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水平線の向こうには 「GO! GO! トリトン」の物語



歌詞タイム 「GO! GO! トリトン」
 (←まず歌詞を味わってください)

主題歌「GO! GO! トリトン」 作詞:林春生、作曲:鈴木宏昌、歌唱:ヒデ夕樹、杉並児童合唱団の布陣。
老いの入り口に立った今でも、古今東西、僕が一番大好きなアニメ主題歌だ。
作詞、作曲、歌唱の全てが、僕に「誰も見ない 未来の国を」垣間見せてくれる。
冒険の旅へと誘ってくれる。
「一人ぼっちでも」旅立てと檄を飛ばしてくれる。
だから、今も胸に染みる。

作詞の林春生は、昭和12年(1937年)島根県大田市。生家のある五十猛(いそたけ)は、少し足を伸ばせば日本海にたどり着く山間の町だ。グーグル地図を見れば、国道9号線を挟んで、海と山がすぐ近くに隣り合う環境とわかる。
五十猛
出典:グーグル地図より五十猛周辺
そんな五十猛に生まれた林は、物心つく前から日本海を見て育ったことだろう。
彼の原風景にはきっと、日本海の水平線が広がっていただろうと僕は勝手に思っている。
その水平線の向こうに、林は何を見て、何を思い、どのような感情を言葉にこめて、この輝かしい世界を構築したのだろう。
それは最早、誰にも知りえない。彼は57歳という若さで鬼籍に入った。もう、真意を聞くことはできない。

林春生はフジテレビの番組制作の統括者と、作詞家の二足のわらじをはく生活を続け、還暦を迎える前にこの世を去った。
夫の没後、奥様はマレーシアに移住し、海外生活者の支援活動などをしながら、ブログをしたためておられる。
そのブログによると、五十猛の彼の生家跡に、彼の業績を偲ぶ看板が立てられているという。
立てたのは林より9歳年長の兄上であった。自分よりもずっと若いのに、あまりに早くこの世を去った弟を偲んで立てたのだそうだ。
その兄上も、もうこの世にはいない。
国道9号線の「五十猛」から15分くらい奥に入ったところ。

にその看板はあるという。僕はグーグル地図の街路写真でそれらしい界隈を捜してみたが、みつけることができなかった。
もし、近くを訪れる機会があれば、ぜひ、探してみたい。
主人「林 春生(本名 林 良三)」の生家へ
私の主人は島根県大田市の静かな田園地帯で生まれています。
その後、家族は松江市へ出て行きます。
しかし、美しいけれど静か過ぎる古都「松江」では飽き足らず、都会に憧れていた主人は大学卒業後、フジテレビに入社。
とても堅くて厳しかった家からは「テレビ局なんてトンデモナイ!」と・・・数年間、勘当されてしまったそうです!
上記ブログより抜粋

『ザ・ヒットパレード』『新春かくし芸大会』『ミュージックフェア』
フジテレビ人気番組を統括するだけでも、林は相当に多忙だったはずだ。しかし、彼はそれにすら飽き足らなかったのか、作詞家としても活動した。
林は歌謡曲を多数、作詞したが、アニメにも詞を寄せている。
やたら勇ましい上に、「ハニワ幻人 全滅だ‼」とずいぶんと血の気の多い「鋼鉄ジーグ」
宇宙版「トリトン」を目指したようにも思われる「スターウルフ」
そして、「トリトン」と比べると、その世界観の落差の激しさと芸風の広さに脱帽させられる「サザエさん」
忘れえぬ歌を残して、林はこの世を去っていった。



彼の経歴を知った上で「トリトン」の歌詞を見つめると、そこに林の原風景が美しくも鮮やかに投影されているように思えてならない。
故郷の五十猛は、田園都市と言えば聞こえは良いが、片田舎だ(※1)。
平成の今ですら、うっそうと山が広がる土地である。同じ日本でありながら、大都市と比べると、耳に目にはいる情報も、激しい落差があると思う。
そう、今でもそうだと思う。
子供の頃から大都会で生活している人には、たぶん理解してもらえないもどかしさ、不自由さを、今でも地方の人は感じているだろう。
それが昭和の時代ともなれば、田舎と都会の落差は僕にすら想像を絶するものがあると、推し量らずにはいられないのだ。
もちろん、閉ざされた、昔ながらの世界で安らぎを覚える者もいる。
だがその一方で、遠い広い世界への飢えに苦しむ者もいる。
むしろ後者の方が多い。
彼らは外界から伝わってくる情報に激しく反応してしまう。
わずかな情報に過剰な想像を上乗せし、都会を遠く離れた己の境遇に怒りや屈辱、あるいはどうにもならない飢えを感じてしまう。
そして、林は飢えていたのだと思う。
血気盛んな頃の林は、もっと広い世界へ、華やかな世界へ、輝かしい世界へ行きたいと渇望したのではないか。旅=冒険に強い憧れを抱いたのではないか。
少年時代の林の瞳には、日本海の「水平線の向こう」に、自分だけの「夢の世界」が見えていたのではないか。

「GO! GO! トリトン」の詞は、一度、聞いただけで人の冒険心を激しく揺さぶる力が満ち満ちている。
林の秘められた思いが詞(ことば)にほとばしり、あふれ出している。
だからか。
この歌を聴くと、僕の魂がざわつく。
強い強い「憧憬」と「渇望」の想いが詞から溢れて、僕を揺さぶる。
「虹の橋」も「誰もみない未来の国」も、林自身が心の中で追い求めていたものだ。
それは東京を目指した彼の本音そのものだったかもしれない。
林自身の最も強い想いが歌詞に刻まれ、永遠の言霊を得た歌と思えてくる。

のどがひりつくような、憧れの世界への渇き。それは以下の言葉遣いに現わされている。
虹の橋が あるのだろう
何が呼ぶと いうのだろう
夢の世界が あるのだろう

のだ・ろう、という表現。
文法的には「のだ」は理由や状況を説明する表現だという。確定的な表現だ。
虹の橋があるのだ
夢の世界があるのだ
そう書けば、それはもう確信的な気持ちを伝えるものとなる。
だが、そこに「ろう」という未然形に変化するとどうなるか。
虹の橋は、夢の世界は、きっとあるはずなんだ。あるはずなんだけど、でも、僕は見たことがない、確かめたことがない。
「憧れの世界」への強い気持ちは決定的なのに、それは自分の手に届かないもどかしさ、渇きが、この「のだろう」という言葉に凝縮されている。
それは林が詞(ことば)に仕掛けた「憧れへの渇望」という爆弾なのだ。歌を聴いた時、耳にした時、その爆弾は人の魂の中で地雷のごとく炸裂し、その人の「憧れ」と「渇き」をガラガラと揺さぶるのだ。
いや、そんな読み解きだけでは、僕はまだ飽き足らない。
何が呼ぶというのだろう

この表現、この言霊。
これをどう国文法で説明したらいいのか、文法の素養のない僕にはわからない。
でも、やはり強烈に放たれているのは、「憧れ」への「渇望」なのだ。
はるかな波の向こうには
夢の世界があるのだろう
誰もみない 未来の国を
少年は 探し求める

広がる海の彼方から
不思議なうたが 聞こえるだろう
あしたの星 胸にしるして
遠く 旅立つ 一人

誰もみない未来の国とは何なのか
不思議なうたとはどんな歌なのか
あしたの星とは何を意味するのか

全てが僕の想像力と内に蠢く情動の核を激しく叩き起こそうとするのだ。

水平線の彼方にあるかもしれない理想郷。
沖縄のニライカナイ
那智勝浦の補陀落渡海
あるいは浦島伝説の竜宮城
林は自身の中に神話を築いていたのだろうか。
そして、彼の内なる神話への想いが、僕たちも染み渡るが故に、この歌詞に魂を揺さぶられるのかもしれない。
アニメ関連では佳作だった林だが、様々な縁(えにし)が絡み合った末、林春生は「トリトン」の歌詞を担当することになった。それは大袈裟ではなく、奇跡だったのかもしれない(※2)。

林が詞(ことば)に託した神話を、誰にでも覚えやすく、誰にでも伝わりやすくしたのが、鈴木宏昌の音楽だ。
やはり、鈴木も縁の力によって、この歌の作曲へと誘われた。
鈴木は昭和15年(1940年)東京都に生まれた。昭和一桁の青木望より一回り下の世代だ。
歯科医の家庭に生を受け、大野雄二や佐藤允彦らと同時期に慶応義塾大学に進学したという。
つまり、林とは対照的に都会っ子だったわけだ。それに加えて、裕福な恵まれた生活環境で過ごしたのだとわかる経歴だ。
そんな鈴木はどのような音楽環境で育ったのか。
親はどんな音楽を好んだか。影響はあったのか。
わからない。
この世代が思春期であった昭和30年代、若者に影響を受けた音楽と言えば、例えばエルヴィス・プレスリーだろう。米国の1950年代黄金期を代表するロック歌手だ。時代を変えたとも言える。
あるいはブルーノートを代表とするジャズ。1950年代はやはりブルーノートが歴史に残る名盤を多数、録音し、綺羅星のごとき名演奏家が活躍したジャズ黄金時代でもあった。僕の好きなビル・エヴァンスマイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」に参加した後、歴史に名高いエヴァンス・トリオの活動を開始したのも1959年である。
更に言えば、かのビートルズは昭和37年(1962年)の初お目見えなので、20代前半の鈴木も少なからずその音楽を耳にしたはずだ。
様々な音楽の流れが渦巻く中、鈴木は大学在籍中に頭角を現し、音楽家としての道を歩み始める。
彼が選んだのはジャズだった。




本来の鈴木の音楽は、全身全霊で駆け抜けていくような、エネルギーの塊のような音の奔流だった。
ジャズの手法を用いながら、ロックに勝るとも劣らぬ強烈な音の威力に圧倒される。しかし、ロックと根本的に異なっているのは、どんなに強い音圧の曲でも、そこからは荒々しさよりも洗練された感触が伝わってくる。
鈴木の音楽には豪快というより爽快という言葉がふさわしい。
コルゲン・バンドに続いて鈴木が立ち上げたThe Playersバンドの楽曲が、今年になってCDとなって再発売された。その中の「ワンダフル・ガイ」はThe Playersの面々が並んだ写真がジャケットに使われている。
彼らの服装が普通のお兄さん風なので、一見すると、かつてのフォークソングのようなのどやかな音楽を想像してしまうのだが、中に収められた音楽はキレッキレである。オープンカーで高速道路を突っ走るような感覚にとらわれる。
タワーレコード限定発売:The Players Blu-spec CD(※3)
林と鈴木とでは生まれ育った環境が180度、異なっている。
原風景に広がる「理想郷」もまた、恐らく全く違ったものだっただろう。
鈴木の心底に広がる「憧れの景色」がどんなだか、知る由もない。でも、それはきらびやかな照明が星々のごとく輝く、夜の摩天楼であったり、無数の人々が行き交う大都会の喧騒であるようにも感じられる。
本来、鈴木が表現したかった世界とは、都市生活を謳歌する人々が発する生命力や、都市そのものの魅力だったのかもしれない。また違う解釈があれば、是非ご教示願いたい。
だが、鈴木は「地方出身者」林の歌詞に対して真正面から取り組み、彼の憧れの感情を見事に支えて、冒険を主題とした最高の音楽を残した。

冒険の歌は、ホルンの力強い前奏で始まる。
レ レファラソー ソファミファミレー  ミミ ドミレー
海底火山の噴火とともに文字が吹き上げられる。それが整列して「海のトリトン」の題名となる。この冒頭だけでも未だに斬新だと思う。

第1節
レーレドレーレドレーレド レミファソ ミーミレド
水平線の     終わりには(アーアアー)
レーレドレーレドレーレド レミファソラ
虹の橋が         あるのだろう
第2節
ラーラーラードードドー ドーラソファ レーレレー
誰も見ない       未来の国   を
ラ#-ラ#ラ#-ソーソラ#レド#ララー
少年は       さがしもとめる
第3節
レーレドレーレドレーレド レミファソ ミーミレド
広がる海の        彼方から(アーアアー)
レーレドレーレドレーレド レミファソラ
何が呼ぶと        いうのだろう
第4節
ラーラーラードードドー ドーラソファ レーレレー
希望の星        胸にのこして
ラファソソラ#レド#ドレー
遠く  旅だつ   ひとり
第5節
レーレードラードー レーレード ラードー
ゴーゴートリトン  ゴーゴートリトン
レーレーレーレード  ラミレー
ゴーゴーゴーゴーゴー トリトン

採譜の拙さはご容赦を。赤文字は1音階上であることを示した。
歌いやすいのに力強い旋律だ。
第1、3節は低音界中心で中くらいの速さで音楽が進む。
林の描くトリトンの目の前に広がる世界の状況、「あるはずだが確証のない夢の世界」への思いが歌われる。それは決して約束された世界ではないから、低めの音階で歌われ、さりげない不安が刻まれている。
他方、第2、4節は高音階中心でゆっくりと歌われる。
ダーレーモ ミーナイー
キボーオーノ ホシー
と、語尾を伸ばし、聴く者の心を立ち止まらせて、トリトンを見つめさせる。
冒険に旅立つトリトンの勇姿を、その胸に刻み込む。
この静と動の音楽が交互に繰り返されることによって、溜めが生まれる。そして、第5節で一気に高らかに「ゴーゴートリトン」と歌い上げ、讃歌となる。
その勢いにのったトリトンが、「水平線の向こう」に突進していく躍動感とともに、歌もまた水平線の向こうへと消えていくのだ。

ここには冒険と試練に真っ向から立ち向かう、トリトンの英雄性が強く表現されている。
林が詞にこめた「憧憬」と「渇望」の情念を全て汲み上げている。
この鈴木の音楽だからこそ、林の情念が人々の心に広く届けられる力を獲得したと言ってもいい。
林の詞には、「憧れ」を強く歌いながら、その裏に「しかし、それは本当にあるのだろうか」という不安が隠されている。
そもそも人が何かに「憧れる」のは、それがまだ手に入っていないからだ。それは、「どうせ手に入らない」という弱気な感情と紙一重でもあるから、音に突進力がなければ気持ちは萎えてしまう。
「憧れたものは何としても手に入れる」と言いながら、(でも手に入れられるだろうか)という迷いも含んだ歌詞に、鈴木の音楽は「手に入れたいなら、前へ進め!」と檄を飛ばしたのだと、僕は感じる。

この歌の作曲にあたって、椙山由美は「マカロニウェスタン調」の音楽を鈴木に依頼したという。
マカロニ・ウェスタンは、1960年代から1970年代前半に作られたイタリア製西部劇を表す和製英語。大半のものはユーゴスラビア(当時)やスペインで撮影された。(ウィキペディアより)




マカロニ・ウェスタンの音楽と言えばエンニオ・モリコーネということになるのだろうが、僕はそうと指摘されるまでは、気がつかなかった。
と、いうか、「本当にそうなの?」と思うくらいだ。
やはりマカロニ・ウェスタンの影響を受けたという「必殺仕事人」の楽曲の場合なら、納得できる(※4)。
マカロニ・ウェスタンを同時代で楽しんでいなかったせいかもしれないが、「ゴーゴートリトン」を聴いて、マカロニ・ウェスタンを想像するということはなかった。
「これは鈴木宏昌の世界だ」としか感じられなかった。
確かにトランペットやホルン、ギターと、それらしい楽器が参加はしている。でも、だからマカロニ・ウェスタンとも言えまい。
たぶん、鈴木は某かの技法は引用したのだと思う。だが、それは普通に聴いただけではわからない使い方だったのだと思う。
例えば「印象派風の絵を描いてよ」と誰かが頼んだとして、画家が持ってきた絵はどうも違う。尋ねてみれば、「使ってますよ、印象派の画法をけっこうね」と答える。
鈴木は作曲も編曲も自在にこなした人物だった。彼の手にかかれば、クラシック界の革命児ドビュッシーの音楽でさえ、装いが変わる。
鈴木には自分の音楽という骨格が既にできていて、そこに色づけとしてマカロニ・ウェスタン音楽の技巧を取り入れたのだと思う。一番、わかりやすいのはギターの振る舞いだろう。その音色は流浪を強く連想させ、主人公が放浪者であることが多かったマカロニ・ウェスタンを連想させると言えば、そうだろう。

編曲者としても広く活躍した、鈴木の音の色付けは颯爽としている。
ホルン、トランペット、ギター、バイオリン、ドラムがそれぞれの役割をピシッと務めていて、音楽が引き締まっている。詞と音が連動し、相乗作用で魅力が倍増している。
前奏のホルンとトランペットが奏でるワクワク感は半端ない。
通奏低音のように流れるギターの音(ね)は、トリトンのさすらいの情念を表しているかのようだ。
要所々々でバイオリンが奏でる早い動きの旋律は、音階を駆け上がり、冒険への期待感を強めていく。その効果は抜群だ。
ドラムがまた素晴らしい。今まであまり意識していなかったが、先にも触れた
ダーレーモ ミーナイー
キボーオーノ ホシー
の節のところで、ヒデ夕樹の歌声の背景で、ドラムが「ダ・レ・モ」「キ・ボ・オ」の一語ずつに併せて叩かれ、その音がヒデ夕樹の声をより印象づけている。
ドラムは「ゴーゴートリトン!」が連呼される第5節では全開の活躍をみせて、歌の情景を鮮やかに活性化させる。
歌の最後、トリトンが水平線の向こうへ消えていく場面、ギター、トランペット、ドラムが混然一体となる。流浪も希望もないまぜとなった音は、一気にエネルギーを開放させて、パシッと鮮やかに締めくくられる。
何度聴いても、飽きることのない音だ。

この歌詞、音楽を聴いて、富野も張り切った。
鈴木芳男と黒川慶二郎、それにトリトンの実質的オーナーとなった西崎氏の基本方針にのっとって、羽根キャラクターが認められ、その基本方針はトリトンの音楽にも現れて、ハッタリズムに徹したオープニング・ソングとジャズっぽいBGMになった。(中略)オープニング曲を聞かされたときには、あきれながらも面白いと思った。こちらもどうせハッタリなら、とえらくのってオープニングの画面を創った記憶がある。

出典:富野由悠季「だから僕は・・・」 267頁より抜粋 角川スニーカー文庫 平成14年刊
この映像はYou Tubeでも視聴可能だ。
とにかく素晴らしい。
林の描いた「水平線の向こう」を、富野もまた自分の解釈で映像化した。
先にも述べたが、火山の噴火から噴き上げられた文字が「海のトリトン」の題字になる発想はいまだに斬新だ。
それからの富野の演出は冴えわたる。
いきなりトリトンをアップで登場させるのではなく、広角で広々とした海を映し出し、ぽつんと小さく、ルカーに乗って波間を飛び越えていくトリトンの姿を遠景で映し出す。
転びそうになりながら体勢を整えようとするトリトン。
物語の舞台が広い広い海であること、主人公はイルカ以外に味方のいない一人ぼっちの少年、しかもまだ戦士として成熟していないあどけなさが残る存在であることを、たったの数秒で描いて見せた。
場面はすぐに海中に移る。トリトンの体が浮力でふわりと舞い上がる。
その絶妙さ。作画は恐らく羽根章悦だろうが、その海中での浮遊感の描写が素晴らしい。
そして、光に向かって進むトリトン!
大きく映し出される、光を見つめる颯爽としたトリトン!
ここに描き出される光の描写から受けるわくわく感は今もって最高だ。
場面は一気に空を飛ぶかもめたちの視点に移り、そして崖の上にたたずむトリトンへと移動する。
崖から海へと舞い降りるトリトン。
ここの動きも素晴らしい。
海中でポセイドンの怪獣に襲われる場面が続いた後、残像を残しながらオリハルコンの短剣を抜く場面のかっこよさ。
そして、最後の場面。
月下の海原をルカーの背中に乗って、水平線の向こうを目指すトリトンの後姿。
その背中は既に遠い。
波をけって舞い上がるルカー。ギターがかき鳴らされ、いざ、という時に再度、舞い上がるルカーとトリトン
その瞬間、音楽も時もとまり、見栄を切った様で映像は終わる。
最高だ。

林の歌詞、鈴木の音楽、そして富野と羽根による素晴らしい映像(※5)、それら全てを糧にして輝くのがヒデ夕樹の歌声だ。
ヒデ夕樹は70年代、佐々木功や水木一郎と並び称された人だった。ここに子門真人も加わると、当時の男性歌手によるアニメソングのほとんどが網羅される。
ただし、ヒデ夕樹が残した歌は少ない。
ベスト盤が1枚あるが、この1枚で彼の歌のほとんどが収録できるほどだ。

ところが、残した歌があまりに素晴らしく、強く記憶に残るものばかりだった。僕たちの世代にとって、その歌声は忘れえぬものなのだ。
夢の舟乗り (『キャプテンフューチャー』 (1978))
風よ光よ (『怪傑ライオン丸』 (1972))
ゴーゴー・キカイダー (『人造人間キカイダー』 (1972))
フラッシュ!イナズマン (『イナズマンF』 (1974))
鉄人タイガーセブン (『鉄人タイガーセブン』 (1974))
青春の旅立ち (『スターウルフ』 (1978))
この木なんの木 (日立グループCMソング 「日立の樹」)
敢えて僕個人の好みで選んだ。
それぞれ個性的な歌が並んでいるが、何と言っても、特撮史上に名高い「ライオン丸」と「キカイダー」の主題歌を歌ったことが大きかった。いずれも主人公が好敵手(ライバル)との激闘の末、彼らを乗り越えて、より強い敵を打ち倒すという物語であり、昭和40年代の日本特撮番組の金字塔として、双璧を成していた。

いずれ、改めて彼の業績を振り返りたいのだが、今、ここで一つ訴えておきたいことがある。

「夢の船乗り」はヒデ夕樹の「持ち歌」だ。

この歌は「GO! GO! トリトン」と並んで、僕の大好きな歌だ。
NHKが「未来少年コナン」に続いて製作したTVアニメ番組「キャプテン・フューチャー」の主題歌だ。作詞:山川啓介、作曲・編曲:大野雄二、歌唱:ヒデ夕樹という、これ以上はないという最強の布陣だ。
最高だ。
永遠の名曲だ。
ところが、だ。
作曲の大野雄二は、本当はゴダイゴのタケカワユキヒデに歌わせたかったという。
後日、ヒデ夕樹は大麻所持により逮捕され、これを機にタケカワの歌唱に差し替えられるという事態となってしまった。今でも、もしかするとタケカワ版が正規であるかのように扱われているかもしれない。
だが、僕にすれば、そんなこたあ、知ったこっちゃない。
作曲者が何と言っても、これはヒデ夕樹の「持ち歌」だ。
彼の歌声は素晴らしかった。タケカワに変えられた時は、心底、がっかりした。
それだけは言っておく。

ヒデ夕樹の歌声は、透明感があるのに芯が通っていて、声の輪郭がしっかりしている。
でも、柔らかくもある。
それが彼自身が望んだ歌唱法かどうかはわからない。アニメソング用の発声法、歌唱法だったかもしれないし、もっと渋い歌い方をしたかったのかもしれない。
いやいや、ヒデ夕樹は僕が思うような、「歌を選ぶ」ような人ではなく、「どんな歌でも、それに合わせて歌いこなせる」高い技術の歌い手だったかもしれない。
とにかく、彼の澄んだ、どこか優しい歌声で、憧れへの果てしない想いを謳われたからこそ、僕は今もトリトンを聴く。トリトンを歌う。
少し気障だけど、きれいな発声で詞の持つ言霊を僕の心に注いでくれたからこそ、僕は今も「夢の船乗り」を口ずさむんだ。
大麻に手を染めたが故に、彼は表舞台から姿を消し、その後は浮上することなく、ひっそりと世を旅立っていった。

アニメージュの創刊号に、様々な関係者が小ポスターに寄せ書きをしていたのを覚えている。実物は遥か昔に処分してしまった。
ポスターの中には堀江美都子もいたし、作画家も、演出家も、声優も寄せていたと思う。
その中でヒデ夕樹がマイクを持った姿の写真が掲げられていたことを鮮明に覚えている。

佐々木や水木に比べれば地味だったかもしれない。
持ち歌も少なかったのも確かだ。
でも、僕にとって最高のアニメ歌手をあげろと言われたら、ヒデ夕樹なのだ。
もう一度、歌おう。「GO! GO! トリトン」を。

歌詞タイム 「GO! GO! トリトン」
 (←今度は歌ってみませんか)

颯爽と「水平線の 終わりには虹の橋が あるのだろう」と歌った後、
朗々と「誰も見ない 未来の国を 少年は さがしもとめる」と歌い上げるヒデ夕樹の声に、僕は子供の頃から、今に到るまで、そう、もう40年以上、魅了されている。
僕はいずれ、「イデオンⅠ」「発動篇」「交響詩銀河鉄道999」「交響詩宇宙海賊キャプテンハーロック」とともに、ヒデ夕樹の歌声も、彼岸の彼方へ連れて行くことだろう。

もし、あなたがまだ「GO! GO! トリトン」を聴いたことがないのなら、一度は聴いてみるとよい。どのような感想を持つかはあなた次第だが、もしかすると、あなたの中の「憧れ」が強く強く刺激されるかもしれない。

この歌は朽ちることはない。永遠に。

※1)現在、彼の地にお住いの方々への非礼を承知で書いている。地方と都市部の格差へのもどかしさを表現したいがためである。そして、格差を不自由とも思わず、この地を愛している方々もおられることも理解しながら。
五十猛を含む大田市と、大阪都心部のグーグル地図を同じ縮尺で対比させてみた。
大田市と大阪都心部
※2)再録音盤「トリトン」CDの解説書によれば、関西での仕事が肌に合わなかった鈴木が蛙プロダクションを設立し、そこに椙山由美(すぎやまこういちの妹君)が契約製作者として関わるようになった。CMの音楽制作を主にこなしていたが、「海のトリトン」の制作会社「スタッフ・ルーム」ともCMの仕事でつながりがあった。その社長である鈴木芳男からの依頼で、トリトンの楽曲を担当することになったという。
解説書によると
「結果的にこの作品には、椙山さんゆかりの方が複数関わられた形ですね。すぎやまこういちさんは椙山さんのお兄さんですし、林春夫さんは妹さんのご主人ですから。」

→と、いうことは林の奥様(林日南子さん)は椙山家の末娘になるのだろうか。林さんの略歴にはそれらしい記載はないが。
でも、余分な詮索はこれくらいにしておこう。
因みに椙山由美さんは今は東京品川で「ダ・カーポ」というたい焼き販売兼中古CD/LP/輸入雑貨のお店を開いているとか。品川なら今度、行ってみよう。
中古CD/LP/輸入雑貨/たい焼きのダ・カーポ(ダカーポ)
※3)タワーレコード限定なので、アマゾンでも売っていない。興味があるなら、早く購入されること。こういうCDは短期間で入手困難にrなる。恐らく2017年にもなれば入手は危うい。
※4)しかし、「必殺」にしても、一連のかつての巨大ロボット物にしても、その演出、音楽の使い方も含めて、歌舞伎の「見栄を切る」という発想が刷り込まれているように僕に感じられるのだ。
※5)多分、作画家は羽田と思うのだが、それを確認できる資料がない。
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コメント

[C77]

タイガーマスクのOPがマカロニ・ウェスタンだったというのは菊池俊輔が後年言ってましたが、トリトンもマカロニ・ウェスタンだったとは気付いてませんでした。作曲者がジャズ畑の人だけに意外ですよね。水木アニキが「アニソンはあらゆるジャンルを内包してる」と言ってますが、ジャンルを意識せずに受け入れられるのがアニソンの良さだと思います。それで大人になってから「あれは実はジャズだった」「これは実はウェスタンだった」と人に言われたり自分で気付いたりして新たな感慨が得られるのがすごく嬉しいですね。

時代劇でマカロニ・ウェスタンを取り入れた先駆けは『大江戸捜査網』『必殺仕掛人』あたりでしょうか。『風雲ライオン丸』もそれっぽかったですよね。当時としては革命的だったらしいですが、モリコーネ風の音楽が日本の時代劇に妙に合ってしまうところが面白いですね。『銭形平次』のOPはジャズでしたから、そっちも意外ですけど。

私がヒデ夕樹を初めて見たのはアニメブーム時に放送された特番でしたが、その朴訥な感じが好印象を与えてくれました。ヒデ夕樹版「夢の舟乗り」は原盤が紛失してしまったらしく、現在入手できるのは後年の再録音版だそうですが(オリジナルと比べて、ややあっさりした印象?)、大麻事件と関係あったんですかねぇ?

歌舞伎の見栄についてはまさにその通りだと思います。ゴレンジャーの元ネタが白浪五人男だというのはご存知と思いますが、ヒーローが名乗る間、悪人たちが手を止めて聞いているというのも変だし、ロボット操縦者がいちいち技の名前を叫ぶ必要もないw。(ヒーローの名乗りは『三国志演義』まで遡るのかな?)
  • 2016-08-24 05:49
  • JoJo
  • URL
  • 編集

[C78] 管理人です

JoJoさん、いつも貴重なご指摘をいただき、ありがとうございます。
「タイガーマスク」「銭形平次」「ゴレンジャー」に関する情報は総て初耳でした! JoJoさんの情報網、恐るべし!です。

僕の耳になじむ「夢の船乗り」は、たぶん再録音盤だと思います。TV放送はあまり見ることができなかったので。
でも、それでもヒデ夕樹の歌声が大好きです。この歌は「ヒデ夕樹の歌」なんです。
それでは失礼いたします。

[C80]

『木枯し紋次郎』もマカロニ・ウェスタンですよね。主人公のキャラがいかにも「旅するローン・ガンマン」ですし。『子連れ狼』もそれっぽいかな?

”革命的”という表現は必殺シリーズのCDのパンフに書いてあった記憶がありますが、あらためて考えるとマカロニ・ウェスタンに感化された時代劇は多かったようですね。

アニメ音楽でのジャズの話ですが、『ルパン三世』第2期に「ルパン三世のテーマ '80」がもろジャズという感じで作られて、「ああ、遂にアニメでもジャズが使われるようになったか。意外とイケるな」って思いました。その後、実はもっと古いアニメ音楽にもジャズが入ってたことに気付き、まず『妖怪人間ベム』のOP(田中正史 作編曲)の前奏にあらためて感動させられました。で、作曲者つながりで『黄金バット』と『サスケ』もジャズなんじゃないかと。

あと、TVサイズだけ聴いてたらわからないようなのもあって、例えば「おれはグレートマジンガー」の間奏を聴きながら「ここにもジャズが入ってるんじゃない?」と、もっとだいぶ後になってから気付いたり…。よく比較される菊池俊輔は間奏に独自のメロディを乗せることが多いんですが、渡辺宙明は逆にそういうことをほとんどしないので、そういう意味では「おれはグレートマジンガー」は珍しい曲です。

(私は音楽理論はよくわからないので、これらの例はあくまでも感覚的なものです。あしからず。)
  • 2016-09-08 02:07
  • JoJo
  • URL
  • 編集

[C81] 管理人です

JoJoさん、いつもコメントいただき、ありがとうございます。
僕は子供の頃はドラマはほとんど見ていないので、実は「木枯らし紋次郎」もよく知らないという(^_^;)。
後にハムのCMで流れていたかっこいい曲が、「紋次郎」の主題歌と知って、へえと思いました。
だいぶと前にDVDブックが出ていたので買いましたが、まだ見てません(*_*)。
大野雄二はアニメ界でのジャズの市民権を確立しましたね。それどころか、もはや定番となっているし。
「サスケ」は意外でした。むちゃ日本的というイメージがありましたから。あの荒涼とした、一人枯野をさすらうような旋律は子供心に残りましたね。同じ会社が「サザエさん」を制作するとはね。だから初期のサザエさんの絵柄はけっこう描線がかっこよかったりします。
で、そーなんですよ。グレートの間奏はまさにジャズで、もしかしたらあのノリはラテンはいってそうな気もします。

10月に控えた行事に向けて、仕事が忙しくて、今月中に次の記事が書けるかわかりませんが、ポチポチがんばります。

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