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寄り道 いちばん小さな声、そして子宮頸癌ワクチン

今回はアニメのお話はありません。



かつて、足利事件の犯人として告訴され、死刑判決を突き付けられた方が、冤罪として釈放されたことが報道されていた。
その報道を見て聞いて、当時の僕が真っ先に思ったことは、「では真犯人はどこにいるんだ?」というものだった。
冤罪は無実の人の人生を破壊するだけではない、処刑されるべき真犯人を放免するという愚劣な結果をもたらす。
そう思いながらTVを見ていた。

ぶらりと本屋をうろついていると、「殺人犯はそこにいる」という単行本が目についた。「北関東連続幼女殺害事件」という記載がある。買うか買うまいか、気にはなっていたが、読んでいない本がたまっているので、いつも後回しにしてしまった。
その本が文庫本になって平積みにされていたので、とうとう買うことにした。
そして、先の報道で僕が感じた、正にそのことを伝える本だったのだと知った。
真犯人を追い詰め、あぶりだしたいという著者の執念がみのって、足利事件の冤罪を明らかにする経緯が語られている。
公権力がよってたかって、無実の人間を強引に犯人にしたてあげていく。
著者である清水潔は、20年も経った時点ですら検証すべき矛盾点をつきつけていく。
だが、権力(警察)の側は頑なに矛盾を認めようとしない。
だが、最終的には再診が始まり、冤罪であるとの判決が下される。
しかし、当時、冤罪に追いやった側は一切、反省の弁を述べない。

だが、これで終わりではない。清水が冤罪を勝ち取ろうとした動機は、「真犯人」をあげるためなのだ。無残に殺され、あるいは今も行方の知れない少女たちの人生を奪った輩をのうのうと生きさせている、この状況を覆そうというのが真の目的なのだ。
ところが、恐ろしいことに、この期に及んでも、著者から真犯人の情報を突き付けられても、公権力はこれを無視する。
事情がある。当時、足利事件でもDNA鑑定が有罪の決め手になった。しかし、著書内で検証されているように、実は非常に拙劣な程度でしかなかったという。
それを認めたら、別の事件の判決にも影響が生じる。
九州で発生したその事件では、犯人と確定された人物が既に死刑に処せられてしまっている。
その人も冤罪を訴えていたのだ。
だから、これだけの本が出ても、公権力は無視を続ける。
人の人生より、組織の面子の方が大切なのだ。
公権力、大組織の前では個人の人生など糞や滓も同然という現状認識が、生々しいほど伝わってくる。
僕は死刑制度には賛成である。だが、それは真犯人に対してのみ執行されるべきものだ。

最近でもまだ行方不明の女児(誘拐当時)のご両親が群馬県警と会見するニュースが流れていたが、「幼児をパチンコに連れて行った親が悪い」という発言が非常に多かったので悲しくなった。
一番、非難されるべきは犯人なのに、犯人に対する怒りの声がネットでは少ないのはどういうことなのだろう。


毎年、この時期には子宮頸癌ワクチンの副作用問題について触れることにしている。
この1年間はというと、いよいよワクチン推進派が反対派を異常者扱いしようとする動きが活発化している。
ワクチンを巡って、「副作用として認めるのかどうか」という問題と、「ワクチンそのものに反対するかどうか」という問題が混然一体となってしまったため、より対立が深刻化してしまっている。
これらは本来、別個に扱うべき課題だったのに。
だが、そもそもは医師、行政、製薬会社が、「副作用など認めない」と頑なな態度を取った結果がこれだ。まともにこの問題を扱おうとしなかったその態度が、ワクチンそのものを否定する動きにつながった。
しかし、推進派はそんなことは認めない。彼らは被害者を嘘つきよばわりするか、ワクチンと関係のない病気であることを認めない偏執的な人間と決めつけようとしている。
娘を救いたい一心の親心を、踏みにじり続けている。
「このワクチンはおかしい、副作用を認めて欲しい」と真っ当な意見を出せば、「欧米では問題になっていない」「統計学的にワクチンが原因とは考えられない」と切り返す。
いずれも間接的な検証に過ぎない。
患者をみていない。
数字だけで切り捨てようとしている。
それが「医学」というものらしい。
都合のいい時は「日本の医療の方が優れている」と言いながら、こういう時は欧米だのWHOだのを錦の御旗に利用する。

わけがわからないから精神科へ行けといって、邪険に扱われる。
そんな態度を取られたら、普通の生活を送ってきた普通の人々であっても、戦わざるをえないではないか。
その人々をつかまえて、最近は村中璃子と名乗る、医師免許を持っているという文筆家が、WEDGE infinityというWeb雑誌を舞台に、被害者側を非難する記事を次々と発表している。副作用を解明しようとしている医師についても、批判的な内容になっている。
あまつさえ、副作用に苦しむ少女に強引に取材をしようとして怯えさせる始末だ。
もはや「あんた、医師免もってるんでしょ? 医者としてどうなの?」と言わざるをえない。
以前にも、僕は「本来なら、副作用が出やすい体質を検証して、危険のある人をワクチンの対象から外せばよい」と記した。だが、その検証すら行おうとしない。
果たして医師たちは、副作用の症状や議論を真剣に議論したのだろうか?
患者一人一人の状況を、学会などの場で公平な議論や検証をしたことがあるのだろうか?
していないと思う。反対派の医師を袋叩きにすることだけはしているようだが。

ヤフーの知恵袋でワクチンに反対する人物と、ワクチンを推進する医師が対立する場面があった。
反対する側も、僕でもどうかと思う発言を繰り返していたが、対する医師も延々と噛み合わない議論を続けようとしていた。
普通の判断力があれば、「これは議論にもならないし、喧嘩しても意味がない」と引き下がるところだ。だが、その医師は決して「議論」をやめようとしなかった。
医師国家試験を合格して、その後もたゆまず勉強しているだろうことは、その発言内容からもわかる。
だが、その医師は噛み合わない議論を決してやめようとしない。
相手がまいったをするまでは、絶対に自分からは退きたくない、「負けたくない」という性格が無意識に滲み出ていた。
こういう人物は面子を潰されることを決して認めないだろう。
僕はそう思った。
決して議論をやめようとしないその医師に、僕は怖いものを感じた。
他の医師の発言の中にも、その乱暴な物言いはどうなの?という発言がいくつもみられた。

この問題は裁判に発展した。
ただし、薬害エイズ裁判などの事例とは異なり、海外からの援護射撃はない。むしろ、世界が敵に回る戦いである。勝機は非常に乏しいと言わざるをえない。
それでも裁判に訴えざるをえない事情がある。
かつての少女たちも、時の流れとともに成人を次々と迎えていく。やがて彼女たちの存在は社会に埋没しかねない。
親の庇護の下にいる間はまだしも、自立して生活ができなくなる恐ろしさを常に抱えている。
就職はできるのか。
伴侶と巡り合えるのか。
少女の頃は同情されても、大人になって年を重ねていけば、やがて「体力のない厄介者」と世間にみなされかねない。いや、される。
基本的に、親は子供より先に死ぬ。
己の死後、娘がどのように生きていけるのか。
親の心中はいかばかりか。
世間に認知してもらうためには、裁判をするしかないではないか。
だが、そんな親の心、被害者の苦しみなど意に介せず、推進派の医師たちはゆすりたかりと同列に彼らを扱おうとする。
彼らにとって、被害者は患者ではなく、テロリストなのだ。
僕はもう、この件については、医者だの、行政だのにすっかり絶望している。
人の人生よりも面子が大事。面子を汚す連中は犯罪者も同じ。追い詰めて世間から排除してしまえ。
どの面をさげて、正義を騙るのだろうか。
僕は物の怪を見る目で彼らをみつめることにする。

このワクチンをうってはいけない。なぜなら、もしも体調を崩しても、誰も助けてくれない上に、異常者扱いされるからだ。
ふざけるな。
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