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録音曲数1万以上!! オーボエ石橋雅一の世界

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上の図は無料イラストを提供している「音楽fanドットコム」から借用した。御礼申し上げます。
んでもっていきなりクラリネットとオーボエを間違えて掲載していました!! リードのことを書いておきながら、この写真、リードないなあと思っていた阿呆が音楽を語っているのも何だかなあ・・・と言いつつ、ご指摘くださった「二枚舌」様、ありがとうございました!!! さっそく訂正しました。

http://www.ongakufan.com/2/6/

オーボエは木管楽器に分類される笛型の楽器だ。息を吹き込む部位はリードと呼ばれ、現在も手製なのだそうだ。このリードが音色をわけると言われ、演奏者が自ら作製することも多いとのこと。しかも消耗が激しいので次々と作っていかねばならないのだそうだ。
笛型楽器だから、息を吹き込む部品の良し悪しが演奏の成否を分けることは容易に想像できる。それを演奏者自ら作る、作らずにはいられないということだから、相当に繊細な楽器なのだろう。演奏するのが最も難しい木管楽器という。
またオーボエは音程の調整が容易ではないのだそうで、だからオーケストラが音程を合わす時にはオーボエのそれに合わせる。
「のだめカンタービレ」にも黒田君というオーボエ奏者が登場していて、のだめを巡ってドタバタしたり、リード関係の小ネタを披露してくれたりと、なかなか味わい深い役回りをしている。
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さて。
「コスモスに君と」の冒頭の、あの印象深い旋律をヴァイオリンとともに奏でているのがオーボエだ。間奏でもその柔らかな音色が、この歌に温もりをもたらしている。
演奏するのは石橋雅一。彼の略歴を調べてみた。
北海道生まれ。13歳よりオーボエを始め、京都市立堀川高校音楽科を経て1971年東京芸術大学音楽学部卒業。同大学在学中より主に室内楽の分野に進み、古典音楽協会の演奏会に参加、卒業後メンバーとなる。在籍期間は40年以上にもなるという。卒業後は古典音楽協会のほか、ツイス木管五重奏団、アマティ室内合奏団、レゾナンス木管五重奏団等でも演奏活動を始める。1973年外務省文化施設として東南アジア演奏旅行、1978年アスペン音楽祭参加。1979年にはジャズビックバンド、インナーギャラクシーに参加しモントルージャズフェスティバルに出演。1980年より藝大管弦楽研究部の講師を行い、これを辞した後、2011年現在は桐朋学園芸術短期大学の講師として後進の指導に当たっている。さて、藝大在学中よりスタジオミュージシャンとして活動。レコーディング曲は1万曲以上にも及ぶという。

インターネットを検索して、ようやく得た情報が上記の通り。
色々、検索してやっとこれだけ。
参加したCDや演奏会の記録は山ほどあるのだが、個人的な略歴となるとこの程度しかない。職人に徹する演奏家にとっては演奏が全てであり、あとは何もいらないということなのかもしれないが。
ここからは略歴に散りばめられた手がかりになる語句を探っていこう。

さて、たまたまだが、安彦、湖川に続いてまたもや北海道出身者だ。オーボエを始めたきっかけはわからずじまいだった。習い始めた年齢はヴァイオリンやピアノに比べれば年齢がたっているが、肺に相当の負担がかかるという楽器なので、妥当な年齢なのかもしれない。
彼が進学した京都市立堀川高校音楽科は古くは1908年に発足した京都市立堀川高等女学校を母体としている。太平洋戦争以前の高等女学校であるから、当時の英才教育が施されていただろう。戦後の占領軍の政策で共学となり、1948年に音楽科が設立された。ここに石橋は通ったわけである。
この音楽科は後の1997年に京都市立音楽高等学校(現京都市立京都堀川音楽高等学校)として独立し、現在、国内で公立では唯一の音楽専門高等学校となっている。卒業生の中で馴染みが深いのは、アニメファンではボブ佐久間に葉加瀬太郎、クラシックファンには佐渡裕などが記憶によく残っていることだろう。要するに、名門であり、職業的音楽家を養成するための学校とみてよいだろう。
この堀川高等学校から進学したのが、国内では音楽教育機関の最高峰とされる東京藝大となれば、音楽の世界では選ばれし者の一人と言ってもよいだろう。北海道→京都→東京と渡り歩いた上に上記の経歴ということ、中学生でオーボエを習い始めて、堀越高等学校に進学したということは、端から職業的音楽家を目指していたということだろう。
一般の家庭に育って、趣味的にオーボエを始めたというのではこうはならない。音楽家の家庭ではないかと推測したが、そうした記録にはたどりつけなかった。まあ、ご本人に確認できればすぐに解決する疑問ではあるが。

それにしても藝大在学中の時点で、石橋の演奏技術は既に完成の域に達していたのだろう。この時期からスタジオミュージシャンとして活動を開始し、1万曲以上の録音に関わったという。
と、いうことは、1971年の藝大卒業からから数えても2011年の今年で40年。この40年で単純に計算しても年間250曲以上。恐らくは途切れることなく、毎週のように録音の現場に招聘されたことになる。録音以外の演奏会の仕事も多数あったようなので、学生の頃から一定の評価を得て、定期的にスタジオ録音の仕事に関わっていたはずだ。
そんな彼だが、NHK交響楽団などに代表される職業的オーケストラに関わったという記述はない。なぜだろうか?

他方、彼が学生時代から在籍した古典音楽協会は、1953年に故三瓶十郎によって設立された国内最初の室内オーケストラであり、バロックや古典音楽を中心とした曲目の演奏活動を、現在に到るも行っている。ただし、定期演奏会は年4回ほど。職業的オーケストラの活動としては回数に乏しい。これだけの演奏活動では、団員を含む関係者に充分な収入を確保することはできないだろう。
団員は東京藝大出身者を中心に、国立(くにたち)音楽大学、桐朋音楽大学、武蔵野音楽大学などの出身者が参加している。恐らく、団員は別に本職の音楽活動を行いながら、この古典音楽協会の定期演奏会に参加しているように思われる。失礼の誹りを犯して言えば、同好の士が集まって、発表会を行うような存在なのではないだろうか。ただし、非常に高水準かつ職業的オーケストラと遜色ない演奏ではないかと推測する。

石橋が参加した他の団体についてだが、ツイス木管五重奏団、アマティ室内合奏団、レゾナンス木管五重奏団の各団体の詳細な略歴については、さしものグーグルも大した威力は発揮しなかった。まあ、いくらインターネットといっても、情報はしょせん、偏ったものでしかないことを改めて認識したわけだが。
ツイス木管五重奏団はフルート奏者の青木明が1961年に設立した団体。青木は1956年藝大卒で石橋の大先輩にあたる。「笛吹き老人のひとりごと。」というブログ活動を現在も行っている。
ツイス木管五重奏団やアマティ室内合奏団を検索すると、やはり最も多いのは有名曲のスタジオ録音に関するものだった。恐らくスタジオ録音関連での活動を主に行っているのではないだろうか?
レゾナンス木管五重奏団を主宰していたのは、これまたフルート奏者の西沢幸彦。1947年生まれで、やはりこれまた藝大出身者である。2008年に鬼籍に入ったが、彼もスタジオ演奏家として活躍したという。この団体については詳細な情報は得られなかった。

因みに旭孝という演奏家がいて、スタジオ演奏家としての活動記録をHPに残している。複数の楽器を演奏するが、主たる楽器は西沢と同じフルートのようだ。オーケストラの団員としての職歴を経て、スタジオ演奏家の道を選んだという。
彼はその膨大なHPの一画で「スタジオの猛者達」というスタジオ録音全盛の往時を偲ぶ記録を残している。故西沢幸彦に触れている頁もある。頻繁にではないが石橋とともに仕事をすることもあるようだ。旭は石橋と同じく堀川高等学校の卒業生である。
彼のHPは陽の当らぬスタジオ演奏家の存在を、大らかに世に示そうという気概で満ちている。1940年5月生まれだから、齢70歳。まだ意気揚揚である。

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1973年外務省文化施設として東南アジア演奏旅行・・・についてはさっぱりわからない。「施設」は「使節」の誤りかとも思ったが。これもご本人に直接伺いたいお話である。

アスペン音楽祭はこの機会に初めて知った。音楽祭と言っても少し特殊。通常の音楽祭とは、有名無名、とにかくも主催者がこれはと見込んだ音楽家を一ヶ所に集めて演奏三昧するのが音楽祭。日本でも東京国際フォーラムで行われているという(行ったことない・・・)ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭などが有名になりつつあるが、欧米では大小含めて無数の音楽祭が行われている。基本はクラシック楽曲の演奏だ。
アスペン音楽祭が特殊なのは、演奏だけが目的ではなく、演奏家の養成、教育も重視していることだ。アメリカのコロラド州で行われるらしいが、その名も「ASPEN MUSIC:FESTIVAL ‐and‐ SCHOOL」という。たぶん、石橋は養成する、あるいは(目標とされるべき)演奏を聴かせる側として参加したのだろう。
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↑アスペン音楽祭のHPから。

インナーギャラクシーとは三木敏悟を中心に1978年に結成されたジャズのビッグバンドオーケストラだ。同年に「海の誘い~BACK TO THE SEA~」というアルバムを発表し、これは伝説的なアルバムなのだということを、今回、初めて知った。当時の名だたるジャズ演奏家が三木のために結集してインナーギャラクシー・オーケストラを組んだのだという。その面々の一人に石橋も加わっている。是非とも聴きたいと思ったが、残念ながらCDは廃盤となっており、再発が望まれるところだ。

モントルージャズフェスティバルは1967年よりスイスのモントルーで開かれている音楽祭で、年々発展し、スイス最大規模の音楽祭の1つだという。2010年も7/2~17の実に16日間にわたって開催されたという。
インナーギャラクシーは1979年にこの音楽祭に参加、その時の記録は「モントルー・サイクロン」の名前でアルバム化されたという。このCDも残念ながら廃盤だ。

インナーギャラクシーの主役はやはり三木敏悟なのだが、こうしたアルバムに参加するあたりが、「イデオンⅠ」の石橋にだぶってくる。1978年「海の誘い」1979年「モントルー・サイクロン」、そして1980年「イデオンⅠ」・・・正に脂の乗った最高の時期に石橋はこのアルバムに参加したわけである。

改めて、こうして石橋雅一の経歴を眺めると、そこから伝わってくるのは、ひたすらに音を奏で続ける人生であるということだ。華やかな名は残されない。必ずしも主役ではない。だが、彼の揺るぎない実力は知る人ぞ知るものなのだと思う。だからこそ、藝大、桐朋学園芸術短期大学の講師にも呼ばれるのだろう。

恐らく、彼は職業的オーケストラの仕事よりも、スタジオ録音やジャズ演奏の仕事の方が性に合っているのではないだろうか。無論、優れたオーボエ奏者は彼一人ではなく、職業的オーケストラの団員募集も無限ではない。だが、彼の実績をみれば、オーケストラの第一オーボエに就任してもおかしくない。
そうはならなかったのは、学生時代から参加したスタジオ録音の世界、恐らくそれが縁で知り合ったジャズの世界が楽しくて仕方がなかった・・・・というのは、僕の勝手な憶測だが。
あえて職業的オーケストラに参加しなくても、古典音楽協会の活動でクラシック音楽を気心の知れた先輩後輩と合奏することで、気持ちは満たされるのではないだろうか。
ただひたすらに音楽に向かい合う人生を、彼の足跡から感じる次第だ。

さて、彼の吹き込んだ曲は、実はまだまだ無数にある。貴方も一度、検索して探してみてはいかがだろうか? 僕は取り合えず、「海の誘い」を聴きたくて仕方がない。


石橋雅一の略歴は以下のHPを参考にした。
古典音楽協会HP
あのひと検索SPYSEE 石橋雅一

青木明のブログ
笛吹き老人のひとりごと。

旭孝のHP:非常に話題が豊富
旭孝氏のHP
スタジオ演奏者の紹介。ただし石橋の名はない。
スタジオの猛者達

西沢幸彦が参加した音楽界の記録から。
西沢幸彦略歴掲載HP

アスペン音楽祭のHP(英語)。話のついでにどうぞ。
アスペン音楽祭のHP

モントルージャズフェスティバルの記事は多い。取りあえず、一つあげた。
モントルージャズフェスティバル紹介HP

「海の誘い」を教えてくれたブログ。感謝。
ウォールのレコード部屋
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[C1] 二枚舌

ブログ主さまへ。
残念ながら、掲載の楽器イラストはオーボエではなくクラリネットです。
似ていますから、無理もない…。
オーボエは先端部分に細いリードが付いています。

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