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さらば天龍、響けthunder storm!! 完結篇

平成27年、阿修羅は鬼籍にはいった。享年68歳であった。
ビデオで振り返ると、阿修羅原は童顔だったのだな、だから髭を蓄えたのだろうなとも思える優しい面立ちだった。

天龍源一郎を知る者は幸せである。心豊かであろうから・・・


今回は、僕にプロレスの楽しさ面白さを教えてくれたプロレスラー、天龍源一郎に精一杯の感謝の気持ちを伝えたい。多少の美化のしすぎや贔屓があってもご容赦を。
だって、これは僕から天龍への、最初で最後のファンレターだから。

でも実は、僕はそんなに熱心な天龍支持者ではない。会場で彼の試合をみたのは、多分3~4回程度に過ぎない。ほとんどがTVかビデオでの観戦だ。
天龍の試合を追っかけていた支持者からみれば、「何だそりゃ!?」だろうが、そんな程度の僕でも、天龍から一杯の感動をもらったということで勘弁してほしい。
何しろ、僕が「天龍発見」したのが20代前半だった。仕事も駆け出しで、今の家族との出会いもあったりして、公私どたばたしていた頃だった。プロレスはもちろん、アニメを観てる時間もなかった。

最初に天龍を会場で観たのは、以前にも述べたレスリングサミット後の大阪大会。
最後に観たのも全日本に復帰してからの、大阪で小島聡と戦った三冠戦。それだって、もう10年以上の前のことだ。
2002.7.17 全日本 大阪府立体育会館大会観戦記 金山政史さん

それからも天龍はずうっと、戦い続けていた。
天龍がまだ現役と聞く度に、「年なのに、よくもがんばるなあ」と思っていたが、中途半端な「引退」の話は耳に届かなかった。みせかけの「引退」による休息を取ることなく、天龍は戦い続けてきた。
だから、65歳になって、いよいよ引退となった時は、「お疲れ様でした」と素直に思えたし、なぜかしら「ありがとうございました」という気持ちも湧いてくるのだった。

きちんと応援してこなかったせめてものお詫びに、天龍引退DVDボックスを買った。そして、折をみては試合を眺めている。
このボックスには、ジャイアント馬場と天龍が並んで、全日本入団の記者会見をしている場面も収められている。
それにしても、馬場、でかい。凄い存在感だ。昭和51年の映像だから、馬場もまだ38歳くらいなのだが、とても30代には見えない。貫録が違う。
あの天龍が小さく見える。今の選手と比べて大型の天龍なのに、馬場の前では普通のお兄さんに見えてしまう。
まるで父と子。
この14年後に訪れる別れを巡る、人としての憎愛は、余人には知り得ないものがあったことだろう。


言っては失礼だが、20代から30代前半の天龍は、とんがった表情をしているものの、どこか人の好さ、気の良さを感じさせるあどけなさも残っていた。表情に愛嬌があるのだ。
試合でもジャンボ鶴田という「長男」と並んでいる時は、どこかしら遠慮が見える、鶴田を立てている、そんな雰囲気も漂ってくる。
ジャンボと組んで長州力-谷津嘉章組と戦った時も、まだ表情には「優しさ」がけっこう残っていた。
ガラリと変わったのが、やはり「龍原砲」で出撃してからだ。
全然、表情の厳しさが違う。はっとするほど、引き締まった表情に変わっている。
元々、目が細く、八の字眉毛(湖川友謙と一緒!)で険がある面持ちの天龍だ。その視線に睨み凄みが出てきた。腹をくくった人間の覚悟が垣間見える、いい表情に変わったのだ。
長州との出会いと別れが、彼に試練への扉を開いた。その扉をくぐるため、天龍はジャンボと正面対決すべく、突き進み始めた。


今でも、天龍の最高試合を選ぶとなると、当然のように「天龍革命」時代の「鶴龍対決」が一番に上がってくる。
分けても平成元年6月5日、日本武道館で行われたジャンボ鶴田との三冠戦は、日本プロレス史上においても、正に最高の試合の一つに数えられる名勝負となった。
この試合は、鶴龍対決の中でも最も充実しており、内容も密度も両者が持てる全力を振り絞った末にたどり着いた至高の境地だった。
鶴龍対決は計7回行われたが、3戦目まではリングアウトや反則絡みの決着だった。それが第4戦目で初めて、ピンフォールでの完全決着となった。
ただし、この時は天龍が負けた。
ぶち切れた鶴田が高角度で「掟破りの逆パワーボム」で天龍を叩きつけて、勝利した。あまりの荒業に、天龍は首を負傷する結果となった。
切れた鶴田は危険そのものだったのだ。(※1)
そして6.5決戦。首の傷を癒して天龍は再試合に臨んだ。天龍と鶴田が互いに一歩も譲らず、相手の技を受ければ、次は攻撃し、正に「取ったり取られたり」の試合展開となった。どちら側も一方的にならず、真正面からのぶつかり合いとなった。
攻めて攻めて攻めて
受けて受けて受けて
ただ「一方的に潰すことが最善」とされる格闘技からは味わえない、人間力のぶつかり合いが展開された。
「もうそろそろ、次の攻撃はかわすだろう」という攻撃さえも、二人は受けあった。とことんまで。
そして、精も根も果てるまで戦い尽くした末に、天龍がパワーボムを連発して、初めて真正面から鶴田を破ったのだ。
今観ても、胸が熱くなる戦いだ。
死力を尽くしての戦いの末、決着は時の運。
これほどの真っ向勝負は滅多なことではみられない。天晴れであった。
しかし、天龍が真正面から鶴田と戦って勝利できたのは、このたった1回きりだった。
それだけ、鶴田の壁は大きく高く、それゆえ、この勝利の価値は大きい。
だからこそ、この試合は特別なのだ。(※2)

この試合に並んで高い評価を得ているのは、以前に紹介したランディ・サベージとの試合、レスリングサミットの実質的なメインイベントだ。
その意義についてはもう触れたので、繰り返さない。

鶴龍対決が、ギラギラした熱情を圧縮して生まれた結晶から放たれる、刃(やいば)の如き光を見つめる戦いとするならば、サベージとの対決はその対極にあって、周囲一帯を燦々と照らし出す、眩しいまでの太陽の輝きのような戦いだった。

だが、口の悪い者はこういうかもしれない。
「何だ、全日本プロレスの時代が頂点ということは、飛び出してからは全日本時代を超えた試合ができなかったということじゃないか」と。
そうかもしれない。
でも、だからSWS以降の試合の価値が低いかと問われれば、否と答える。
この2試合は確かに凄い。だが、天龍が本当に凄かったのは、ここからだと思う。なぜなら、この2試合を踏み台にして、天龍は試練の旅を歩み始めることになったのだし、その旅路こそが、天龍の真骨頂だと思うからだ。
ここから始まるプロレスの歴史そのものをなぞる戦いこそが、天龍の真の戦場だとも言える。
そして、引退のその時まで、「ミスター・プロレス」の高みへ高みへと、龍は天を昇り続けたのだ。

少し回り道をしよう。
「スター・ウォーズ」最新作の封切りに便乗して、とある本が復刊された。
ジョーゼフ・キャンベル著「千の顔を持つ英雄」がそれで、世界中の神話の構造を分析し、英雄を英雄たらしめる過程について、解き明かした著作だ。
僕はまだ冒頭しか読んでいないが、若かりし頃のジョージ・ルーカスがこの著作を参照しながら、彼独自の神話、英雄譚である「スター・ウォーズ」の骨格を作ったのだそうだ。
この復刊と同時に、対談集である「神話の力」も発刊された。これはキャンベルが80歳の老境に達した頃に、TV放送用に行った対談を文章化したのだそうだ。


ここでキャンベルは、世界各地の神話を引用しながら、単なる宗教論にとどまらない、「この辛い人生をいかに生きていくか」の指針を神話から学び取る姿勢を語ってくれる。
アメリカ原住民の神話に魅了されたキャンベルは、キリスト教を捨てた人物である。これだけでも通り一辺倒の宗教礼賛者ではないとわかる。世間一般が大事とする、宗教観をすてているだけに、彼の言葉には凄みがある。
キャンベルは天国など存在しないと現実主義を唱える一方、この現世でどのように生きるかについて語っている。人の精神は肉体に左右されるが、心で肉体を制御することが幸福につながるとも語る。
彼の言葉や論旨展開は、時に繰り返し目を通さないと理解できない難解さがあるし、時に「それはあなた個人の思い入れではないのか」と思える言葉もあるが、しかし、現実を見据え、現実の世界からいかに前向きに生きていくかを語らんとしており、胸に迫る言葉が少なくない。

さて、若き日のキャンベルは、「千の顔を持つ英雄」において、英雄とは日常から試練の旅に出て、そこで何かを獲得し、また現世に戻り、獲得した何かを社会に手渡す存在であると解き明かしている(ちょっと違うかもしれないが)。
旅に出ることによって、特別な経験を得て、その経験をもといた社会に還元するのだ。
そして、旅立ちの前には、英雄は異界への案内者によって誘われる構造があるという。

率直に言えば、天龍は決して器用なレスラーでもないし、傑出したレスラーでもない。むしろ不器用な部類に入る。
攻撃の型は決して多くない。首投げ、腕固めで序盤を作り、相手の技を受けながら、ロープからのダイビングエルボーや延髄切り、パワーボムとつないでいく。革命を起こしてからはこれに水平チョップやつま先での顔面蹴りが加わる。年を重ねればグーパンチや変形ブレーンバスターである「53歳」を交えるようになる。
ぶっちゃけ、顔面蹴りとグーパンチは反則そのものである。ちょこっとずるい。
格下相手には叩き潰しの情け容赦ない戦いぶりをみせるが、強豪との戦いではむしろ劣勢に立たされながらの逆転勝ちも少なくない。
レスリングの才能で言えば、ジャンボ鶴田はもちろん、武藤敬司、佐山聡の他、彼を上回るレスラーは少なくない。
こと才能に限れば、もしかしたら天龍は「凡人」なのかもしない。
そんな天龍だから、SWSで彼に反旗を翻したレスラーたちは、「天龍ばかりが持ち上げられるが、そんな特別なレスラーじゃないだろう? 俺たちと天龍のどこにそんな格の差があるんだ」と思っていたかもしれない。
確かに才能には差がなかったかもしれない。凡人だったかもしれない。
だが、その凡人がなぜ、「ミスター・プロレス」という「英雄」の高みに昇って行けたのか?
なぜなら天龍にはプロレスに対するひたむきさがあった。気力、体力、負けん気があった。
観ている者に伝わる覚悟があった。
特に「天龍革命」後の彼の行動には、人を惹きつける決意が溢れていた。
そういう人間が機会を与えられ、それに見事に応えて素晴らしい結果を残した。それが鶴田との6.5三冠戦、レスリングサミットでのサベージ戦である。
天龍は見事、旅に出る資格を得たのだ。
その結果、作られたものではない、観客の中から自然発生的に湧き上がる格式が、天龍に与えられた。
非礼を承知で僕は彼を「凡人」と呼んだ。だが、「偉大なる」凡人なのだ。
逆説的な言い方だが、凡人の天龍が天才たちを乗り越えていく姿こそが、僕たちを励ましてくれたのではないか?

凡人というには、恵まれた立場だったではないかという意見もあるだろう。
幕内力士からレスラーに転身し、新人の頃から移動も新幹線のグリーン車を許された天龍は、確かに特別扱いである。
また、戦歴というものは、個人の才能だけでどうにかなるものではない。実力、対戦相手、そして時の立場や運がもたらすものだ。(※3)
だが、どんなに立場がよくても、後押しを受けても、頭角を現さずに埋もれていったレスラーは少なくない。プロレス界に足を踏み入れてからの最初の10年間、周囲の期待に応えられないはがゆさにもがきながら、努力を惜しまず、好機をとらえ、死力を尽くして強敵を打ち破って這い上がってきたのは天龍自身だった。

6.5三冠戦とサベージ戦を乗り越えた時に、全日本の外部から誘いの声がかかったというのは、後からみれば、まさしく「異界からの誘い」だった。旅立つべき時期が熟した正にその時、導きの声が天龍にかかったと思いたい。
あのまま全日に留まっていたらどうなっていただろう。しょせん、馬場の膝元では鶴田の後塵を拝する立場を越えることはなかっただろう。面倒見のよい性格を買われて、ゆくゆくは会社の運営は任されたかもしれないが、それでも後の三沢たちの動向をみると、窮屈な思いをしたかもしれない。


全日本を旅立ち、天龍が足を踏み入れたメガネスーパー=SWSとは、彼にとって「天上界」だった。全日本では経験できない報酬も、地位も、試合も、苦労も、一気に彼は経験することができた。
SWSで天龍は「主役として」ハルク・ホーガンロード・ウォリアーズ(リージョン・オブ・ドウーム)、リック・フレアーら、世界の頂点に立つレスラーたちと戦った。
ウォリアーズやフレアーらはかつてNWAに属していたので、全日本でも戦ったことはある。でも、その時とは立場が違った。試合の意味合いも重みも違った。
全日本の時は、天龍はあくまで脇役だったし、善戦さえすればよかった。しかし、SWSでは団体の看板をしょっての戦いだった。負けるとしても、「負けてもさすが」という戦いをしなければならなかった。
ホーガンとはタッグを組んで、ウォリアーズと東京ドームを舞台に戦ったことがあった。更に後日、ホーガンとの一騎打ちも実現した。
当時のホーガンはWWFの頂点に立ち、米国に限れば人気の面で彼を上回るレスラーはいなかった。
ホーガンもまた、新日本時代は不器用なレスラーだったが、猪木との試合を通じて試合巧者になっていき、WWFで数々の大舞台を経験し、巨大な存在感を獲得していた。
天龍はそんな巨大な存在になったホーガンと、真っ向勝負の戦いを繰り広げた。選手権試合ではなかったが、逆に試合展開に余分な駆け引きの混じらない、清々しい戦いになった。最後はホーガンに勝ちを譲ったが、結果が負けであっても、よし、とうなずける説得力があった。

フレアー戦ともなれば、全日本時代の対戦と比べて、遥かに素晴らしい、互いの存在感がくっきり際立つ戦いとなった。
この試合をみて、初めて僕はフレアーの凄みを納得できたほどだった。
「天龍発見」以前の僕は、かつてのフレアーの試合をみて、「プロレスってふざけてる」と感じたことがある。フレアーは試合の途中でひざまずいて、敵に「待ってくれ」と請うて間合いを取ることがある。それを茶番とみたからだ。
だが、この時のフレアーは凄みがあった。
徹底した足攻めで天龍をきりきり舞いさせるフレアー。ひざまずいて「待ってくれ!」と請うフレアーお得意のはぐらかしも、絶妙な間の取り方で流れを変えていることがひしひしと感じられた。終始、天龍を劣勢に追い込み、自分の得意技の「足4の字固め」の攻防をたっぷりとみせつけた上で、勝ちは天龍に譲ってやるといわんばかりの大袈裟な受け身で延髄切りからのパワーボムを食らって見せた。
ホーガンとは全く違う、王者の自尊心が溢れだしていた。
もし、「天龍だって、俺たちと大して変わらない」と思っていた、天龍に不満を持っていたSWSのレスラーがフレアーと戦っていたらどうなっていただろう。フレアーの強烈な自尊心と手練手管に翻弄され、自分の存在感を掻き消されて空しく終わっていたと思う。
天龍が相手だったからこそ、フレアーは天龍の存在を消さずに、一目置いて花を持たせたのだ。(※4)

やがて、SWSという天上界が崩壊し、現世に戻った天龍はWARを立ち上げた。
ここでもは新たな役目を背負うこととなった。
SWSでは天上人(田中八郎)」から与えられた代理人のような立場を演じていた。だが、今度は生身の戦士に立ち返り、自分を頼って集まってきた、郎党どもをまとめる頭目の立場だった。何の後ろ盾もない。正に独力で築いた部隊を率いることとなった。郎党を引き連れ、天龍は地上に「大帝国」を築いていた新日本に戦いを挑んだのだ。
だが、郎党とはいえ、頼りになるのは己の一枚看板のみ。下手をうてば、一気に吹き飛ばされる弱小の立場だ。
新日本のリングに殴り込みをかえた天龍は武骨に、ただひたすら武骨に戦い続けた。

1990年代、新日本プロレスには闘魂三銃士、馳健を頂点にした陣容で最盛期を迎えていた。
そんな綺羅星の如きレスラーたちを向こうに回して天龍は、次々と彼らを撃破していくこととなる。
しかしだ。一見、天龍は破竹の勢いにのったかに見えた。でも、当時の新日本の選手層は厚く、たとえ何人か花形レスラーが天龍に敗れても、その権威はびくともしなかった。
最後に誰かが勝てばいい。それまでは、天龍戦で客を集めるだけ集めて、収益をあげるのだ。
つまり、どんなに勝利を重ねても、しょせん天龍は「客寄せパンダ」だった。あくまで、天龍は新日本プロレスが有する駒の一つ、大会場の客を埋めるための手段でしかなかった。
当時の新日本(長州体制)は、創始者アントニオ猪木すら駒の一つとして扱えるだけの勢いがあったのだ。
だからこそ、天龍は無様なことはできなかった。凌いで凌いで、どんな相手とも戦っても「さすが」と思わせる戦いをしなければいけなかった。
天龍戦は新日本を潤した。商品価値があるとみなされ、順次、花形選手との試合が組まれた。それを天龍は凌ぎ切った。
そして、その先にアントニオ猪木との戦いが待っていた。

平成6年(1994年)1月4日のアントニオ猪木との戦いは、正に「果し合い」となった。残念ながらボックスには収録されていない。
当時、猪木50歳、天龍43歳。
今や50歳代レスラーは珍しくないが、当時はまだ少数だった。肉体的に衰えている猪木が、どのように天龍と戦うかが注目されていた。
猪木は殺気全開だった。
生の拳で天龍を殴り、2回の裸締めで天龍を失神、または失神寸前に追い込んだ。
さすがに最後は静かにパワーボムを受けて負けを受け入れた-かと、思いきや、すぐに起き上って「こたえてなんかいねーぞ、コノヤロー!!」と言わんばかりに天龍に襲い掛かる○×▽□ぶりだった。
勝負に負けても喧嘩には買った、と見せたかったということか。
それでも、猪木が天龍に「勝ちを譲った」事実は、事実として残った。
そうだ、馬場もまた、天龍に「勝ちを譲った」。
力道山亡き後を継ぎ、日本のプロレスを興隆に導き、一世を風靡した二人ともが、天龍を認めて勝ちを与えた。
天龍は素直に「どうして、二人とも俺に勝たしてくれたんだ」と考えた。自惚れていられる事態ではないと考える、素直な感性だった。
天龍はただ一人、馬場と猪木からピンフォール勝ちを得た日本人レスラーとなり、やがてミスター・プロレスと呼ばれるようになった。

アントニオ猪木との戦いが終わったあと、新日本は「じゅうぶん、儲けさせていただきました」とばかり、WARとの提携終了を通告してきた。
なにくそ、と思ったという。天龍の旅はまだまだ続くのだった。


旅に出たからと言って、皆が皆、英雄になれるわけではない。
前田日明は英雄になったかに見えたが、晩節は孤独になった。
橋本真也は英雄というより、流れ星のような伝説となって消えた。
三沢光晴も英雄というには悲しい結末だった。
本来なら、彼こそミスター・プロレスの称号を得てもよいはずの才能と花に恵まれた武藤敬司だったが、会社経営に振り回されてしまっているようだ。
人生とはかくも難しい。
才能だけでも駄目。それに加えて時の運、生き方にも左右されるのかもしれない。

天龍と並み居る天才レスラーたちとの命運を分けたものは何か。
先にも述べたが、天龍の試合をみていて感じるのは、その実直さ、ひたむきさだ。
華麗には程遠く、劣勢に立たされることも多い。
それでも、「俺にはこれしかない」と、自分の持てる技をどこまでも押し出していく。
その迷いのなさが、一本、芯の通った印象を与えてくる。そのブレのなさが、強い余韻を残す。弾けて消えるシャボンのはかなさとは異なる、「苔の一念、岩をも通す」頑なさがある。
それは時の風雪にも耐え、「天龍、ここにあり」と感じさせてくれる。

彼は自分の性格を「一本独鈷(いっぽんどっこ)」と表す。
「寄らば大樹の影」とは正反対で、大きな組織の力を借りずに生きていくことを意味する。
相撲を廃業するきっかけも、全日本を辞める時も、新日本との提携を打ち切られた時も、天龍は自分が自分であることを選んだ。自分が誇りを持てる場所にいようとした。
下手な小細工はしなかった。
そんな天龍の正直さが、馬場や猪木の気持ちを揺さぶったのかもしれない。
「こいつになら、勝ちを与えてもいいだろう」

旅を続ける天龍と戦ってみたい。
天龍をリングにあげたい。
数々の団体、レスラーが天龍戦を望んだ。
邪道の旗を掲げた大仁田と、邪道の舞台、電流爆破マッチをしたかと思えば、UWFの遺伝子を掲げる高田とも戦った。
女子プロレスラーだが、「男以上」の神取とも戦った。
プロレスというプロレスを食らい、飲み込んでいった。
三沢たちが離脱した全日本の窮地にも、恩讐を超えて駆けつけた。
その三沢とも戦い、全日残留の道を選んだ川田とも戦った。
知らず知らず、天龍は団体の枠を超えて、日本の代表的選手のほとんどと戦うこととなった。
そこにリングがあるなら、大小こだわらずリングに上がった。
これほど、プロレス界を広く渡り歩いた選手がいただろうか。
天龍は日本のプロレス界の歴史を、その身体に刻んでいった。
天龍が上がれば、そこにプロレスがあった。

天龍からはプロレスの香りが匂い立つ。
天龍の周りにはプロレスの陽炎が揺れる。
それこそがミスター・プロレスなのだ。

実際の天龍と会ったことなどないくせに、本当のところはわかるはずもないのだが、僕は天龍という人は真っ直ぐな性格なのだと勝手に思っている。
いいことがあれば喜ぶ、つらいことはつらい、悲しいことは悲しい。
心の中の喜怒哀楽が、はっきりしているのだと思う。
曲がったところがない。
もっと言えば、ごくごく普通の常識人だが、職人気質で一本気、頑固にみえるのは道理に合わないことが単に嫌いなだけ。そういう人であるように思える。
引き受けた仕事はきっちりこなす。
揉め事があれば仲裁する。
自分の始末は自分でつける。身の振り方も商売も、きれいに片づける。
お金がある時は素直に贅沢してしまう。お金がないなら、ないなりに生きる。
そして、家族は大切にする。
彼の生き方には猪木の狂気も、他人を振り回す長州の野心も、前田の屈折した怒りもない。
あるいはそれこそが、馬場から引き継いだ全日本の遺伝子なのかもしれない。

誇りはあっても飾らないのが天龍でもあった。WWEの日本版を目指した、娯楽劇としてのプロレスを追求した「ハッスル」という団体がかつてあった。
そこで一時、人気を博していたレイザーラモンHGという芸人がいた。基本、お笑い芸人である。ハッスルの演出家が天龍に、レイザーラモンHGと同じ服装を着るように依頼した。
新日本のレスラーなら、たぶん、拒否したと思う。少なくともライガーや佐々木健介なら激怒して演出家をぶったおしかねない。
でも、天龍は構わずに依頼された格好をしてみせた。
天龍の娘は怒ったそうだ。今でも、父親にお笑いの格好をさせたハッスルの演出家を許さないと公言している。
だが、地位も実績もある人が、率先して笑いを取って、現場を励ます姿というのは、僕は男として凄く格好いいと思う。
あるいは演出する側に天龍への敬意が乏しかったのかもしれない。敬意もなく、遊び半分だったのかもしれない。それを、娘は直観的に感じたのかもしれない。
だが、気にすることはない。わかる人がわかっていればいい。そして、天龍の凄さをわかっている人は少なくない。
僕のような「なんちゃって支持者」ですら、天龍がリングを去るとなれば、何か語らずにはいられない。
人間の凄さを理解できない者、感性の無い者、地位や肩書でしか人を測れない者には何を言っても無駄だ。(※5)
そんな人間に腹をたてても仕方がない。
天龍の凄みをわからず、ぞんざいにしか扱えないなら、その程度の人間ということだ。
だが、天龍はそんな小人(しょうじん)の無理解など、意に介さない。
「過去の栄光は昔話さ、今のこの時をどうやって必死に生きていくかが大事なんだ」
そのためにはお笑いだってしてみせるさ。
その覚悟に、僕は敬意を表したい。

彼を知る者は、彼が二度とレスラーとしてリングにあがることはないだろうと信じている。
肉体的限界を悟り、そして、家族を支えるためにリングを去る。
天龍は人としての生き様、レスラーとはかくあるべしという見本を、プロレス界に示し続け、そして、潔くリングをおりた。
天龍も老いた。50歳代の頃ですら衰えが見えていた肉体である。平成27年ともなれば、その肉体のたるみも老人のそれである。
だが、それでもなお、天龍は美しい。清々しい。
それは、そう思わせる生き方をしてきたからである。
彼が妻と並んで見せる満面の笑顔の素晴らしさ。
僕も老人になった時、あのように笑いたい。でも、笑えるだろうか。僕には自信がない。
キャンベルは言う。老いることを嘆くのではなく、その変化を受け入れることが、心の平穏をもたらすと。
天龍の笑顔には、人生をやりとげたという自信と満足が溢れている。
残されたのは、普通の男が持つ、家族への普通の愛情。
老いた姿がこれほどにも格好いいって、凄くないか。
これから老いへと向かう僕にとって、天龍はお手本を示す英雄なのだ。
この項の最後に、天龍に胸一杯の感謝を伝えよう。

さらば天龍
響けサンダー・ストーム
戦い終えた勇者に栄光あれ


※1)後年、天龍に代わって鶴田に挑む立場となった三沢は、体格差を超えるために肘打ち(エルボー)の打撃技を主力の武器に選んだ。鶴田はこの攻撃が相当に嫌だったようだ。ある試合でとうとう堪忍袋の尾が切れてしまった鶴田は暴走、三沢や川田を一人で蹴散らし、叩きのめし、グロッキー状態に陥れてしまった。
彼からしたら、まだまだ若造の三沢たちが序列をあげて、対等の立場で挑んでくるのは「百年早い」と思っていたことだろう。天龍の離脱がなければ、ずっと格下扱いだったと感じていたことだろう。
だから余計に三沢の肘打ち(たぶん、滅茶苦茶痛い)に腹が立ったのだと思う。
鶴田は自尊心が非常に強い人間だったのだ。
※2)天龍にとって、「鶴龍対決」はそれだけ神聖なものだった。最後の対決となった平成2年の4.19横浜での三冠戦は通算7度目の試合だった。この試合は、先にも触れたが、天龍が精彩を欠いたまま敗北して終わった。
馬場からすれば、「レスリングサミット終了後も勢いが落ちないように、全日本の最高の試合を組んでみせた」ということになる。だが、天龍からすれば「鶴龍対決さえ持ってくれば客が入ると安易に考えているんじゃないのか、俺たちの戦いを軽く見ているんじゃないのか!?」という感情があったという。
自分への馬場の評価が不当に低いと感じていた時だから、天龍は上司の意図を悪い方にしか受け止めることができなかったのだ。
これが馬場に評価されていると思えていれば、馬場の思惑通りに受け止めて、「よっしゃ、社長の意気に応えてみせる!」となっていただろう。
上に立つ者は、いくら自分が正しいと思っていても、使われる側の気持ちを理解できていないと独り相撲を取らされる羽目になる。
※3)輪島との対談で、天龍は「僕も前頭の筆頭まで行ったときに、上はもう三役ですよね、そのときに、今でも覚えてるんですけど、3勝4敗だったんですよ。次の日に栃東にたまたま負けたんですよ。たまたま負けたけど、あのころまだ21(歳)か22ぐらいだから、こんなのいつでもチャンスが来るよと思って、たかをくくったけど、二度とチャンスは来なかった。」と語っている。
天龍は「好機が訪れる時は限られている。訪れた好機は何が何でもつかまないといけないんだ」ということを身をもって知っていたのだろう。だから、6.5の三冠戦は限界まで戦って、鶴田を根負けさせたのだ。
※4)サベージもまた、自尊心の強いレスラーだった。SWSでは天龍と「同格」、パライストラの道場主だったジョージ高野と、サベージが東京ドームで一戦を交えた。サベージはリングの内外を自由に動き回り、高野を惑わせ、いらつかせ、弄んだ。高野には天龍のように、サベージの駆け引きを突破する勢いがなかった。最後にサベージは、「もうお前の相手は終わりだ!」と言わんばかりの逃げようのない硬さで、フォールを奪った。

※5)東京は権力争いの場でもあるから、権力者は権力者然としていないとなめられる社会だという。だから、皆、虚勢をはらなければいけない。
笑いも得てして弱者をいたぶる内容になる。
関西圏は、「名よりも実」「儲かりまっか、儲かってない人はカッコつけたらあきまへん」の世界なので、偉い人でも腰を低くする。奥さんが京都人で、自身も福井の天龍は、関西に近い感性なのかもしんない。
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