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コルンゴルトとアクエリオン

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エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897年5月29日 - 1957年11月29日)は2000年代くらいから再評価の機運が高まった作曲家だ。欧州に生まれ、年少の頃からその作曲の才能が高く評価され、神童と讃えられた。オーストリアは音楽の都、ウィーンで活躍していたが、ユダヤ人であったため、オーストリアがナチス政府のドイツに併合された折に米国に亡命した。亡命後はハリウッドで映画音楽を多数手がけており、この分野でも才能を発揮して、アカデミー作曲賞の栄誉にも輝いている。
コルンゴルトの歌劇「死の都」の世界初の全曲録音盤は1975年に録音され、LPで発売された後、長らく廃盤になっていたらしい。それが2001年にCDで再発され、この頃くらいからレコード雑誌でコルンゴルトの名前が目に付くようになっていた。
更に、やはり2001年に彼の映画音楽集(30年代~40年代にかけて作曲されたものを1972年に再録音したもの)が廉価版で国内で再発された。
更に更に、やはり2001年に往年の名ヴァイオリニストであるヤッシャ・ハイフェッツが録音した彼のヴァイオリン協奏曲がCD再発された。
レーベルはすべてRCAであり、いくつかの企画にさりげなくコルンゴルトの作品を配置して、彼の再評価の契機を作った形になった。たまたま僕もその流れに乗って、上記のCDを入手した。
実を言えば「死の都」は未だに全曲を聴きとおしたことがなく、DVDも持っているが、これもまた未視聴という有様なのだが、映画音楽集とヴァイオリン協奏曲は何度も聴いている。特にヴァイオリン協奏曲は、20世紀の映画音楽の真髄を内包した華麗な作品だ。



「シー・ホーク~コルンゴルト映画音楽集」は2011年5月現在、まだネット通販で入手可能なCDだ。僕は昔のハリウッド映画に詳しくとも何ともないが、ここに収められた映画音楽は、20世紀前半のハリウッド映画音楽の真髄とも言えるのではないか。まさに僕が当時の映画音楽に感じる印象が、最も見事な音になって表されている。(※1)
それは後期ロマン派の流れを組む濃密なヴァイオリンの旋律であり、力強い金管楽器群のきらびやかなファンファーレ(式典楽曲)の如き響きであり、それらが絡み合って、ハリウッドの華やかな銀幕の音楽世界が構築される。例えれば、USJやディズニーランドの背景に流れてきそうな、日常を忘れさせてくれる、幻想の世界へ導くための舞台装置としての音楽だ。
ヴァイオリン協奏曲でも、そうしたコルンゴルトの濃密な音楽世界は変らない。ハイフェッツの残した録音はもう古いもので、1953年というから、既に48年も昔のものだ。しかもモノラル録音という悪条件でもある。それでもRCAの優秀な録音とハイフェッツの鮮やかな演奏は、コルンゴルトの手による19世紀までは存在し得なかった、甘い、とろけるような美しい絃の調べを聴かせてくれ、この曲が未来に残しうる傑作であることを教えてくれる。少しでも興味を持たれたなら、一聴をお勧めする。(※2)



さて。
「創聖のアクエリオン」劇判第1集の3曲目に収録された「high spirit」が、このコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲第3楽章の引用になっている。
細かな音の動きが多いので、音楽素人の僕では聴きとりが不十分なのを承知で「high spirit」の主たる旋律を記すと、「ミシラファ♯ソミド レシソシレミドソ」になると思うのだが(違うかもしれないが・・・)、この旋律はコルンゴルトの作品のそれとほぼ同一だ。
「high spirit」は高音を奏でるヴァイオリンの天駆けるような響きに、ホルンが加わり、神話的世界の俯瞰を示しながら、上述の「ミシラファ♯ソミド レシソシレミドソ」を引用しながら展開していく。終盤では重厚な音楽世界を築いた後、一転、軽やかに終わっている。
この曲はけっこう、アクエリオンの世界観を左右したように思うのだが、最初に聴いた時は、「・・・・どこかで聴いたと思うのだが」と感じたものだった。後でコルンゴルトのことを思い出した時には、コルンゴルトを引用したことを面白いと感じた。
2011年の現在においても、まだまだコルンゴルトの知名度は正直、低い。ベートーヴェンやバッハについては、曲は聴かなくても名前は知っている、という人は多いだろう。積極的には聴かなくても、その曲の断片をTVなどで聴いたことがある人も多いはずだ。しかし、コルンゴルトはまだまだとても、そこまではいかない。
菅野がどういう意図で、この曲を引用したのかはわからない。だが、僕はちょっと旬になりかけだが、一般に浸透していない曲を引っ張ってきたのを面白いと感じた。
ただし、菅野のこうした「引用」を非難する声も掲示板ではよくみかける。「引用(掲示板では盗用、パクリと指弾されている)」が非常に多いらしい。原曲と比較するサイトさえあるようだ。
例えば「マクロスF」劇判第1集19曲目の「Bajura」は、冒頭がシベリウスの「フィンランディア」の冒頭を思わせる
確かに菅野の劇判音楽には、「どこかで聴いたことがあるような」響きは少なくない。だから、僕は菅野をあえて天才とは呼ばない。だが、「引用」であるとしても、それをつい聴かせる音楽に仕上げている点、また幅広い音、音色、演奏技法を駆使している点は、見事と思う。
菅野の限界は、彼女固有の歌心が、少なくとも劇判集では乏しいという点なのかもしれない。僕が親しんだ70年代~80年代の作曲家たちは、すぎやまであれ、W渡辺、菊池であれ、マンネリすれすれかもしれないが、彼らでしか歌えない「歌心」があったと思う。その点が、時代が過ぎても彼らが色あせない強みだろう。
菅野は器用すぎるのかもしれない。幅広い分野の音に対応できてしまい、多産できてしまう。彼女にしか作れない歌心、というものが的を絞れないのかもしれない。
菅野だけしか作れない劇判はこれだ!!という曲が手に入らないできた僕としては、菅野の魅力は劇判より歌曲にあると感じていた。こちらは記憶に残る曲がそれこそ幾つもある。
だが、それすらも「引用」から作られているという意見もある。しかし、洋楽を僕はほとんど聴かないので、歌曲に関する「引用」については具体例が思い浮かばない。

たとえ非難する声が多いとしも、僕は菅野の歌曲が好きだ。「REAL FORK BLUES」「創聖のアクエリオン」「トライアングラー」他、諸々、名曲として扱っている。
一方、「引用」の多い菅野の作風に対して、怒りすら覚える人も多いようだ。僕は、菅野のこうした引用という作業も踏まえて楽しんでいる。結局、音楽は最後に出てきた音が好きか嫌いかで価値が決まる。僕は菅野の音楽が好きだ。
もちろん、原曲と比較してどうかというのはまた別問題であるし、そもそも別の音楽として聴いているので、僕の中では議論にならない。

だが、あえて苦言を呈するなら、菅野やその周囲は、彼女の「引用」作業に対して、あまりに鈍感だと思う。前述した「Bajura」に関するCDに収録された楽曲解説では

エ)オーケストラサウンドでありマス。以上。
カ)・・・ついでに思い出したけど作曲者の好物は「甘い汁」らしいわ。

・・・って、お~い、なんじゃそりゃ。「ここはシベリウスのフィンランディアをちょっぴり意識しちゃいました」とかの解説でもあれば、もっと寛大な気持ちになれるのだが、「引用しているのに知らんぷり」という態度が怒りを買うのかもしれない。
雑誌「ユリイカ」の2009年8月号が菅野よう子特集を組んでおり、改めて読み返してみたが「high spirit」とコルンゴルトの関連を指摘した文章はないようだ。
それは、やはりおかしいだろう。僕は「引用」も新しい音の再創造と考えているし、それを否定するつもりはない。というか、いちいち気にしていたら精神に悪い。「こいつ、やりやがったな!!」と笑い飛ばして終わりにしたい。ライディーンまんまのしんちゃんの主題歌とか(※3)、あそこまでやられると馬鹿負けして、むしろ楽しくなる。
だが、あたかも「引用」が存在しないかのような振る舞いは、どうなのか? 「この曲の元ネタはね~」と語って、我々を楽しませてくれる方が嬉しいのだが。
「引用」は別に「不都合な真実」ではない。隠すべきものではない。まさか「引用」という意識すらないというのなら逆に大問題だが、あまり非難を気にせずに、たとえ「引用」だとしてもそれをネタにするくらいのパワーを持って菅野だけの音を作って、僕たちが好きになれる曲を増やしてくれたら、僕はそれでいい。




※1)因みにこのCD6曲目に収められた「嵐の青春」が、ジョン・ウィリアムス作曲「スター・ウォーズ:ルーク・スカイウォーカーのテーマ」の原曲になっているという指摘は多い。実際、相同性は多い。もちろん、コルンゴルトの方が作曲は先。改めて、「コルンゴルト、恐るべし」という気持ちが強くなった。
※2)新しい録音がよいという方は、アンネ・ゾフィー・ムターの録音がよいだろう。


※3)「とべとべおねいさん」のこと。アニメ『クレヨンしんちゃん』の6代目主題歌。ウィキペディアによると、「同じテレビ朝日のテレビアニメ『勇者ライディーン』のテーマソング『勇者ライディーン』をモチーフに制作された。曲の進行、構成が『ライディーン』と似ている(というより、ほぼ替え歌)と話題を呼んだ。」。僕としては、なぜ、わざわざライディーンだったのか、それを是非とも知りたい。そんなにライディーンをいじりたかったのか?? 馬鹿な僕はいい年をして、両者の歌詞を交互に歌うような馬鹿行為をしたりする。
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