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湖川友謙VS安彦良和 中編

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(承前)
さて。
そんな逸話の多い安彦と比べられたのが、湖川友謙である。ガンダムの後のイデオンであったがために、安彦の後の湖川であったために、彼は一般大衆(くどいが、アニメファンも含める)からは実は不当に過小評価されてしまったと言える。
過小評価? それはおかしいではないか、あおりを主体とした湖川タッチは一世を風靡した・・・とおっしゃられる向きにはこう反論したい。
アニメファンの大半は、恐らくイデオンや湖川の画風を支持しなかったと思いますよ、と。安彦の画風に比べると暗いとか、とっつきにくいとかと言って・・・・。

湖川友謙は1950年に生まれた。
彼は東京ムービー(現トムスエンタティメント)でアニメーターとしての活動を開始し、以後はフリーとしてタツノコプロの作画に関わりつつ、その技量が業界内で評価されるようになり、やがて東映動画で「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」、TV版「銀河鉄道999」の人物造形と総作画監督を務めるに到った。「愛の戦士たち」に先立って、小国一和名義で「無敵剛人ダイターン3」の敵役の人物造形を行っている。
湖川が「愛の戦士たち」の作画監督を務めたのも若干28歳頃。そしてイデオンに携わったのが30歳。決して安彦の業績と比べても遜色がない。

振り返ると興味深いのだが、「愛の戦士たち」は安彦が絵コンテを描いており、また有名な公開時の宣伝ポスターの古代進と森雪が寄り添う画は安彦が描いている(製作者の西崎が安彦を重用していた故と言う)。湖川と安彦の因果は、出生地に始まり、この湖川の実績の中でも重要作品である「愛の戦士たち」でも巡りきている。

「愛の戦士たち」は白土武による劇画様の男性的な描線に比べ、より洗練された描線となっている。画として、非常に「見通しのよい」印象を与える。更にここでも彼はあおりの構図を多用している。
不思議なことに、「愛の戦士たち」は製作者西崎と原作者松本の個性が際立っていたためか、これだけの成功作であるにも関わらず、湖川が作画監督であるという印象が弱かった。僕もイデオンに夢中になっていた頃でさえ、そんな事実に気づいていなかったほどだ。
言われてみれば、実に湖川の画なのだが、ヤマトという最大公約数的な作品であるがためか、彼の体臭、個性が穏やかに抑えられ、その代わりに湖川の「技術力」「描写力」が素直に提示された映像になったのではないかと僕は思う。
つまり、湖川友謙という人間を意識せずに、ただ「あ、うまい画だな」「丁寧な動きだな」と感じることができる映像に仕上がっているということだ。

小黒雄一郎氏が編集長を務めるWEBアニメスタイルが、2006年に湖川に8時間に及ぶインタビューを行った。ネット上で無償で公開されており、その充実した内容は一人でも多くの人の目に触れてほしいと思う。
(第一回:http://www.style.fm/as/01_talk/kogawa01.shtml
この長時間インタビューは湖川友謙を知る上で、非常に参考になる。彼の人柄、価値観がまこと端的に表出しており、読んでいて腑に落ちる言葉が次々と顕れる。これは今後、貴重な資料になるだろう。
このインタビューから感じられることは、彼の強烈なまでの職人性だ。
あおりを含む構図はもちろんのこと、動き、配色に到るまで一家言を有した姿勢を示しており、例え有名アニメーターであっても技術が不足していると判断されれば、容赦のない批判を浴びせられている。
彼が重視するのは、構図、動き、配色について、観察や理論に裏付けられた技術を持っているのかどうかだ。彼にしてみればアニメの作画技術はあまりに感覚的であり、技術ともいえない程度のものでしかなくて失望したこと、なぜ理論を踏まえた作画が行われないのかと憤慨せずにはいられなかったことなどが、このインタビューでは再々、語られている。
「あおりがきちんとかける人はいなかった。ガッチャマンの宮本貞雄さんでさえ、僕から見ればあおりがわかっていなかった」
「僕があおりの技術を教えた人が、他の会社で"これは湖川のあおりで、うちのあおりじゃあない"と言われた。あおりは本来、基本的な技術だ。個性で変るものではない」
「パースを描ける人はほとんどいなかった。安彦さんも描けていなかった」
「歩く動作、走る動作、これをきちんと描ける人はいなかった。僕の動きの見本を“間違っているから直しておいてやったよ”と言われたことがあったが、間違っているのは相手だったので大きなお世話と思ったものだ」
・・・・これを傲岸不遜とみるか、卓越した技術者の当然の自負、自尊心と見るか。読者によって変わることだろう。だが、僕は科学者のように理詰めで画を把握しようとする湖川の姿勢に敬意を表せずにはいられない。ただし、一緒に仕事をするにはかなりの覚悟がいるだろう。仁徳は得られそうにない。
彼はこう語っている。「師匠と呼べる人はいない」。
ある意味、全て自分で築き上げてきたという自負。孤独と裏合わせかもしれない。

映像の職人として高度の技術と、それを周囲に浸透させるだけの気力、厳しさを持った湖川であるが故に、富野は彼を自分の作品の作画担当の責任者としてサンライズの現場に招き入れた。何しろ、当時の日本サンライズの作画の程度は、決してほめられたものではなかった。
だいたいが「ザンボット3」は予算がないからと作画監督がおかれなかった。だから逆に金田伊功の画が生き残ったのかもしれないが、結果論だ。ガンダムにしても安彦の担当した回は確かに優れた仕上がりになっているが、他の作画監督は安彦の人物設定表をうわべだけなぞって、自己流で描きすぎた(当時のサンライズにはそれでよしとする風潮が強かった)。中村一男、青鉢芳信、山崎一男、富沢和雄・・・・山崎一男はまだ彼なりに人物設定に近づけようという努力が感じられるが、中村や青鉢の描線は明らかに自己流を貫きすぎていた(※1)。安彦は作画水準を維持したかったのだろうが、自分が作画監督を担当した回はほぼ全ての原画を自分で描いていたとか。このため、途中で過労により倒れ、途中降板したことはあまりに有名だろう。
通常の疲労であれば何ヶ月も病休を取ることはあるまい。だが、彼はガンダムのTVシリーズの作画に以後、復帰することはなかった。「アリオン」の連載も長期中断となった。要するに短期間では回復できないほどの病状であったということだ。恐らく過労どころの病状ではなかったのではないか(※2)。
以後のTVガンダムの作画は相当に劣化した。人によって意見は異なるかもしれないが、少なくともバンクという使いまわしの映像が特に戦闘場面で極端に増え、たまに新たな作画をみかけると「ひさしぶり!!」と呟いてしまった。
だからこそ、「巡りあい宇宙篇」は熱狂的に受け入れられたと思う(※3)。
ウィキペディアの「サンライズ(アニメ制作会社)」の記載にあるように、サンライズは経費削減のために根幹である製作現場の人員を全て外注にしているという。要するに正社員として雇用しない方針というわけだ。中心となる人員も現場の人員も全て一時的な雇用で集められているということになる。
この方式は、製作に関わる人員がある意味、横一列になっている状況だ。縦の序列がないので、帰属意識が育たない。個々の作画プロダクションが「俺は俺の流儀でやる」という意識が強くなるだろう。その結果、作画の質が一定しないし、肝心の映像水準が「安かろう、悪かろう」というものとなりやすかった。

富野はこの状況を打開したかったのだろう、「湖川さんには失礼な言い方ですけど、サンライズ周辺で湖川さんしかいなかったから、湖川さんを使わざるをえなかったということに尽きますね」という表現をしているが(「富野由悠季全仕事」キネマ旬報社1999年刊)、サンライズの作画体制を改善するためのてこいれとしての湖川友謙起用であったという見方は正しいと思っている。
なにしろ、外注集団の弊害は湖川参加後も容易には解消されていない。
「蒼き流星SPTレイズナー」の作画監督および人物造形を担当した谷口守泰(アニメアール代表取締役)は、「装甲騎兵ボトムズ」で、塩山紀生の造形のキリコの髪型が典型的な軍人カットであったのに反発し、もみあげなどを意図的に長くして差別化を行ったことがある。寄せ集め集団の弊害の最たるものだ。ある意味、キリコ・キュービーの人間設定を根幹から否定したようなものであり、作品に対する背反行為だろう。だが、それがあたかも武勇伝のように語られる風潮があった(※4)。

とはいえ、湖川と富野は馬があったようだ。それ以上にお互いの技量を認め、信頼感も強かったようだ。前述の「富野由悠季全仕事」でも互いに敬意を持っていることは言葉の端々に感じられる。WEBアニメスタジオのインタビューでも、2000年代にはいって久方ぶりに二人が再会した時に大いに喜んだという逸話も湖川の口から語られている。
有能な演出家と有能な作画家の幸福な出会いであったと思われる。湖川は例えば「発動篇」の最終の転生の場面は、彼の価値観にはそぐわない展開であるとしながらも、「でも僕の仕事は、製作発表会でも話した通り、あくまでも富野さんの意向を作画面で助けることでしたから」と、物語設計には異議を挟まない姿勢を貫いている。他方、作画については例えば「色彩設計の決定権を監督より与えられました」「キャラの色に関しては色指定のスタッフが作ってきたザブングルに対し、“この色に変えて”と言えば、監督も“はい、わかりました”というしかなかったんです(笑)」という裁量権を富野は湖川に許した。
この「互いを尊重し、互いの領域は完全に信頼して任せる」という関係であったからこそ、イデオン、ザブングル、ダンバイン、エルガイムと5年に渡る共同作業が続いたのだろう。
(この項、まだ続く!!)


※1:しかし、そうした「個性的」な画風を好んだ人もおられる。ブログ「アニメと作画の考察」2009年7月28日の記載では、mineralharvest氏は安彦離脱後の作画を支えた青鉢と山崎の功績を讃えている。
http://mineralharvest.blog96.fc2.com/blog-entry-297.html
※2:安彦の離脱は様々な余波を産んだ。雑誌「アニメージュ」1979年12月号の表紙は、本来、安彦が描きおろす予定であったが、この病気のため、急遽、シャアの原画を掲載したという逸話がある。ところがこれが好評で、翌1月号はルパンが振り返る動きを大塚康雄の原画で表現するという試みも成された。その際の編集付記で、「(原画3枚で描いてみてはという編集部の提案に対して)原画3枚では動きは出せない。最低5枚はいる」として、大塚がこの表紙を描いたという事情が伝えられたりしている。
残念ながら上記の表紙を継続して掲載しているHPやブログはないようだ。オークションでサムネイル画像がいくつかみかけたが、さすがに転載するわけにはいかない。アニメージュの公式HPで閲覧可能にしていただけるとありがたいのだが、費用面でそうもいかないのだろう・・・。
アニメージュ表紙以外にも、彼の病休中に発売されたキングレコードのLP「機動戦士ガンダムⅢ:ドラマ編 アムロよ・・・」のジャケットも、リンゴをかじるアムロの原画となっている。
※3:個人的には劇場版ガンダムという決定版があるので、TVシリーズの価値はどうかと思うところが強い。確かに「戦場は荒野」などの話は完全に削除されているし、ビグロー対ガンダムも割愛されているという難点はあるものの、やはり完成度の高さで僕は劇場版を重視する。
だが、それでもTVシリーズを熱愛する人も多いし、例えば評論家の氷川竜介もガンダム・ポータルサイトの文章で「ネイティブの持つ迫力と情報量」でTV版ガンダムを強く支持している。
http://www.gundam.info/content/6
「日本アニメ史学研究序説」の北野太乙も劇場版ガンダム(特に巡りあい宇宙)は富野が神がかってしまい、雰囲気がTVシリーズと大幅に変ってしまったことを負の評価としている。彼もまたTVシリーズをより支持する立場のようだ。

※4:谷口キリコを見たい方は下記ブログ「アクセラ、2台あります」2006年2月4日記載の「ボトムズ」バトンなどはどうか?
http://nanakoaxela.blog15.fc2.com/blog-entry-57.html
「イデオンⅠ」になかなかたどりつけない。何とか、次回でこの項を完結させるつもり
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