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「デス・ファイト」‐すぎやまこういちの目指した音世界

すぎやまこういちの経歴においても、たぶん「イデオン」は特別な位置にある作品群なのではないかと、僕は考えている。
華やかな歌謡曲や、後に大成功を収めた「ドラゴンクエスト」の一連の作品のように、大衆の人気を集めて代表作としての絶対的な存在とは言えないだろう。だが、この音楽たちがすぎやまこういちの分岐点となったことは、彼の音楽を深く愛する聴衆の耳からすれば揺るぎのない事実だと思うのだ。

イデオンに到るまでに、すぎやまは「帰ってきたウルトラマン」「科学忍者隊ガッチャマンⅡ(主題歌および挿入歌)」「交響組曲ガッチャマン」「サイボーグ009(1979年版TVシリーズ)」「シリウスの伝説」などの音楽を手掛けている。その音の作りは、オーケストラによる管弦楽が中心だ。
この時期のすぎやまの管弦楽も見事であり、聴いていてその美しさを楽しむことができる。だが、美しさを追求する一方で、純粋な映画音楽的な管弦楽曲に飽き足らず、20世紀音楽の語法、いわゆる現代音楽的な響きをすぎやまは所々で試みている。

すぎやまは独学で作曲術を習得したと聞く。
つまり音楽大学の作曲学科で習練したわけではなく、TV局の仕事で目にすることのできる、先達の楽譜を見ながら作曲の技法を学んだというのだ。独学で「交響曲イデオン」や「ドラゴンクエスト」組曲の管弦楽の楽譜をものにしたというのも相当に凄いことで、それだけで十分に賞賛に値する。ところが彼の探究心は単に「管弦楽として立派な響きをものにする」という段階で満足していなかった。いや、そのような古典的な音の響きを紡ぐ前に、禊のように自分に満足させたいことがあったようだ。
彼には美しい旋律を生み出す才能があった。これは求めて得られるものではない。自然な美しい旋律というものは、選ばれた者にしか生み出せないものだ。それだけでも十分にすぎやまは成功者であっただろう。
だが、すぎやまはそれに満足せず、新しい響き、新しい音を生み出したいという強い欲求を満たそうとしていたと思う。
例えば「組曲サイボーグ009」はいきなり不協和音で始まる野心的なものだった。優美な音の流れだけでも押し切れる実力は十分にあったろうが満足せず、攻撃的な、野獣的な音の響きを生みだすことを試みていた。美しい旋律と実験的な響き。この相反する音が混然となっていて、それが魅力でもあるが、時に音の流れがいびつにも感じられることもあった。
あるいは「交響組曲ガッチャマン」だが(これはTVシリーズ「科学忍者隊ガッチャマン」を再編集した劇場用映画のために書き起こされた音楽。もちろん、こうした映画が作られたことは、宇宙戦艦ヤマト効果の産物であることは言うまでもない)、これは「イデオン前期」とも言える作品となっている。
ここでは既にカンタータオルビスの旋律の片鱗が垣間見られる。また羽田健太郎によるピアノも交えた、クラシックとジャズの交配を目指した方向性が垣間見えている。この時点で既にすぎやまは、クラシック的な響きにジャズやロックの要素を取り入れた、新しい響きを求めていたように思われる。

更には純粋な現代音楽作品(弦楽のための「舞曲」ⅠおよびⅡ:古典的な美しい響きと現代的な不協和音の響きが混然とした作品)を1978年から1979年にかけて作曲している。すぎやまの「純音楽」について僕が実際に耳にしている作品はこの程度だが、それでも「イデオン以前」のすぎやまは、当時、既に得ていた名声、実績に飽き足らず、貪欲に新たな響きを生みだそうと、躍起にすら見える創作活動を行っていた。
他方、イデオン後となると流れは変っている。
国民的人気を博した「ドラゴンクエスト」以後、商業的に以前にも優る成功を収めたこともあるだろうが、彼の創作活動が安定期に入った。彼の美しい旋律が見事に交響楽に取り込まれ、親しみやすい音楽となっている。その姿勢には迷いがなく、どこかふっきれたような感すらある。

大衆性にとどまらず、実験性も求めた時期と、ふっきれて大衆性に徹した時期。その端境期にイデオンの音楽がある。ならば、すぎやまにとってイデオンの音楽が果たした役割とは何だったのか。
僕からみれば、イデオンに到る時期のすぎやまは、クラシック的な音、現代音楽的音、そして大衆音楽(ロック、ジャズ、歌謡曲)の音、これらの音の全てを貪欲に、しかし美しく統合したかったのかもしれない。それがある種、奇跡的に達成されたのが「イデオンⅠ」ではないか。

基調はやはり、クラシックの響きだろう。彼自身も原点はクラシックなのだそうだ。
「イデオンⅠ」の始まりは「コスモスに君と」。僕がこのブログの当初に触れた、奇跡的な歌曲だ。その後に、先ずは彼の筆による美しい絃の響き、木管の調べによって温もりのあるたおやかな音の空間が築かれる(星々たちの物語)。
しかし、その音は決して平穏ではない。イデの主題である「ラ・ソ・ド・ラ」の音階が、均衡の取れたかに見える音の調和を乱し、不安の感情をかきたてる(伝説のこだま)。
そしてこの音階に導かれて、古典的な響きに異物の響きが導入される。異物とは、20世紀に生まれた楽器(エレキギター)であり、音楽(ロック、ジャズ)の響きである。それがクラッシックの響きと交わり合い、それまでにない新しい響きを生みだしている(発動)。そして、その融合が頂点に達するのが「デス・ファイト」だ。
これ(「デス・ファイト」)は正にクラシックでもジャズでもロックでもない。いや、現代音楽の響きでもない。しかし、刺激的で耳にすれば興奮を抑えがたくなる躍動に満ちた音楽だ。うねるようなエレキギターの独奏で始まり、音楽は次々とその主役楽器を変えて疾走する。最後にハープの吐息のごとき、夢の幕引きのごとき調べで幕を閉じるこの曲は、すぎやまが目指していた、複数の分野の音の響きを統合する試みが見事、達成された傑作だ。他では得られない、すぎやまだけの響きがここにある。
この「デス・ファイト」と同じ、千変万化する万華鏡のごとき響きを求めて、僕はジャズやロックを聴いてみたが、同じ興奮はニ度と得られない。まさしく、唯一の音がここに収められている。
ある意味、この究極の1枚である「イデオンⅠ」は、「デス・ファイト」という白眉があってこそ成り立っているとすら言える。

「デス・ファイト」がすぎやまにとって、どれだけの存在であるのか。それはご本人に尋ねる以外にない。本当にこれだけの名盤でありながら、「イデオンⅠ」個々の曲についてすぎやまが語ったのは、≪復活のイデオン≫作曲ノートしかない。
だが、僕の目からみれば、すぎやまの音楽はこのアルバムを境に、ふっきれたようにクラシックの響きに集中していく。交響曲イデオンから劇場版の音楽、そして「小鹿物語」を得て、「ドラゴンクエスト」に到っていく。あたかも「デス・ファイト」の誕生が、すぎやまの欲求を満たしつくしたかのように。

以下に復活のイデオン≫作曲ノートを再録する。まだ「イデオンⅠ」は発売中であるが、総音楽集を購入されて「イデオンⅠ」をお持ちでない方を想定しての行為とご理解いただきたい。
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コメント

[C31]

同感!イデオンの音楽は傑作です!
  • 2015-03-19 14:43
  • TH
  • URL
  • 編集

[C35]

初めまして。

非常に洞察力を感じる解説で、当時のファンとして楽しく読ませていただきました^^。
  • 2015-06-05 00:57
  • しるく
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  • 編集

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