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[C63]

キャンディは「絵なし」(または漫画・アニメと関係ない絵)なら発売OKということにようやく落ち着いたんでしょうね。小説版も出ましたし。アニメ版の絵は漫画版とはだいぶ違ってましたが、一応漫画版に基づいたキャラクターデザインなので避けた方が無難なんでしょう。ちなみに、放送当時のLPを持ってますが、ジャケットにはアニメ版ではなく漫画版の絵柄が使われてました(いがらしゆみこによる描き下ろしだったかも)。今回の音楽集はBGMはもちろんのこと、堀江美都子の『歌のあゆみ』シリーズから漏れていた「すてきなキャンディ」(こおろぎ’73歌唱 - 堀江は笑い声のみで参加のため『歌のあゆみ』からは除外)の復刻もアニソンファンにとっては大きいですね。こおろぎ’73による挿入歌って、未CD化がまだいくつかあるのに、せっかくCD化されてたこの曲が入手困難でしたから。

著作権といえば、ダイターン3の「白ジャケット事件」を思い出します。当時、アニメ・特撮音楽の市場は日本コロムビアがほぼ独占してましたが、キングレコードがシェアを広げるための努力を繰り広げていて、その一環として日本サンライズと提携。しかし、ザンボット3とガンダムの間に作られたダイターン3ではコロムビアに主題歌権を取られてしまう…という状況の中で、「いや、BGMだけなら出せるぞ」とダイターン3の音楽集を企画したものの、コロムビアから「音楽集は出させてやるが、絵は使っちゃダメ」というお達し(脅し?)が来て、仕方なく白ジャケットで発売。ほぼ同時に、コロムビアからも「こっちが本物」と言わんばかりの絵付きの音楽集が発売されたという。私は両方買いましたがw

後年になってキングから発売された必殺シリーズの番組別音楽集には各番組の主題歌が正規発売元の協力を得てレコードサイズで収録されてますが、コロムビアが販売権を持つ『必殺渡し人』の主題歌(中村雅俊歌唱)だけは収録されていない…というのは、もしかして白ジャケット事件の確執が尾を引いてたからなのかも、なんて勝手に想像してます。

もっと後にキングから発売されたサンライズロボット主題歌集にはコロムビア版のダイターン3主題歌が収録されてるので、もういいかげん和解したのかもしれませんが、著作権・販売権関連の「大人の事情」って、ご指摘のようにファンをないがしろにしていて嫌ですよね。
  • 2016-06-14 03:48
  • JoJo
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  • 編集

[C64]

古い作品のBGMですが、菊池俊輔が初期(1968年)に担当した映画『吸血鬼ゴケミドロ』と『昆虫大戦争』のサントラが先月になってようやく発売されましたね。『菊池俊輔 作曲50周年 CD-BOX』に一部は収録されてましたが、まさか、今さら(?)”完全盤”が出るとは思ってませんでした。この調子で、まだまだ埋もれてる菊池節トラックを発掘してくれることを願います。

…とはいえ、こういうサントラって採算取れるんですかねー?ミュージックファイル・シリーズの編纂で知られる高島幹夫氏が「アニメ・特撮のサントラCDは1000枚売れればヒットとみなされる」と言ってましたが、『吸血鬼ゴケミドロ』と『昆虫大戦争』って、よほどコアの菊池ファンかオールド邦画ファンでない限り、聞いたことすらないはず…。
  • 2016-06-16 06:05
  • JoJo
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[C65] 管理人です

JoJoさん、いつもコメントをいっぱい、ありがとうございます。文中、引き合いに出してすみません。

ダイターンの白ジャケット事件は僕たちの世代では有名ですね。私も白ジャケットで買って、あとで正式なジャケットに交換しました。

この1年ほど、「埋もれた」映画音楽集が次々と発売されていて、恐らく腹巻猫さんのような方々の尽力と思われます。
CD実物そのものの製作費はけっこう安価なのかも。
あとは権利関係のお金がいくらくらいか、というところなのでしょうね。
趣味ではなく、会社として行っているわけですから、少数販売でも採算が取れるという試算と前提で発売されていると思います。
でないと取引先の銀行から手を引かれますもんね。
素直に「熱意と努力の産物」と思います。全部は無理ですが、一部は購入して、意気にこたえたいですね。

[C68]

管理人さんもやはり白ジャケットをお買いになってましたか。あれはなんか、大人の事情による大人気ない争いでしたよねw

ところで、誤字を訂正します(ひとのこと言えないw):

高島幹夫→高島幹雄

失礼しました。
  • 2016-06-22 08:19
  • JoJo
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[C71] 管理人です

コメントありがとうございます。
でも、「大人げない争い」が世に蔓延しておりまして、実は「大人だからこそ」という物悲しさを感じます。

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著作権はいつになったら新天地を目指すのか 「海のトリトン」の教訓

(承前)

「芸能界のしきたりとして、前金をもらって初めて幕を開ける。例外はない。前金をもらわなければ幕は絶対に開けない。これは『幕を切る』という言い方をする(後略)」

講談社「「宇宙戦艦ヤマト」を作った男」~84頁より引用。

上記の表現に倣えば、西崎義展は、「自分が納得しなければ(前金をもらわなければ)、絶対に商品は発売させない(絶対に幕を開けない)」と、いう考えを人並み外れて徹底していたのだと思う。

JoJoさんという方が意見をくださった。
昭和30年代に放送された「忍者部隊月光」の劇判集が近年、初めて発売された。これまではCDはおろか、恐らくLPですら発売されたことがない(※1)。正に50年以上を経ての「新発売」である。埋もれた作品はたくさんあるのだから、「海のトリトン」が36年も埋もれることだってあるだろう、と。

僕の説明を補足しておこうと思う。
昭和40年代のアニメ作品の中で、「海のトリトン」の価値は音楽も含めて非常に高い。それは僕くらいの年齢のアニメ愛好家ならうなずいてもらえると思う。わざわざ鈴木昌宏が自分で再録音したくらい、人気もあった音楽なのだ。その音楽集が36年間も再発売されなかったというのは、僕は絶対に異常事態だと思う。
そして、なぜそうなったのかと考えても、原因は知名度でも商品価値でもない、著作権者(西崎義展)の拒否権以外に考えられないのだ。
更に、西崎が拒否権を発動したのは商業上の理由ではなく、彼が何らかの、至極個人的なこだわりを押し通したからではないのか。
多くの愛好家が待ち望んでいた音楽を、著作権者のこだわりだけで埋もれさせていたのではないか。
アニメ史で西崎が果たした役割、業績の大きさは僕も十分以上に認める。認めざるをえない。
だが、「公の財産」としての「海のトリトン」を、個人の好みで埋もれさせないでくれ。
36年も埋もれさせるべき作品ではない。
・・・そういうことだ。

「忍者部隊月光」が大好きな方には失礼な書きようだと思う。
しかし、この作品が埋もれていたのは、ある意味、自然の流れだったと思う。製作・放送されたのが昭和30年代である。映像技術、画質などを考えると、昭和40年代の作品に比べると再発売して採算が取れるかというと、不利だ(※2)。
昭和30年代の映像は、やはりまだまだ映画だったのだ。
当時のテレビ作品の多くが時の流れに沈んでいった。よほど強い意志が働かないと浮かび上がることはなく、歴史の倉庫に収められていく。
今回、「忍者部隊月光」は有志によって「人為的に歴史の水底から引き上げられた」といえる。3枚ものCDを発売するというのは採算を度外視したとしか思えないものであるが、これを成し遂げた関係者の熱意に拍手を贈りたい(※3)。





だが、「海のトリトン」は本来、歴史の表面に浮き沈みを繰り返す、息の長い魅力を持った作品だった。「トリトン」は「月光」とは逆に、「人為的に」水底へ沈まされかけた作品であると言いたい。
著作権を盾に発動された力が、この作品を抹殺しかねないほどであったが、数多くの愛好家の陰陽の働きによって食い止められていたと言える。
著作権の成すがままにされていたら、この作品は今頃どうなってただろうか。

知名度も人気もある。需要と供給の視点からなら、再発売に大きな障壁はない。しかし、埋もれたままの作品が幾つもある。
以前にも触れた「キャンディ・キャンディ」だが、原作者と漫画家との著作権争いのために、映像関連は封印状態にある。ようやく音楽集が再発売されたくらいだ。


「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」のBDは、一度は発売が予定されながら中止になった経緯がある。
原作者の高橋留美子が同意しなかったからだとか、作品の一部に登場する東宝や円谷プロ作品の怪獣などが著作権で問題になったからではないかなどの憶測がささやかれた。

最近でも驚いたことがある。
安彦良和監督「ヴィナス戦記」という映画がある。このDVDやBDは現在に到るも国内盤は発売されていない。
ウィキペディアの記事を読んで初めて知ったのだが、原作および監督(著作権者)である安彦が発売を認めないからなのだという。興行的に失敗し、安彦がアニメ制作者として一時、引退した契機となった作品なので、再発売したくないのだという。
これまでの僕はてっきり、主役を演じた俳優がかのジャニーズ事務所所属だったので、そちらからの不同意だったのかと思っていた。

「ヴィナス戦記」は傑作ではないかもしれない。
だが、僕から見れば十分以上に名作だ。
戦争(紛争)という異常事態に投げ込まれる市民のとまどい、日常生活に侵食する理不尽な暴力と、それに抗えない一般人の苦しみと若者の行き場のない怒り。
安彦の卓越した才能による画面構成と、独自の天才的なアニメーション。
昔、劇場で観た時、僕は唸ってしまった。個人的には「アリオン」や「クラッシャージョー」よりも完成度も高いと思っているし、傑作と呼びたい。
「ヴィナス戦記」は決して埋もれてよい作品ではない。
音楽も気に入った。主題歌も挿入歌もよかった。だから、CDをすぐに買った。今も手元にある。いつか紹介する。
しかし、この作品のDVDやBDが安彦(著作権者)の不同意で発売できないという。
理不尽だ。
更に理不尽なのは、これが海外では正規発売されているという現実だ(※4)。





ちょっと変わったところでは、「ファイブスター・ストーリーズ」に登場するロボット(モーターヘッド)を、作者の永野護が一方的に、突如として造形や設定を変更した件がある。モーターヘッドにまつわる著作権に対し、永野が主導権を持てない状況らしい。だから、自分が自由にできる設定に変更したのではないかと推測されている。
阿呆をみたのは、「モーターヘッドって、かっこいいよね」とこの作品を支持してきた読者たちである。これに対し、永野は「読者の半分を失うけど、かまわない」と開き直ったそうだ(※5)。

世界的に有名な話題では、「スターウォーズ 第6話ジェダイの帰還」で、オビ・ワンを含む過去のジェダイたちの魂が揃って登場する場面がある。新作が公開された事情に併せて、この場面に変更が加えられている。しかし、物語の余韻を大幅に変えてしまったと、昔からの愛好家たちが不満を述べている。1980年初回公開版は基本的にBDで発売されておらず、視聴の機会が大幅に制限されていることも不満の対象となっている(※6)。

こうした事例を眺めていくと、著作者たちは「権力者」として、愛好家の希望を無視して、作品の公開を制限したり、改変したりしている。
「著作権」は、作品の誕生に関わった人々の利益を、その立場の高低に関わらず、守るためのものであり、ひいては公正な競争が営まれ、社会が活力を維持できるようにするためのものと僕は解釈しているし、大きくは外していないと思う。
だが、その一方で「著作権」は、時に横暴な「権力」を発動することが可能であり、愛好家、観客、消費者を置き去りにする凶暴な装置でもあるのだ。
事実、これまで述べてきたように、著作権者は一方的な理由で、受け手側が作品に接する機会を制限したり、禁止したりすることができる。それを受け手側は法的にはどうすることもできない。

著作権法は明治32年(1899年)に制定され、社会事情に併せて適宜、改正されている。直近では平成26年に改正されたそうだ。Kindleでは平成22年改正版が無料で入手できる。紙の本にすると数百頁くらいの分量になるが、一度、項目名だけでもさらっと目を通されてはどうか。


また、幸いなことにこの法律の概要について、様々な法律事務所がHPで解説してくれている。例を一つくらい掲げておく。
著作権法の基礎知識

さて、この法律の大雑把な概要をみていくと、ここで語られているのは
① 著作権とは何か
② 著作権は誰に与えられるか
③ 著作権はどのように利用できるか
④ 著作権の適用範囲、保護年数はどれくらいか
⑤ 著作権の侵害とは何か、侵害するとどのような罰則があるか
などがあり、その他にも「著作権者の行方がわからない場合はどうしたらいいか」なんて項目もある。
この法律を眺めてすぐに気づくのは、ここに定められているのはあくまで、「著作権」が誰に帰属するかであり、「著作権者」の保護であり、「著作物」をどのように利用していいかである。

まず、「著作権」はどのような作品にも発生しうる。内容の程度や良し悪しは関係ない。
僕のこのブログでもそうだし、ツィッターやSNSなどで公開された些細な画像にも発生する。報道に用いられる道行く人の画像にすら、本来、肖像権が発生するという。
誰かが何かを創作すれば、それがブログの文章であれ、プリクラ写真であれ、著作権が認められる。
特許とは異なり、何の手続きもいらない。自然に発生すると法律が定義づけている。
だから、著作権は日々、無限に発生する。

そんな無数の「権利の帰属」を整理し、争いごとをいかに円滑に解決する役目を、著作権法が担っている。
「著作権の権利の帰属」とは、とどのつまりは誰が「その著作からお金を得ることができるか」という議論であり、そういう目でみると、著作権法の本質は「経済=お金のための法律」だと僕には思われる。
知的財産から発生する「利益」の、当事者間の「奪い合い」をいかに収めるか。
それが著作権の重要な役割なのだと思う。

それだけではない。著作権者「以外の存在」から著作という知的財産を保護し、そこから派生する利益も保護されるようにすることも重要な役割だ。
言うまでもなく、インターネットを介した音楽、映画、文章の違法登録、中国などにおける違法な摸倣をいかに規制するかということだ。
著作から生まれてくるお金の行き着く先の一つに、税収=国庫も含まれるだろう。
国家にお金の入らない作品の利用のされ方を防ごうということだ。
ここでも最も重視されているのは、「お金」の行き先なのだと思う。

ところで、著作権法は「排他的独占権」を著作権者に与えている。(※7)
言いかえれば、「著作権法は、著作物という情報の複製物の市場を、著作権者に独占させるために考案された法的ツール」なのだそうだ。
本間忠良 著作権と競争政策――インセンティブ仮説の検証(試論)
繰り返しになるが、この法律は「著作を通じて、お金を受け取るのは誰か?」を最も重視している。
恐らく、国や法曹界としても、そうした方が管理しやすいからなのではないかと思う。
だから、この法律には「お金を払う側を保護する視点(ユーザー)」がない。

念のために触れておこう。
著作権の世界で「利用者」と表した場合、「ある著作物を使って、新たに某かの存在を作り出す」行為者とみなされる。
これと区別するために、僕はあえて「ユーザー」という片仮名言葉をこの文章で選ぶことにする。著作権法の世界では異邦な存在になるから、片仮名でちょうどよいのかもしれない。
ユーザーとは、最終的に「作品を鑑賞する人」ひいては「作品を愛する人」と受け止めてもらえればいい。だから、「消費者」よりも、もっと能動的に作品に関わる存在だ。
そう、僕やこのブログを読んでいる貴方たちのことだ。

さて、法律の世界では「著作権者」は絶対的な存在だ。裁判で争われるのも「誰に著作権(あるいはそれに付随する権利)が帰属するのか」「ある行為が著作権を侵害しているか」どうかだ。
つまり、「誰が絶対権力を持つか」が基本的に争われている。それ以外の争いはないようだ。
ないというか、これ以外の事は「争おうとしても認知されない」;法的な問題とはなりえないといった方が正しい。
著作者および著作権者には、「ユーザーを保護する義務」などないから、そうした類の係争は生じえないということだ。

法律が著作権者に課した「義務」は非常に限られているようだ。
あえて著作権の制限はと言えば、甲という作品があって、これから更に着想を得た乙という作品が生まれたとした場合、単なる摸倣でなければ甲が乙に文句を言うことはできない、それくらいではないか。
要するに甲の著作権者は、自分を足掛かりにした新たな作品の発生を阻害してはならない。
これがある意味、「公表された」甲に課せられた「社会的義務」といえるだろう。

他方、大した「義務」がない割に、著作に対する「権利」は絶対であり、権利さえ持っていれば、法の範囲(公序良俗を犯さなければ)では何をしてもいいということになる。
だから、映画でも小説でも音楽でも、「この作品は気に入らないから、もう公表しない」という行為も許されている。
いつ売って、いつ売らないかも自由だ。
永野護などは「FSS}の多くの読者を何年も待たせて完成させた映画(『花の詩女 ゴティックメード』)を、劇場での視聴しか認めていない。地方在住者や劇場に足を運べない状況にあるユーザーの事情は全くの無視だ。
「ユーザー」の側には全く何の権利もない。
「ヴィーナス戦記」巡る商品展開が安彦によって制限されたとしても、法的な異義申し立てはできない。
法的には全く問題がないからだ。
「著作権者が『どんなに金を払ってもトリトンは使わせない』っていうんです。どうにかなりませんか?」
「著作権者がトリトンのCDの発売を認めてくれないんです。どうにかなりませんか?」
→どうにもなりません。著作権法で認められた権利ですから、裁判になりえません。
で、終わりなのだ。

ところで、一時期、違法アップロードに関する広告放送が流されていた。
とあるアニメ愛好家が、名作でありながら再放送されない作品をネットで公開して、逮捕されたようだ。
取り調べをしている遠藤憲一扮する刑事は、「名作なのに再放送されない状況である」ことを認めながらも、アップロードが違法であることを指摘する。
そして、アニメ愛好家の言い分を聞いた上で、「でも、君が作ったものじゃないよね」と著作権の原則を厳しい口調で宣告して、放送は終わる。
ここでは「再放送」としか表現されておらず、DVDやBDが発売されているのか、ネット配信はどうか、つまり、「合法的にそのアニメを視聴する手段がTV以外にあるのかどうか」については(時間の都合もあるだろうが)あいまいにされている。
この広告放送が示しているのは、
「どんなに優れた作品、『ユーザー』から支持を集めている作品であったとしても、たとえそれを視聴する合法的な手段が存在しないとしても、著作権者の許可なくこれを公表してはならない。」
という主張だ。
その通り。法律がそう定めているのだから、異義を唱えても無駄だ。
違法アップロードを肯定するつもりはない。だが、だったら、なにがしかの形で、対価を払えば「合法的に視聴できる環境を整えてくれ」よ、とも思う。

また、「そこんところは違うでしょ」と突っ込みたくなる部分がある。
「君が作ったものじゃないよね」という表現だ。
制作者であっても、著作権を行使できない場合もある。
映画の監督はたいがい著作権者になるはずなのだが、例えば「アルプスの少女ハイジ」の演出は高畑勲だが、この作品については著作権を持っていないそうだ。制作元のズイヨーが全ての権利を持っていったという。
その結果、高畑であれば容認しないような使用のされ方をしている(家庭教師のトライ)。
つまり、著作権があれば、逆に「作品の製作に関わっていない人間であっても」何をしてもよいということだ。
そして、「アルプスの少女ハイジ」の世界観を蹂躙するような内容であっても、「著作権」の錦の御旗があれば、何のお咎めもない。
作品に対する敬意という概念は、法律の世界では一切、問題にされない。(※8)
かつて興隆を誇ったアニメパロディは、著作権のもとにコミケ会場という限定空間に封印されたが、「著作権」があれば同じことをしても許されるのだ。
ハイジとトライのライセンス、背後に控える電通

著作権および著作権法において、決定的に無視されているものは何か。
それは作品そのものに対する敬意であり、愛情だと思う。これが感情的というならば、世に出た諸々の作品を「そのままに」保存しようという意志だろう。
著作権者だから、作品に敬意や愛情があるとは限らない。
むしろ、消費者・観客・「ユーザー」の方がより強く持っているかもしれない。
だが、畢竟、法律が保護するのは作品を巡る「経済」であり、「お金」である。
「経済」が円滑に回るように、「お金」がたくさん稼げて、国家にその一部が還元できるように、「著作を管理する」ことが第一であって、作品の価値や意義は二の次なのだ。
それを根底から否定するほど、僕は幼くはない。
でも、それでもあえて言うなら、「一度、この世に生を受けた作品は、人と同じように尊重されるべきであり、『生みの親』の都合だけで生殺与奪を言いようにされるのは理不尽である。人の世は、理不尽なるものをより良きものへと改善していく努力を行うべきである。それを放棄することは、弱肉強食の未開の時代へ戻ることと変わらない」と、僕は思う。
後半の言説は決して理想主義から述べたものではない。利潤は大切だが、利潤のみを追求すると、社会が荒廃する。例えば大企業による地域経済の蹂躙は、社会から多様性を奪い、格差を広げる結果となり、それが人心の荒廃をもたらし、社会の活性化を奪うからだ。
お金を儲ければいいというだけでは、ダメなのだ。

繰り返す。
この世に一度、公表された作品は、それ自体が一個の独立した存在として尊重されるべきであり、「著作権者」の都合だけで葬られるべきものではない。

一度、世間に公表した作品は、差別であるとか、誰かの名誉を著しく毀損したなどの正当な理由なくして再公表を拒絶することは、著作者や著作権者であってもできない。
そうした概念を著作権法に導入するべきだと、僕は思う。
要するに、ある作品を誰かが正式な手続きを経て発売しようという時、著作者や著作権者はそれを一方的に拒否することができないようにすることだ。
一度、公表された作品は、もはや著作者および著作権者だけのものではない。社会全体の共有財産だと僕は思う。社会が求め続ける限り、その作品は提供され続けるべきだろう。
もちろん、そこから発生する利益はこれまで通り著作者および著作権者のものだ。
別に著作者および著作権者が直接、作品を提供しなくてもいい、原本を利用する許可さえ与えて、後は第三者が実行してもいい。
やりようはいくらでもある。
でも、悪用の抜け穴もいくらでもある、と言われるかもしれないが、それはどの法律でもあることだ。

あと、更に付け加えるならば、「作品の保存行為」を認知することも、僕は望んでいる。
原稿の著作権法では、個人・非営利であっても、ブログにおける歌詞の引用や画像の紹介は大きく制限されている。それについて異を唱えるつもりはない。
僕のブログで使用している画像にしても、アマゾンのアフィリエイトを除けば、単に著作者および著作権者から看過されているだけだ(※9)。
しかし、愛好家は、作品を網羅的に保存したいと願っている。些細な物であっても、その作品の理解に結びつく、魅力を伝える資料や素材を、某かの形で保存し、公開したいと思っている。
過去のアニメレコードのジャケットや解説書、特典の原画集、アニメ雑誌の記事・・・。愛好家たちが動かなければ、誰が保存してくれるだろうか。
20年前、30年前の資料がいつでも閲覧できるような状態にしておくことが、果たして著作者および著作権者に可能だろうか。採算の面からすれば、考えられないことだろう。
例えば「白獅子仮面」などという、特撮番組の教科書でもなければ知り得ないような作品の資料集を、どこの誰が営利目的で作ろうとするだろうか。そんなことをしようというのは、愛好家だけである。
個人的に死蔵するよりも、ネットで公開したい。
そうした行為ならば、認知されてもいいと思う。
個人の収集品を公開する方式が、最も安価に作品の情報を保存できる方法だと思う。
1970~80年代のアニメに親しんだ僕も、もう50歳になった。僕が親しんだアニメ作品の魅力を後世に伝えていくための、「奉仕活動」としての資料の使用は認知されてほしいと思う。
せめて、「慣例」として「黙認」するくらいの状況になってほしいと思う。

ついでに触れておくが、僕は常々、「どうしてアニメ音楽の研究が活発でないのだろう」と疑問に思っていた。
他の分野に比べて、評論家なり、紹介者が育たない構造があるのかもしれないが、理由の一つとして、「画像を使用しづらい」という状況も関わっているのだろうと考えるようになった。
アニメ主題歌を特集した書籍でも、画像がほとんど掲載されていない。使用料が負担になるからだろう。そうなると、アニメ全体を俯瞰するような魅力的な書籍は容易に作れないということになる(※10)。
この点については、アニメの紹介や研究に使えるように、一部の画像や資料の著作権を開放してはどうかと思う。

いずれにせよ、「ユーザー(作品の受けて側)」を尊重する著作権の在り方になってほしいと思う次第だ。
ここまで記して、同じような意見がないか探してみたら、さっそく見つかった。
公表されたのは2001年とある。既に15年も前のことだ。
ハンドルネームで火塚たつやという方が、「エンドユーザーの著作物使用から見える近代著作権法の問題点~利用権中心主義の提言~」という正にドンピシャの主題で意見を公表されていた。
修士論文として作成されたそうだから、法学部の大学院課程の然るべき段階で正式に提出されたものだろう。
火塚は
「このコンテンツは、私「火塚たつや」が修士論文として大学院に“正真正銘”提出したものです 冗談でもパーティージョークでもありません。本当です」
と冒頭で謳っている。つまり、それはどういうことかというと、法曹界ではこのような考え方が全くの「異端」であるということなのだろう。
僕のような駄文ではなく、自身の「研究成果」として大学院に提出したものであるから、当然、長文であり、専門的用語も多い。読むのは骨が折れるだろうが、斜め読みでも目を通されることをお勧めする。
火塚は「エンドユーザー」という表現を用いて、僕たち愛好家の存在を法律の世界に届けようとしている。
また、火塚は「第二節 エンドユーザーによる著作物使用の実態」で愛好家の現状を記述し、そうした事態を前にとまどっている著作権者の状況を「第三節 「著作物の消費者」の不認識」で報告している。
最終的に彼は「利用権中心主義の提言」を掲げて論考を終えている。
平成28年(2016年)の現在においても、火塚の論考はまだ日陰の存在であり、状況は一切、動いていない。火塚のHPも2007年頃から更新されていない。実質、活動を停止している状態だ。残念ながら、彼自身を含めて、この考えに賛同し、追随しようという動きはなかったのだろう。
なぜなら「利用権中心主義」は利益を生み出すものではないからだ。
だが、現状の著作権を強力にしていくことは、文化の多様性の喪失につながると僕は考える。

著作権はいつになったら、新時代を目指すのだろうか。
僕らはあてがわれた情報のみを黙々と食べることだけを強制される家畜扱いから、いつになったら解放されるのだろうか。
しかし、やがては火塚が「利用権中心主義」の提唱者として広く知られる時代がくることを願っている。
著者の要望に従い、以下に記しておく。
ハンドル「火塚たつや」
アドレス「tatuya215@hotmail.com」
URL「http://tatuya.niu.ne.jp/」

次回は「海のトリトン」本編の魅力について、ささやかに触れてみたい。
その前に1回、寄り道させていただく。

※1)過去にビデオやDVDは発売歴があるが、音楽単独の発売はなかったようだ。
※2)社会現象にすらなった「月光仮面」でも、主題歌は別として音楽集となると発売されていないようだ。
※3)独立レーベルとして立ち上がったSoundtrack Pubは、精力的に過去の音源を再発売している。
※4)同様に「キャンディ・キャンディ」も韓国でDVDが発売されている。画質は悪いそうだが、正規版らしい。恐らく、海外での販売権は認めているのだろう。全くもって、日本の愛好家を蚊帳の外において、どういうつもりかと思う。
なぜかアマゾンでの販売は終わっているが、一部のサイトでは販売されている(2016.6.12)
※5)だから、僕もこの作品の読者をやめた。
※6)どういうわけか、欧州では初回公開時版が販売されているらしい。

※7)法律用語における独占性と排他性の解説
独占性=自分が実施する権利かつ他人の実施を排除する権利を持つ性質(実施権の専有)
排他性=重複する権利を成立させないという性質

IPF biz 独占性と排他性:独占排他権の誤解より

※8)ただし、著作物を著作権者に断りなく、勝手に改変すると罰される。「著作ではなく」、「著作権者に対する敬意」は尊重されている。
※9)「黙認」ですらない。「看過」だと受け止めている。愛好家のこうした活動について、「認めたくない」と考えているだろうからだ。
※10)この観点から見れば、大著となった「日本TVアニメーション大全 テレビアニメ50年記念」がカラー頁が多いとはいえ、かくも高額になった理由が察せられようというものだ。

※)まさか「白獅子仮面」のDVDが発売されていようとは・・・・


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キャンディは「絵なし」(または漫画・アニメと関係ない絵)なら発売OKということにようやく落ち着いたんでしょうね。小説版も出ましたし。アニメ版の絵は漫画版とはだいぶ違ってましたが、一応漫画版に基づいたキャラクターデザインなので避けた方が無難なんでしょう。ちなみに、放送当時のLPを持ってますが、ジャケットにはアニメ版ではなく漫画版の絵柄が使われてました(いがらしゆみこによる描き下ろしだったかも)。今回の音楽集はBGMはもちろんのこと、堀江美都子の『歌のあゆみ』シリーズから漏れていた「すてきなキャンディ」(こおろぎ’73歌唱 - 堀江は笑い声のみで参加のため『歌のあゆみ』からは除外)の復刻もアニソンファンにとっては大きいですね。こおろぎ’73による挿入歌って、未CD化がまだいくつかあるのに、せっかくCD化されてたこの曲が入手困難でしたから。

著作権といえば、ダイターン3の「白ジャケット事件」を思い出します。当時、アニメ・特撮音楽の市場は日本コロムビアがほぼ独占してましたが、キングレコードがシェアを広げるための努力を繰り広げていて、その一環として日本サンライズと提携。しかし、ザンボット3とガンダムの間に作られたダイターン3ではコロムビアに主題歌権を取られてしまう…という状況の中で、「いや、BGMだけなら出せるぞ」とダイターン3の音楽集を企画したものの、コロムビアから「音楽集は出させてやるが、絵は使っちゃダメ」というお達し(脅し?)が来て、仕方なく白ジャケットで発売。ほぼ同時に、コロムビアからも「こっちが本物」と言わんばかりの絵付きの音楽集が発売されたという。私は両方買いましたがw

後年になってキングから発売された必殺シリーズの番組別音楽集には各番組の主題歌が正規発売元の協力を得てレコードサイズで収録されてますが、コロムビアが販売権を持つ『必殺渡し人』の主題歌(中村雅俊歌唱)だけは収録されていない…というのは、もしかして白ジャケット事件の確執が尾を引いてたからなのかも、なんて勝手に想像してます。

もっと後にキングから発売されたサンライズロボット主題歌集にはコロムビア版のダイターン3主題歌が収録されてるので、もういいかげん和解したのかもしれませんが、著作権・販売権関連の「大人の事情」って、ご指摘のようにファンをないがしろにしていて嫌ですよね。
  • 2016-06-14 03:48
  • JoJo
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[C64]

古い作品のBGMですが、菊池俊輔が初期(1968年)に担当した映画『吸血鬼ゴケミドロ』と『昆虫大戦争』のサントラが先月になってようやく発売されましたね。『菊池俊輔 作曲50周年 CD-BOX』に一部は収録されてましたが、まさか、今さら(?)”完全盤”が出るとは思ってませんでした。この調子で、まだまだ埋もれてる菊池節トラックを発掘してくれることを願います。

…とはいえ、こういうサントラって採算取れるんですかねー?ミュージックファイル・シリーズの編纂で知られる高島幹夫氏が「アニメ・特撮のサントラCDは1000枚売れればヒットとみなされる」と言ってましたが、『吸血鬼ゴケミドロ』と『昆虫大戦争』って、よほどコアの菊池ファンかオールド邦画ファンでない限り、聞いたことすらないはず…。
  • 2016-06-16 06:05
  • JoJo
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[C65] 管理人です

JoJoさん、いつもコメントをいっぱい、ありがとうございます。文中、引き合いに出してすみません。

ダイターンの白ジャケット事件は僕たちの世代では有名ですね。私も白ジャケットで買って、あとで正式なジャケットに交換しました。

この1年ほど、「埋もれた」映画音楽集が次々と発売されていて、恐らく腹巻猫さんのような方々の尽力と思われます。
CD実物そのものの製作費はけっこう安価なのかも。
あとは権利関係のお金がいくらくらいか、というところなのでしょうね。
趣味ではなく、会社として行っているわけですから、少数販売でも採算が取れるという試算と前提で発売されていると思います。
でないと取引先の銀行から手を引かれますもんね。
素直に「熱意と努力の産物」と思います。全部は無理ですが、一部は購入して、意気にこたえたいですね。

[C68]

管理人さんもやはり白ジャケットをお買いになってましたか。あれはなんか、大人の事情による大人気ない争いでしたよねw

ところで、誤字を訂正します(ひとのこと言えないw):

高島幹夫→高島幹雄

失礼しました。
  • 2016-06-22 08:19
  • JoJo
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[C71] 管理人です

コメントありがとうございます。
でも、「大人げない争い」が世に蔓延しておりまして、実は「大人だからこそ」という物悲しさを感じます。

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