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長野の空気が運ぶ言葉 山川啓介「boy, 風になれ」後篇

Mr. Monday Morning裏ジャケット
MIO 「Mr. Monday Morning」 KING RECORD 1985 K28A-727」 ジャケット裏

早くも7月も半ばが過ぎた。世間は依然としてかしましい。
もはや定期的に訪れるとしかいいようのない豪雨による激甚災害。
大津市の中学校における、同級生による日常的な肉体的精神的暴行傷害が原因とされる少年の自殺事件を巡る、教師、加害者、その保護者、教育委員会、警察各方面の当事者意識委および解決能力の欠如。
原発政策に関する意見聴取会にみられる、政府及び電力会社の国民を愚弄するふるまい。
消費税法案についての政治家の権力争い。

それでもふてぶてしく生きていかねばならない。

さて、hooさんが教えてくださったことだが、MIO(MIQ)の「スターライトシャワー」と「Mr. Monday Morning」が平成24年7月25日にキングレコードからCDとして復刻発売される。長く忘れられた存在であったが、MIOの芸能生活30周年記念とのことである。この時期に重なって、紹介記事を書いていることの幸運を喜びたい。



改めて第二アルバムの「Mr. Monday Morning」は、製作監督に新田一郎を迎え、アニメ主題歌の英語版を3曲含みながらも、MIOの新たな魅力を掘り起こした隠れた名盤だ。
1曲目の「BOY, 風になれ」に触れている途中で山川啓介の他の作品に寄り道をしていた。
さて、僕の疑問から始めよう。
どうして新田一郎は、このアルバムの1曲目を山川啓介に託したのだろう。
アルバムの題名こそ2曲目の「Mr. Monday Morning」に譲ったが、アルバムを聴き始める聴衆の気持ちをつかむための大切な1曲目である。
だからか、作曲は製作監督である新田自らが担当している。
山川の詞は、田舎から「貨物列車」に乗って、都会(東京)にやってきた少年を描き出す。
生まれ故郷ではたくさんの夢を心に育みながら、都会の生存競争にもまれるうちに
「希望(のぞみ)が石に」なり、「瞳(め)の大空が 消えてゆく」のだった。
当然といってもよいだろうか、ここにはロボットもいなければ浮かれた恋愛感情もない。
あるのは、人生の次の道行を見出した少年(若者)の、羽ばたこうとする気概の表出だ。
だが、それまでの人生は平板なものではなかったようだ。
地方から都会(恐らく東京)にきたはいいが、そこに彼彼女がそれまで思い描いていた夢はなかった。愛、のぞみ、大空、鳥であった自分、星の歌、都会で彼彼女はそれを失ったり、(自ら?)捨てたりしている。
今時、いや30年まえだって貨物列車で上京することなどない。ありえるとするなら、作詞の山川くらいの青春時代までだろう。
激動の1960年代、若者の多くは政治について、日米関係について、様々な社会制度について議論をかわし、政治的行動を行った。
もちろん、社会も変革が続いており、都市への経済集中化が進み、地方経済の独自性が失われ始めた頃だろう。文化面でもTVという放送媒体の普及が進み始め、大衆化が一気に進むこととなる。
そんな時代に山川は上京し、学生時代を早稲田大学で過ごした。当時の大学とは学生運動の巣窟であったとのことだが、山川はそこでどんな出会いをし、どんな精神的変容を経験したことだろうか。

「機械(マシン)じかけの 羊の群れ おんなじプログラムの 人生を買い求め」
「大人はみんな言うだろう 人生はこんなもの」
「でも君は笑って 背を向ける」

二番の歌詞はやや紋切り型の社会描写になっている。似たり寄ったりの人生しかどうせ送れないのだという大人の諦念を否定し、独自の人生を道行くのだという決意の表明が語られている。
再び旅立つ時がきたが、ふるさとを捨てた時はまだ子供で、知識も不十分で闇雲に夢を描いていた。だが、今度の旅立ちはこの世の理、不条理、限界を知った上で踏み出すのである。

「光る 風になれ 明日へ吹け」

たとえ、己一人のみが行く道だとしても、空だとしても、自由にふるまえるからこそ、行くのであろう。
だが、僕にはそっと挿し込まれた「裏切り知った」という言葉が気になる。まるで、いつまでも消えない心の傷が垣間見えたような言葉ではないだろうか。山川が青春期に受けた、心の傷の表れなのだろうか。勝手を言い過ぎだろうか。
だが、この歌詞からは、風や光、空という、恐らく山川の愛する言葉がちりばめられ、都会に上京した少年の失望からの再生が、あたかも山川のそれではないかと思わせるような、自伝的な物語を感じてしまう。
「君は 風になれ・・・明日へ吹け」
失望や挫折があったとしても、最後を締めくくるこの言葉の心地よさ、前向きさが素敵ではないか。山川啓介の世界ではないか。

なぜ、1曲目の歌詞を山川に託したのか、新田一郎自身の話を聞いてみたいものだ。
仮に実現したとしても30年くらい前のことを覚えていてくれるだろうか。不安はあるが、しかし、案外、覚えておられるかもしれない。
この歌詞に寄せた新田の音がまた、爽快であり、彼の個性がいっぱいに詰まる素敵な仕上がりになっている。
そして、新田の音楽は、MIOにそれまでになかった世界を開いてくれた。
軽快なドラムの導入とともに、MIOが颯爽と歌いだす。

ド・レード ドドレレード ドドドド ドドド シ♯シ♯シ♯シ♯ソ
き・ーは かぜになーれ ゆめから さめた しょう ね ん よ
ド・レード ドドレレード ドーレ♭レーレーレドー
ひ・ーる かぜになーれ あーしーたーへ ふけー

・・・だと思うのだが、MIOの声の伸びやかさが、初っ端からよくいかされている。
強弱の効いた歌いだしで始まり、「夢から醒めた少年」の件のしとやかな声も、さすがMIOである。そして、「明日へ吹け」ではMIO一流の駆け上がるような声が聞こえる。
「貨物列車で 着いた都会・・・君の瞳(め)の大空が 消えてゆく」
の部位では、流れるように、たたみかけるように音を流して、新田は少年を巡る世界を一気に描写し、MIOもまた新田の軽快な音の流れを軽やかに乗り切っていく。
そして、冒頭と同じ構造の歌に戻り、「星の歌を」までが瞬く間に終わる。
もう一度、たたみかけるように負の世界が「機械(マシン)じかけの 羊の群れ・・・ねらってる」までを軽快に歌いきると、新田は少し舵を切り替える。
間奏がはいり、風が歌うようにサックスが旋律を奏でる。
音の調子を変えて、「旅立つ時が来たのさ ふるさと捨てた あの日のように」と歌うのだが、音の高さは抑え目にして、MIOの声の表情を際立たせている。
ここではMIOはふてぶてしさを交えた表情で、少年の気持ちを表している。依然とは違う。鍛えられて、多少のことでは動じなくなった少年の強さを表現してみせている。

この歌は、少年の気概を表すのびやかさの節、彼を取り巻く夢のない社会を描写する節、そしてこの少年の強さを示した節の3節に大きく分けられるだろう。
最後の「明日へ吹け」を歌いきった時、少年が新たな段階へ旅立っていく姿が見えるようだ。
だが、もしかすると旅立とうとしているのはMIOであったかもしれない。
僕は「スターライトシャワー」では、アニメ愛好家とMIOとの目指すべき方向性が残酷なまでに別々であることを露わにしてしまった作品と思っている。
ある種、前作は恋愛歌にしても、力みが多いように感じられる。
だが、このアルバムに収められた歌々は、恋愛歌にしても、もっと肩の力もぬけて、人生の一断面としての恋愛を描写しているように思う。
当時のMIOを巡る状況を、どのように新田は捉えていたのだろうか。アニメソングからは本当は卒業したいのだという気持ちくらいは把握していたのではないだろうか。
「エリア88」での付き合いで、新田もMIOの歌手としての能力を評価してくれていたことだろう。
さあ、どうしようか?
その時の新田の気持ちや意図を是非、聞いてみたいと思う。
ある意味、この歌は迷いを抱えたMIOへの、新田の答えではなかったろうか。
もしかしたら「旅立つ時がきたのさ」「風になれ」とMIOを促しちゃったのではなかろうか。
違うかもしれないが、そんなことまで感じてしまう。この歌は、歌詞の通り、風になって空を駆け抜けるような快活さに満ちている。復活を大いに祝いたい。
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