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ダメおやじとフルトヴェングラー(2)

父親がクラシックが好きだった影響で、高校生くらいになると僕も興味を持つようになった。ちょうどその頃のことだ。「ダメおやじ」でフルトヴェングラー取り上げられたことがあった。
古谷もクラシックが好きだったのだろう。特に物語などはない。ただ、淡々とフルトヴェングラーについて紹介する内容だった。どんな展開か、語ったのはダメおやじなのか、彼の友人だったのかも覚えていない。
だが、この漫画が僕とフルトヴェングラーの出会いとなり、今も付き合いは続いている。だから、僕はダメおやじに感謝している(※1)。
img080_convert_20110806002606.jpg
だいぶ見にくいが、1980年代末にフルトヴェングラーの未亡人が来日した時に作製された冊子の表紙である。彼のサインが再現されている。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886年1月25日ベルリン - 1954年11月30日バーデン・バーデン)は20世紀前半の激動の時代を生きたドイツの指揮者であり、多くの視点から史上最高の指揮者の一人に数えられ、2011年の現在もなお、その演奏が愛聴され続ける稀有な存在である(※2)。
「ダメおやじ」では彼の有名な写真やLPジャケットを多数掲載していた(※3)。僕は掲げられたこの指揮者の写真をみて、どこか魅かれるのを感じた。神がかっているようにも見えたし、何か達観したかのような、幽玄、神話的な雰囲気を感じたのだ。生々しさがなく、童話の主人公のようにすら思えた。
img081_convert_20110806002655.jpg
この写真も「ダメおやじ」で使用されていた。

漫画では、この指揮者がどんな時代に生きたかについては、確か触れられていなかったんじゃないだろうか。触れられていたかもしれないが、思い出せない。もう30年も前のことだ。
彼の時代背景について知らないまま、僕は彼の演奏を聴いてみようと思った。とにかくも彼のベートーベンの交響曲が素晴らしいと「ダメおやじ」が強調していたと思う。
レコード屋にいってわかったことは、僕が生まれるよりも11年も前に、既に彼が物故していて、残された録音もモノラルばかりということだった。当時の僕は、「そんな昔の指揮者なの!?」と感じたものだった。当時、1980年頃は、カラヤンもまだ存命しており、デジタル録音が軌道に乗った頃で、これに目をつけたカラヤン時代の最後の華やかさを保っていた時代だった。
彼の他にも数多くの花形指揮者が精力的に各レーベルからレコードを発売しており、クラシックレコード産業の全盛期でもあった。
そんな時代に1950年代のモノラル録音である。それどころか、1940年代、第二次世界大戦中の録音まである。歌謡曲界で言えば、松田聖子や中森明菜全盛の時代に昭和20~30年代の懐メロを聴きにいくようなものだ。
ところが、そんな時代にあっても、いや、まだ「彼の時代と僕らの時代」が接近していたからこそ、フルトヴェングラーは相当に人気があった。
クラシックを少しでもかじったならば、彼の名前が必ず耳に目に飛び込んでくる、そんな状況だった。
なぜかというと、過去の名演奏盤を選ぶような企画があった場合(※4)、ベートーベンの交響曲では、フルトヴェングラーの演奏はほぼ必ず選ばれるからだ。よい録音に恵まれなかった1番と2番は別として、3番以降の演奏は必ず選ばれたと言っていい。
下手をすると、複数の録音があるものだから、「フルトヴェングラーのこの録音とあの録音のどちらを1位にすべきか」なんて、フルトヴェングラーの同士の対決すらあったくらいだ。意外とカラヤンは嫌われていて、特に宇野功芳(※5)という今も現役評論家のじいさん(当時も既にじいさん)が、徹底的にカラヤンを嫌って、フルトヴェングラーの演奏を讃えていたりした。
なにゆえのフルトヴェングラー人気!?と思って、興味を持ちだすと、彼が単なる演奏家に留まらず、歴史の証人、戦前戦後の激動の時代の只中で、政治的、文化的な変動の激流を、溺れそうになりながら泳ぎ抜いた(でも、最後には力つきた)人物だということを知った。

彼は抜きんでて、時代的な存在だった。彼は音楽的にも、歴史的にも、人を引き付ける存在だった。様々な要素が彼を神格化し、時には過剰なまでに美化もされた。
だが、虚飾を排したとしても、彼が残した足跡は大きいと言わざるをえない。

フルトヴェングラーはドイツの高名な考古学者の息子として生まれた。上流階級の子弟として、学校には通わず、家庭教師に教育を受けて育った。音楽に興味をもった彼は20歳で指揮者デビューし、ほぼトントン拍子の勢いで出世、なんと36歳の若さで当時も世界最高峰の名を戴いていたベルリン・フィルの常任指揮者に就任してしまう。更に41歳の頃にはウィーン・フィルの常任指揮者も兼任してしまうのだから、ヨーロッパ音楽界の頂点に立ったに等しかった。
時に1927年のことである。
仕事は順風満帆、まだ若くて体力もあり、おまけに女性にもモテモテだったらしい。人生の絶頂期であり、これで終わっていれば、彼も幸せだったろう。後世の評価は今ほどはなかったかもしれないが、彼個人としては、この時、時間が止まっていれば至福の人生だったろう。
ところが、そうはいかなかった。1933年に権力を掌握したナチス政権が始まり、ユダヤ人への迫害、芸術の政治利用、ひいては第三帝国建立のための侵略戦争のはじまり・・・欧州のこの激動と数えきれない悲劇の時代の幕開けが、彼の、そして大勢の芸術家の運命を翻弄した。
なまじ有名かつ実力があったがために、彼はナチスの宣伝塔とされるべく、帝国音楽院副総裁の地位を与えられ、ヒットラーの誕生日会の演奏の指揮を任されたりする。元々、音楽のことしか頭になく、政治に興味のなかった彼だが、「こいつらと関わるとなんかめんどくさいぞ」という直感はあったようで、あまり協力したがらなかったらしい。
だが、ナチスはほっといてはくれない。「皆さん、ドイツはひどい国だと勘違いしていませんか? そんなことないですよ。あの有名なフルトヴェングラーも協力してくれてますし、ベルリン・フィルの演奏も最高ですよ」と外国に示したいので手放さない。しかし、その一方で「あの作曲家はドイツにふさわしくないから演奏すんな。ヒンデミットもあかん」「あの演奏家や楽団員はユダヤ人だから首にせんか」とか言ってくるので、フルトヴェングラーは「何でやねん。ええ曲やないか。ヒンデミットはええ作曲家やで。演奏せなあかんて」「ユダヤ人やゆうたかて、ええ演奏家はええ演奏家なんや。そんなんできへん」と反抗したのだ。
並の演奏家だったら、「じゃまくさい奴や」と、とっくの昔に強制収容所に送られ、殺されていただろう。だが、それでもナチスは我慢した。反抗するフルトヴェングラーを黙認した。それほど、利用価値が高かったということだ。
フルトヴェングラーは1939年の第二次大戦勃発後もドイツに留まり、占領国も含めて各地で指揮をした。しまくった。当時の演奏は、1940年代録音の決して十分な音質でないにも関わらず、「極限状況下の凄演」として未だに高い評価を得ている。
だが、ナチスドイツが追い詰められ、いよいよとなると、積もる恨み(逆恨みだが)が涌いてきて、フルトヴェングラーを葬らんとする動きが出てきた。さすがにやばいと思って、戦争末期、彼はスイスに何とか亡命したのだった。
ベルリンが陥落した。ヒットラーは自殺した。ナチス政権が崩壊し、自由の時代がきたかに思われた。
だが、フルトヴェングラーに自由はこなかった。演奏をしすぎたのだ。「あんた、ナチスの協力者やからな」と、戦勝国に戦犯の烙印を押されかけた。
我慢してナチスに付き合って、がんばって指揮もしたのに、なんで戦犯?-というのが、恐らくは非政治的人間である彼の率直な気持ちだっただろう。
だが、政治的な人間には、非政治的人間の「鈍感さ」が時に許せないことがある。
消極的だろうがなんだろうが、結果としてナチスの肩を持ったのだから、お前も同罪だ‐と。
彼を戦犯にするかどうか。この時に既に米国とソ連の間で冷戦は始まっており、戦犯に関する裁判でも両者の駆け引きで火花が散ったという。
しかし、彼を攻撃する者も多かった(※6)が、それ以上に国内外にフルトヴェングラーを擁護する声が多かった。気難しそうだが、人に好かれる性格だったのかもしれない。女性にモテるということは、やはりそれなりの魅力があるからだ。そうした人間的魅力、彼の音楽の素晴らしさが、彼の無罪を勝ち取った。
彼の戦後復帰の演奏会、ベートーベン5番と6番の同時演奏会は歴史的なものとしてとらえられている。
それでも、激動はまだ終わっていなかった。新たな時代の幕開けは、新たな世代の台頭を促した。それがカラヤンだ。彼とフルトヴェングラーの確執、対立は、それだけで単行本がいくつも書かれるほど、人々の興味を引き付ける歴史的題材となった。技術的革新も起こり、レコードの性能の向上が、演奏に新たな時代をもたらした。
生演奏を身上としてきたフルトヴェングラーは、演奏の一回性、一期一会の緊張感を求めたそうだが、レコードは同じ演奏がくり返し聴くことができる。芸術家とは感性が剥き出しになったような種族だから、そうした根本的な変化には激しく敏感だったことだろう。「俺はこれからどんな演奏をしたらいいんだ!?」。
それだけではなく、難聴が彼に襲いかかった。音楽家が難聴・・・。晩年の彼は絶望していたようだ。まだ若かったにも関わらず(※7)、最後は肺炎で人生を終えた。彼を担当した医師は、「生きる意欲のない人は救えません」と家族に語ったという。たぶん「先生、もう、そっとしておいてください。何もしないでください」「マエストロ、そんなことおっしゃられても困ります」「いや、もういいですから」などというやり取りが毎日のようにあったのかもしれない。
彼の死後、カラヤンが台頭し、一時は欧州の主要な音楽監督の地位を独占し、長時間のステレオ録音や映像と言う新しい技術を武器に、クラシック産業の市場を著しく拡大することに成功した。
フルトヴェングラーは、正に時代の変わり目に世を旅立った、戦前の「精神性」「ロマン派」の空気をふんだんに演奏に吹き込んだ指揮者だった。
彼に接するということは、単に彼の演奏を聴くにとどまらず、どうしても彼の人生、歩んだ歴史、そして彼と関わった大勢の人々について思わずにはいられない、そんな存在だった。僕もまた、フルトヴェングラーという入口から、欧州の近代史の一端に触れた。

と、まあ、上記のごとき事実はクラシックをかじればすぐに知ることとなる。だが、この時代の芸術家たちの人生は壮絶であり、ならば一般人の人生は更に筆舌に尽くしがたい苦悩があったであろうし、第二次世界大戦という破滅の一歩手前の大戦争とは何だったのか、太平洋戦争とは何だったのかとまで思いはせることとなる。
僕自身、まだまだ知らないこと、頭の中に入っていないか、聴いたことがあるだけで把握しきっていない事実は無限にある。フルトヴェングラーは、そうした世界があることを僕に気付かせてくれたのだった。
(アニメと関係なかろうが、この項はもう一回、続くのだった)
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ウィキペディアのフルトヴェングラー

※1)「ダメおやじ」のフルトヴェングラーの回について触れた記事は、残念ながら、ほとんどみられない。ぶっちゃけ、ほぼ皆無。つまりは当時のサンデーの読者の大半には、見事に無視されたということだ。フルトヴェングラーに興味があるよな普通のクラシック愛好家の親父たちがサンデーを読むはずもない。古谷三敏の情熱は空振りか!?と思われた。だが、そんな中で、ちょっと愛らしい題名のブログがこのダメおやじとフルトヴェングラーの邂逅 について触れていた(実質、このブログ以外に両者の関係を指摘した記事は全くないようだ)!!
娘と一緒にアウトドア
※2)何といっても、SACDが今年になって発売されたりしている。ところでSACDって、知ってます?
※3)だが、今になって思えば著作権はどうなっていたのだろう? 冗談抜きでフルトヴェングラーの存在は世界遺産的になっているので、細かなことは言いっこなしというところもある。実際、彼を題材にした個人のホームページやブログでは写真を使い放題である。今や没後50年を超えているが、「ダメおやじ」連載時の1980年代初頭は、本来、肖像権やら著作権(ジャケットも含めて)あったのではなかろうか。だが、肖像権については(欧州からみれば)極東の少年漫画の連載まで遺族がチェックしているはずもなく、またジャケットの著作権についても「ま、いいか」ですんだんではないだろうか? あるいはやはり気付きもしなかったのかもしれないが。いい意味でおおらかな時代ではあった。
※4)当然のことながら、ベートーベン交響曲5番「運命」のレコードなんて、昔から無数に存在していた。その中から、どのレコード、演奏を買うかというのは、クラシック愛好家にとってはなかなか大きな問題だった。当時のLPの通常盤は2800円。月々の小遣い3000円か4000円程度のクソガキには、LP1枚買うのも覚悟がいった・・・・というのはよくある話。だから、名演奏はこれ!なんていう企画も人気があった。今も絶え間なく続いているし。
※5)いい意味でも悪い意味でもがんこなじいさん評論家。筋は一本通っている。過去に発売されたベートーベンのレコードを全て聴いて、全てに批評するというとんでもないことを企てたりしていた。海外盤まで含めたら、何万種類で済むのかというくらい、ベートーベンの録音はあるというのに。
※6)戦前の指揮者界の第一人者に米国のアルトゥーロ・トスカニーニがいる。日本では人気ではフルトヴェングラーの後塵を拝しているが、米国にいけば歴代最高の指揮者の栄誉は彼のものかもしれない。明快、快活、颯爽とした音楽を身上としていた。彼もまた、母国イタリアがムッソリーニによる独裁政権になると米国に亡命した。彼から見れば、亡命せずにドイツに残って指揮活動をするフルトヴェングラーはナチスの協力者、すなわちナチスでしかなかった。だから戦後もフルトヴェングラーを攻撃した。トスカニーニは政治的な人間だったのだ。
※7)享年68歳。指揮者としては短い人生だった。というのも、指揮者は長命な方が多い。しかも、晩年までけっこう精力的に演奏をしている。ストコフスキーなぞは100歳まで録音契約をレコード会社としていたというから恐れ入る。指揮という身体的活動自体が健康によいという意見も聞いたことがある。フルトヴェングラーもスキーが達者であり、運動神経もよかったから、体力はあった。本来はもっと長生きできたのではないだろうか?

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いや、前述の冊子になぜかキャピトル東急の広告が載っていたので再録してしまった。なぜかというと、故ジャイアント馬場さんのお気に入りの場所だったから。大阪府立体育館の売店で、つい目があってしまって会釈をしたら、馬場さん、会釈を返してくれたんです。嬉しかったなあ・・・・。
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