェン・ハートはWWFの大会中、空中に吊り下げられて登場する場面で落下して命を失くした。ブレットとマクマホンの対立を考えると、後味があまりに悪い事件だった。新日本プロレスで獣神サンダー・ライガーと名勝負を繰り広げたペガサス・キッドこと、クリス・ベンワーは妻子を殺して自殺するという、あまりに痛ましい犯罪を犯してしまった。
*7)ハート、ウォリアー、ホーガン、サベージの他、マクマホンと私的に対立した選手は多い。特に彼らの世代はマクマホンと年齢も近かったし、WWF興隆の礎を築いたという意識もあったろうから、余計に彼の強引な性格に辟易したのだろう。それにしても、マクマホンは「憎いから、歴史から奴ら(レスラー)の記録を抹殺してやる。俺は経営者なんだ」という自我を隠そうともしない。レスラーの記録を抹消するのは、観客の記憶に対する犯罪である。サベージとウォリアーについては現在も入手可能な映像商品はほとんど存在しないようだ。マクマホンに限らないが、有能な経営者であることと、人間的に度量が広いということは必ずしも両立しないようである。だからこそ、一私企業に日本の文化財産(プロレス映像資料)を委ねてはならないのである。
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