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愛してる‐そのひとことのために Genesis of Aquarion (改訂版)

以下の記事は平成23年5月1日付で公開したものです。今回、著作権法(DMCA法)違反の指摘を受け、平成28年8月3日に元の記事は凍結となりました。
歌詞の引用が抵触したものとみなして、この点を訂正して再登録しました。
今回の指摘を機に、歌詞の引用を含めて対応してまいります。




出崎統監督が逝った。享年67歳。ちょうどBSでは「雪の女王」が再放送中だった。
出崎監督の死を伝えるYAHOOの記事一覧に、脚本家の首藤剛史氏の名前を見つけた。昨年に急逝されたことを、今になって初めて知った。享年61歳。
また、かつてアニメーターであり、漫画家であった村野守美氏も今年の3月に逝去されている。享年69歳。
皆、60歳代。今の平均寿命からすれば、まだまだ若いとされる年齢だ。
そう言えば
手塚治虫。享年60歳。
石森章太郎。やはり、享年60歳。
藤子・F・不二雄。享年62歳。

ひたすら仕事を続け、仕事に没頭し、志、未だ半ばでありながら、心よりも早く寿命が燃えつきたように感じられる。
何か、寿命が短く感じられる。業界の業なのか。

「パチンコがアニメだらけになった理由(わけ)」という単行本がある。著者は安藤健二。「封印作品の謎」など、アニメやマンガの封印作品を取材した著書を幾つも発表しているノンフィクション作家だ。この著書でも可能な限り当事者に取材を行い、きちんと資料をまとめた内容であり、僕としては非常に好感が持てる。
安藤健二はそもそもアニメ愛好家ではない。この著書を執筆した動機は、あくまで「どうして最近のパチンコ台ではアニメがよく題材に取り上げられるのか?」という、編集者が提示した題材に興味を示したからだという。
ここでは資金を求めるアニメ業界と、1分でも長くパチンコ台の前に客を座らせるための客引き番組を求めるパチンコ業界の利害が一致した経過を伝えている(※1)。



さて、安藤健二がまとめた資料から見える、アニメ作品としてのアクエリオンの評価とは、以下の通りだ。

「(アニメージュ主催のアニメグランプリでは)『エヴァ』に続いてパチンコ台がヒットした『創聖のアクエリオン』にしても57位と低迷している」
「(アニメ雑誌の編集者のインタビューしたところ)このアニメは、『エヴァ』に比べても、ずっとマイナーなアニメだったんですが、パチンコ化でCMが大量に流れて、主題歌もヒットチャートに再浮上したんです」(以上、著書61頁から引用)。

なるほど。アクエリオンの人気の低さが示されていた。
著者はまた、主題歌「創聖のアクエリオン」を紹介する件で次のように記している。
「『一万年と二千年前から愛してる~♪ 八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった~♪』
 よく意味は分からないが、やけにインパクトのある歌が流れる。」(以上、著書63頁から引用)。

歌詞の引用の部分に付された「~♪」。文章だけとはいえ、映像的に、実に間の抜けた印象を与える。その結果、「よく意味のわからない歌詞」という印象が倍加しているように感じられる。
別にそれが不愉快とか、文句を言いたいわけではない。
僕が一聴して虜になった歌詞、旋律だが、安藤のごとき多数派にとっては「よく意味のわからない歌」で終わるのだな、ということが冷酷なまでに示された文章だった。

1976年生まれの安藤健二(僕より9歳も若いのに・・・)に「よく意味は分からないが」と言われてしまった歌詞。しかし、僕は、この歌詞全体を眺めてみて、「創聖のアクエリオン」はある言葉を際立たせる、その一点を目指して言葉が積み上げられ、その作業が見事に成功した傑作だと考えている。
ある言葉とは、「愛してる」、その一言だ。
前にも書いたが、これほどありふれた言葉はあるまい。古今東西、この言葉を使った歌は恐らく無数にあることだろう。
だが、直ちにこの言葉が脳裏に浮かぶ歌、歌詞となると、言いかえれば、「愛してる」という言葉の言霊に支配されている、溢れている歌となれば、僕は「創聖のアクエリオン」以外にないと思える。

うたまっぷ.com 創聖のアクエリオン

世界の始まりから始まった物語。
この世界に生まれたのも「愛してる」という気持ちを知るため。愛という気持ち、感覚。それを知るために紡がれた言葉たち。
無限に使い古され、陳腐化した「愛してる」という言葉を、その言葉が本来もつ、輝かしい言霊を取り戻すための歌詞だと思う。

作詞の岩里祐穂は1957年生まれ。今井美樹などの歌手に多くの歌詞を提供した他、「戦隊シリーズ」の歌詞も手掛けるなど、幅広い活躍を見せている。
岩里の歌詞で記憶に残るものに、今井美樹に提供した「Miss You」がある。
「MISS YOU」
歌詞:岩里祐穂、作曲:布袋寅奏、歌唱:今井美樹の布陣。
ここでも岩里は、「I Miss You」という、あなたがいなくて私は寂しい、あなたに傍にいてほしいという想いを伝える一点に絞って、言葉をつないでいる。
そうした岩里の歌詞を得たことは、本当にこの歌にとって幸福だった。

その岩里の詞に寄せた菅野の音楽も、見事なたたずまいを見せている。
菅野の音楽は明解な起承転結で構成され、一編の物語が凝縮されたような深みをもたらしている。
「世界の始まりの日・・」
「失くしたものすべて・・・」
抑えた音程の旋律が反復される。まるで物語の導入のようだ。
次いで「現在(いま)は何処を彷徨いいくの!」と音程をあげていく。歌の世界が変わり、一気に視界が開けたような、開放感に満ちた音楽に変る。
「答えの潜む 琥珀の太陽・・・」という物語世界を俯瞰する言葉と音楽が続き、やがてその世界の核を占める感情が、音の高まりとともに顕れる。
「この気持ち知るため 生まれてきた」
この後に続く音楽は躍動感が目覚ましい。まるで翼を持った言葉が舞い踊るようだ。
「一万年と二千年前から愛してる
八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった
一億と二千年あとも愛してる」
ドドソソラ-ソファソ-ミ ドドシ-ソラ-
「ドド」「ソソ」と同じ高さの音を連続させることによって、拍子に躍動感が生まれる。実はこの音の連続が、この歌の完成度を決定しているのかもしれないとすら思える。
そして「君を知ったその日から 僕の地獄に音楽は絶えない」
で言葉で歌が結ばれていく。

だが、それだけではない。「創聖のアクエリオン」は次の歌詞を差し込むことによって、もう一つの世界の扉を開けてみせる。
「君がくり返し大人になって・・・・」
この件の挿入が、歌に更なる深みを与えてくれる。

編曲も見事だ。導入のエレキギターによる、静かだが熱い陽を浴びたような旋律、滴り落ちる水滴のごときピアノの一瞬の響き、一つ一つの音が本編以上に物語を紡いでいる。
ある種、「創聖のアクエリオン」は本編のアニメ以上に物語を表現してしまった歌なのかもしれない。本編以上に「愛してる」という気持ちを伝えきった歌なのだと思う。

だが、この歌は実はこれで完結していなかった。岩里、菅野、保苅たちは、更にこの歌の世界を深め、僕の心を驚きと篤さで満たした。

劇判第2集に収められた、「Genesis of Aquarion」は、主題歌「創聖のアクエリオン」を米語に翻案した歌・・・ということになるのかもしれない。

うたまっぷ.com Genesis of Aquarion

・・・英語の歌詞を書き写すのはなかなかくたびれる作業だ。作詞:岩里祐穂、作・編曲:菅野よう子と保刈久明、歌唱:AKINOとbless4の布陣。
僕は語学堪能というわけではないが、訳詞は微妙に意味合いが変っている。歌は、言葉は言語が変われば微妙に変容する。全く同じ歌ではいられない(※2)。
だが、この歌を聴いていてただ印象に残るのは、やはり、「愛してる」の一語だった。

菅野の音楽はここでは、黒人霊歌の手法を用いて、伴奏をピアノに限定し、人声の合唱で構成している。それによって音に温もりがもたらされている。
静かに歌われていた音楽だが、“You give light to me hope to me strength into my life”の箇所でピアノ伴奏が加わると。、俄然、輝きを放ち始める。AKINOの歌と合唱が混然一体となって、まばゆいばかりの声の洪水に包まれていく。その洪水の中、多くの日本人にとって、意味も言霊もすぐには伝わらぬ英語の歌詞の中から、ただ一語、「愛してる」という言葉だけが浮き上がり、陽光のように輝きを放つ。
僕はこの歌を聴いた時、鳥肌がたった。まるで言葉に翼がついて飛び立つかのようだった。
人声を音の主体にしたことによって「愛してる」の一語に強い真実味があふれ出していた。
ひたすらに積み上げられた英語の言葉達は、ただ一語の「愛してる」を輝かせるためにあるのだと思えた。
この歌が無名のままに終わるというなら、返す返すも残念だ。

「創聖のアクエリオン」が和歌で言う本歌なら、「Genesis of Aquarion」は、返歌といったところだろうか。この2つの歌は、まるで互いを補い合うかのように感じられる。どちらかを聴いたり、歌ったりする時、いつももう一つの自分の分身であるその歌を思い出さずにはいられないような、そんな存在。

この歌のように、菅野は時にさりげない音楽の仕掛けを残していく。「マクロスF」でも最終回で、幾つもの歌が重唱として歌われ、まるで歌劇をみているかのようだった。
この2つの歌は僕にとって、2000年代で最も印象に残った歌だった。パチンコのCMで終わって欲しくないところだが、さて、どうなることやら。

※1この著書では取材したアニメ制作会社から、著作権料を求められた経緯が記されている。ノンフィクションのための取材と、アニメ関連商品としてのムック本のための取材とを意図的にか、あるいは無理解からか同一視している。
この世の状況を見通すために行われている取材に対して著作権料を求めることは愚の骨頂であり、つまりは報道規制につながる。今、原発を含む報道規制に対して不満を感じているなら、このような著作権料の要求をすることの愚かしさを理解すべきである。あるいはそんな道徳観を理解できないということだろうか?
※2言葉を訳すことの難しさは、受験を経験された方なら誰しも知っていることだろう。直訳をよりこなれた言葉に直すことにより、微妙な意味合いの変化が起こってくる。言葉は文化そのものであるから、言葉の背景にある文化が違うのだから、やむを得ない。
また、言葉と歌は表裏一体であり、言葉が違えば拍子が変わってくる。歌詞を直訳してしても歌にはなりがたい。
吉田秀和という1913年生まれで未だ現役という音楽評論家がいるが、彼が「レコード芸術」連載の随筆で次のようなことを書き記していた。

言葉は、歌は、原語でなければ伝わらないものがあるのではないか。
「聖しこの夜」という歌でも、日本語の歌詞と、原語の“silent night holly night…”では伝わる印象が変わってくるだろう。

元の文章をそのまま引用したのではないことをお断りしておくが、僕ははたとその通り、と得心したものだった。

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