Entries

深化した物語たち-MIOが残したもの

Mr.Monday.Morning1
MIO 「Mr. Monday Morning」 KING RECORD 1985 K28A-727」  解説書

キングレコード在籍時に製作されたMIOのアルバム2枚が、30年の時を超えて初めて、CDで発売された。
もう時代はダウンロードが主流となりつつあり、CDではなく音楽配信での再発もありえたかもしれない。だが、僕(昭和40年生)くらいの世代までは、音楽はただそれだけで存在していたのではない。特にLPの時代はジャケットも大きく、それ自体が音楽とは別個の個性を発揮できる素材だった。解説書も工夫を凝らすことができた。CDの大きさに小型化してから、その魅力は減少したものの、そうした、LPやCDという形のある商品(作品)の一部として音楽があった、ともいえる。
CDの製作費用が大幅に低下したとはいえ、果たして音楽配信といづれがより商品として利益率が高いのかは知らない。だが、あえてと言おう。CDとしてこのアルバムを復刻し、全てとは言えないまでにしても、LPのあの雰囲気を今に残そうとしてくれたキングレコードのはからいに感謝したい。

CDの解説はMIO自身がしたためている。総括的な文章は2枚とも同じ内容になっているが、歌の一つ一つに、短いながらも明解な言葉を寄せてくれている。
改名の理由についても触れておられるが、本来ならもっともっと彼女の言葉を聞きたいと思ったものだ。
それでは、引き続きMIOの第2アルバム「Mr. Monday Morning」の紹介を続けよう。

2曲目「Mr. Monday Morning」はご覧の通り、このアルバムの題名曲に選ばれている。なぜ、この曲を選んだのか、どうして2曲目なのか。そうした細かな疑問も、本当なら製作監督の新田一郎に質問したいところである。
ただ、この歌には意図されたものかどうかはわからないが、ちょっとした仕掛けがなされている。
作詞:竜真知子、作曲:谷口雅洋、編曲:新田一郎の布陣。

都会で働く主人公が、たぶん通勤途中でみかけた男性に一目ぼれしちゃうお話だ。
月曜朝8時半にすれ違う男性のことを思って「もしかしたら恋かしら」とつぶやいちゃう主人公がかわいい。
作詞の竜真知子は前作「スターライト・シャワー」でも「風のデュエット」と「さよならはtenderly」の作詞を担当している。ここでは主人公を明確に都会の事務所で働く独身女性(※1)と定めて、彼女のささやかな恋心を描写している。
1980年代はちょうどレディースコミックという分野も立ち上がってきた時期だ。男女雇用均等法(※2)が1986年に施行され、「結婚=寿退社」という一般通念が極僅かだが崩れる気配を示し始めた、そうした時代を竜真知子が読み込んだ歌なのかもしれない。
日々の仕事の慌ただしさの中で、ふいに訪れた片思い。
新田の編曲は巧みに都会の喧騒を際立たせる音作りにしている。硬質、金属質な音を並べてから、彼の得意のブラスが鳴り響くと、そこはもう東京のど真ん中のように感じられる。
作曲の谷口はというと、やはり淡々と流れる日常を語るように、一人語りのような歌を始める。「都会は今日も一日中・・・私のMr. Monday Morning」まで。
そんな単調さを装っていた歌が、がらりと変わる。単色の世界が突然、総天然色に塗り替えられたように、MIOの声が輝き始めるのだ。

この歌は詞を眺めていると、本当に小さな世界、恋心を描いている「だけ」だ。日常の断片を果物ナイフでサクッと切り落としたような世界が、何か魔法で小さなガラス細工の中に閉じ込められたように光っている。
その輝きの秘密は何かというと、MIOの声だ。

地味なはずの歌なのに、一聴、何か心惹かれてしまう。
歌詞を眺めて気づいたことがある。

Tell me why 教えて darlin’
もしかしたら恋かしら
ありふれた毎日が変わった
In my heart

てるみー ほーい ふしぎね ーりん
れすぎ 
アザヤカにきめきじめ
いんい ーいず

サビの部位の歌詞だが、母音が“あ”になる音が多いのだ。
その結果、必然的にMIOの伸びやかな声質が生かされることになる。「鮮やかにきらめき始め」るのだ。
2番の歌詞も同一で、やはり同じく母音が“あ”になる音が多い。

多分、竜真知子はMIOの声の美質が存分にいかされるように言葉を選んだのではないだろうか。谷口も新田も、そうした竜の意図を組んだ作曲と編曲を施したのではないだろうか。
竜真知子は1951年生まれ。世代的に最も創作力が高かったのは1970~1990年代だろう。代表作を拾っていくと、若い世代にはなじみが薄いが、僕らくらいの世代には懐かしい曲が並んでいる。
狩人の「あづさ2号」、キャンディーズの「ハートのエースがでてこない」、サーカスの「ミセス・サマータイム」などが僕の記憶にはなじみが深い。やはり小さな心情を拾ってきれいに飾る作風に思う。
MIOを迎えて、「Mr. Monday Morning」とMの子音で韻を踏み、さりげなくMIOの声を生かす詞を持ってくる。洒落ているではないか。
この曲を題名曲に選んだ新田の感性は、なかなかに奥が深いと感じる。

続く「ガラスの黄昏」はまた、東洋的な旋律に彩られ、歌の風景を少し変える作用をもたらしている。
作詞:森由里子、作曲:つのだ☆ひろ、編曲:新田一郎の布陣。

「翳りゆく雲のヴェール」
「舞い降りる 雪の囁き」
「睫毛に積もった 哀しみさえも」

言葉から溢れる淡い雪景色のような色彩と、柔らかさ、そしてつのだ☆ひろの紡ぐ、けだるそうでほのかに酔い心地のような旋律が、品のよい酒を味わうような快感を与えてくれる歌だ。
曲調の変化が、都会の真ん中から、遠い異国に連れ去られたように感じさせ、その場面転換につい引き寄せられてしまう。
「CRYSTAL SUNSET・・・」と呟くサビは、まるで眼前でMIOがイスラム世界のハーレムの衣装をまとって妖艶な舞を踊っている、そんな心持ちのする歌だ。
作曲のつのだ☆ひろ(☆が大切らしい)は豪放な面持ちが特徴的で、彼の手になる曲であるとは改めて意外に感じられるし、逆に得心してしまう心持もする。

次の「Secret trip」は恋人たちが星の中を駆け巡る世界を歌ったもの。作詞:森由里子、作・編曲:新田一郎の布陣。

「オリオン座の彼方 あなたと夢飛行 二人乗りのUFO 飛ばそうよMilky way」
「ハレー彗星 飛び越えて 惑星十字直列(グランド・クロス)も 怖くない」

星巡りの歌と言えば、「乙女座 宮」という圧倒的な名歌がある。作詞: 阿木燿子、作曲: 宇崎竜童、編曲: 萩田光雄、そして歌唱:山口百恵という最高の布陣だった。全ての要素が幻想の高みに到達した、まどろみながら夢と現をゆったりと漂う情景が忘れられない。
MIOをもってしても、さすがにこの歌を超えることは容易ではない。
だが、「乙女座 宮」の主人公が、星座に託した男たちを渡り歩く妖艶、魔性を感じさせるのに対し、こちらの主人公は少年漫画に出てくるような、元気で、快活で、冒険心に溢れた女子を思わせる。次々と現れては消える星々の輝きの中、「惑星十字直列」だの「極移動」だの、大掛かりな天体現象をさらりと使う。こうした言葉を眺めていると、申し訳ないが僕などはわくわくしてしまう。
昭和30年代から40年代にかけて漫画やアニメ、特撮番組で繰り広げられた宇宙冒険譚を思い出させる率直さ、素朴さが心地よい。
僕の家族がWiiの「マリオカート」に一時期、凝っていた。最終コースのレインボーコースは難しくて、僕などは端から参加するつもりはなかったが、このキラキラ光る華やかな映像は、どこか遊園地の花火かパレードを眺めているような気持にもさせ、それに似た心持ちにもこの歌はしてくれるのだった。

「ガラスの黄昏」に続いて作詞を担当した森由里子については、彼女自身のHPが参考になる。
森由里子オフィシャルサイト

1986年に「ドラゴンボール」の歌曲で活動を開始したということだから、アニメ寄りの立ち位置の人なのだろう。略歴では
‐『地球』『宇宙』をテーマにした作品や、『癒し』『魂』『普遍的な愛』等をコンセプトにした作風では、独自の世界を築く‐
とあるので、「Secret trip」の世界は彼女の自家薬籠と言えるだろう。
ここに付された新田の音楽は、彼の懐の深さを感じさせる。
楽しいのだ。
この世の悲しみを忘れさせてくれるような、夢をくすぐるような音作りなのだ。
星巡りが始まってある程度の時が過ぎてから、「ハレー彗星 飛び越えて 惑星十字直列(グランド・クロス)も 怖くない」の件の場面転換は、MIOの駆け上がるような歌とともに一気に広大な空間に飛び出したかのような解放感に浸れる。
「C C C Secret trip・・・」からあとの歌も、楽しい旅が永遠に続くかのように、あえてきれいに旋律を終わらせない。
恐らくは星巡りのデートの歌なのだろうが、主人公が元気いっぱいなので、恋愛歌という面持ちとは少し異なる。だから、CDに寄せたMIOの一文もなるほどな、と思わせるのだった。

Mr.Monday.Morning2


LPで言えばB面最後の曲は「パラダイス・ナイト」は「Mr. Monday Morning」と同じく作詞:竜真知子、作曲:谷口雅洋、編曲:新田一郎の布陣。

「25階の窓に映る夜景は まるでプラネタリウム」と始まる歌詞なのだが、要するに超高層マンションの25階から都会の夜景を眺める身分の女性の心情を綴った歌。
・・・谷口の曲調も、ゆったりとした心地よい夜の雰囲気に満たされた仕上がりになっているのだが、この歌から感じられる「物語」は言ってみれば、ただ、それだけ。
そーですか。
窓に映る夜景がプラネタリウムですか。
あー、素敵ですねー・・・・・・・・って、ちょっと意地悪いよな。
この稿を書くために、それこそLPを(CDを買ってからはCDも)何度も聴いているが、10曲目の「セレナーデは秘めやかに」とともに不思議と印象に残らない歌だった。ようやく今になって、すっと旋律が浮かぶようになったところだ。
たぶん、物語性の欠如のためにそうなったのだろう。
これは、女性の優雅な心持、気分「だけ」を歌ったものだからだろう。
バブル当時はいざ知らず、2012年の現代から見れば、この優雅さは浮世離れと感じられる。
前作「スターライト・シャワー」が目指した、恋愛に夢中の独身女子の世界の延長線にあると言えるし、あるいは次回作となった「aesthetic」に連なる作品とも言える。
あるいはまた、バブル前期の時代の作品であることから、新田一郎がMIOに「追撃、松任谷由美!!」という願いを乗っけた歌だったのかもしれない。
でも、今となっては、この浮かれ気分以外の何物でもない世界は、僕からは相当に縁遠い(当時ならば、尚更だ!・・・)(※3)。
ある種、MIOのLPの購買者の嗜好を完璧に無視した作品なのだ。
その突き抜けた感は、潔いといえるかもしれないが。
しかし、だ。
ひがむ一方で、男たるもの、こうした世界に憧れる女性の心情に寄り添って、そこに近づこうとする甲斐性もいるのだと、自戒する気持ちもあったりするのであったのであった。
『おまいら、女はこうした世界に憧れるんだから、オーラバトラーだとかヘビーメタルだとかばっか、追いかけてんじゃねーぞ!!』という新田の檄が聞こえてくるようであった。
幻聴だろうか。
この歌についてはあまりまともな言葉が出てこないが、MIO本人の文章が、一番、この歌に寄り添っているなあと思う次第なのだ。

だが、こんなアニメ愛好家をおいてけぼりにした後で、MIOの十八番の英語版3連発を配している。新田の計算だろうか。
『よくぞ我慢して女の夢物語に付き合った。ご褒美と言っちゃなんだが、おまいらの大好きなアニソンを聴かせてやるぜ!!』
と、いうことだろうか。
前後の歌からは浮いているようでもあるが、馴染んでもいるような気もする。
たぶん、この曖昧な感じ方は、僕がアニメ愛好家だからだ。
純に一般人であれば、ここでアニソンが登場したら、どう感じるのだろうか。
英語版だから、アニソンと気づかずに、「わりかし、かっこいいじゃん」で済ますのだろうか。

Mr.Monday.Morning3


さて、MIOの絶叫が心身を揺さぶった後に新田が配したのは、お洒落でありながら、実は痛ましい恋心をさらりと綴った歌である。
「Bad Girlに愛をこめて」作詞:山川啓介、作曲:大塚博文、編曲:新田一郎の布陣。
このアルバムで最も長い歌詞の作品だ。そして、最も奥行のある物語を含んでいる作品でもある。
「Boy, 風になれ」とともに、山川の人生の酸いも甘いも噛みしめた世界がここにある。
幼馴染の娘と結婚寸前までいったのだが、逃げられたか、他の男のもとに走られたかしてしまった男の話だ。周囲の連中には嘲笑われたというのに、男はそれでも娘を思う気持ちが消せない。
娘はいい生活をしたいからなのか、あるいは生来が浮気性で一人の男では満足できないのか、次々と男を乗り換えていく。見た目は清楚に振る舞って、男たちを虜にする。それが気まぐれに幼馴染の元彼のところに戻って、一夜を過ごすのだけれど、朝を待たずにまたどこかへ行ってしまう。

映画というのでもない、小説というのでもない。
まさしく、歌という形式の物語だ。凝縮された物語の小宇宙がふわっと浮いている。
語りすぎれば野暮になる。情景を加えすぎると饒舌に堕してしまう。
4分41秒の歌語り。
この歌詞、この曲、MIOの歌声から感じられる物語を、ただ、味わおう。

始まりは来生たかおの「夢の途中」(※4)の導入を思わせる、きらめくような響きで始まるのだが、これがするりと軽やかな響きへとすりかわる。このあたりの新田の編曲は素敵だ。
続いて大塚の、気取ってステップを踏むような歌が始まるのだが、洒落た仏蘭西映画でも観させられるような感覚になる。
同じ旋律を繰り返しながら、半ば語りのように歌が流れていく。男と娘の関係や人生、そして二人の思いの擦れ違い様が、映画を見ているかのように心に注がれてくる。
明るく、軽やかな歌だ。
しかし、実は哀しい歌だ。
哀しいのに、明るくて、苦笑いしたくなる。
男は娘がどうしようもなく好きなのだ。
でも、彼一人のものにはならない。
他の男に抱かれた後に、素知らぬふりで彼のもとにふらりと現れる。
またすぐにどこかへ行ってしまうのに、それをわかって、知らぬふりをする。
他人に渡したくないのに、でも、娘の生き方をそのまま受け入れてやる。
顔で笑って、心で泣きながら。
この埋めきれない切なさは、この世に男と女がある限り、未来永劫続くのだ。
男のやせ我慢の歌だ。
だが、女を思うやせ我慢は、僕のような男から見ればかっこいい(※5)。
やせ我慢で明るく笑い飛ばしているつもりが、瞬間、ほころんでしまって涙が零れてしまう。そして、すぐにまたやせ我慢を取り戻してかっこをつける。
零れた涙を、MIOが一瞬、「泣き」の演技で鮮やかに歌いつくす箇所がある。どこかはご自分の耳で確かめられるとよい。
新田の重ねる音の一つは、まるで映画の照明のように細やかに歌の雰囲気を変え、場面を変える。新田の音のパレット(調色板)の懐の深さを感じる。

さて、いよいよ最後の曲だが、これもまた優雅な気分を永久保存したような歌だ。
「セレナーデは秘めやかに」作詞および作曲:つのだ☆ひろ、編曲:新田一郎の布陣

「貴男とふたり 踊りつづける テラスに湧れる 月の光」
「揺らいだ影は重なり いつか ひとりになる」

「パラダイス・ナイト」は女性一人の優雅な気分が主体だったが、ここでは恋人と時を共にする幸福感が主体となっている。
恋愛の気分に浸っている時によく似合う歌だろう。ハーモニカで始まる音楽は、室内を穏やかな橙灯で照らし出しているようなくつろいだ情景を映し出す。1日の終わりの幸せな時間を描出する。そんな歌だ。

もっとも‐!
気分が醒めていたり、恋愛に縁がないと、とたんに「猫に小判」「馬の耳に念仏」「豚に真珠」「犬に論語」状態に陥る。
この歌に浸れるかどうかで、現在の自分が恋愛態勢にあるかどうかも推し量れる。
冗談抜きで。
果たして、かつてのアニメ少年・青年たちはこの歌を聴いて、どのように感じたことだろうか。
オーラバトラーもヘビーメタルもウォーカーマシンも縁のない世界を無視したのだろうか、その世界を理解できるように努力したのだろうか。
他方、アニメ少女・乙女たちはこの歌を聴いて、うっとりしたのだろうか。
あれから30年が過ぎた。今、改めてこの歌を聴いて、ここに封印された気分を、あなたの人生のどこかしらにはめこむことはできるだろうか。

この「恋人とともに過ごす時間」の喜びをささやいて、MIOは星の子(スター・チャイルド)の舞台を旅立った。
改めて振り返れば、「Mr. Monday Morning」は、アニメソングの収録という義務を課せられながら、それでも前作「スターライト・シャワー」よりもより趣向に富んだ、広がりのある物語世界を含んだ歌歌を抱擁したアルバムとなった。
音楽監督の新田一郎の手腕が巧みに発揮され、音楽としても充実していたと思う。彼の音の引き出しは相当に奥が深い。もしかすると、スペクトラムの時代よりも充実しているのではないだろうかとすら思える。
今更ながらに、もしも、このまま、MIOが新田と組んでアルバムを作り続ければ、彼女独自の世界をものにできたかもしれない。
せめて、もう少し世間に認知される歌手になっていたかもしれない。
なぜ、そうならなかったのか。
やはりMIO自身がアニメソングと縁の切れない立場に嫌気がさしたからなのか。
あるいは藤田純二らスター・チャイルド創立者が他社に移籍した煽りを食らったのか。
もっと個人的な事情のためか。
当事者にお訊ねするよりない。ないのだが、彼らの口から聞けるかどうかもわからない。
僕はただ、あったかもしれない可能性を思いながら、しかし、今ある人生が全てとも受け入れる気持ちでいる。

※1)独身女性・・・とは限ることはできないが。
※2)以外や、ウィキペディアにこの項目はなかった。わかりやすい説明を下記から拾ってみた。
就活用語集:男女雇用均等法

※3)「スターライト・シャワー」に収められた「ピアリッツ・バカンス」も浮世離れした世界だったが、あそこまでぶっ飛んでいると、もはやおとぎ話の世界に突入する。しかし、この歌の描く優雅な都会生活は「近いけど遠い」存在で、その距離感を埋めがたいと思うかどうかだ。
※4)薬師丸ひろ子主演「セーラー服と機関銃」の主題歌。導入部の響きのきらめきが、聴く者を現実から一気に歌の世界に引き込んでくれる。薬師丸ひろ子は今こそいいおばさんになったが、当時の神秘的な佇まいは他の追随を許さなかった。だが、いいおばさんになっても魅力的だと僕は感じる。というか、同世代というものは、年をとったからと言って、「老いてしまった」とまでは感じないものなのだ。勝手なもので、自分より上の世代は「老いたな」と感じるし、下の世代は「若い(青い)な」と感じる。そして、自分の世代はというと「年くっても、あんまし変わんねーな」と感じる。だから、かつてのアイドルは、今でもそれなりにアイドルでいてくれる。もちろん、「それなりに」、という条件はつく。でも、その「それなりに」、という感覚は決して不愉快ではなく、そうであることは幸せなことなのだろうとも思う。吉永小百合が、彼女らの世代にとって「年を重ねても」永遠の美女であるという感覚を、ようやく受け入れられる年齢に僕も到達している。
ただし、「あんまし変わんねー」からと言って、「若い」わけでは決してない。年はやっぱり確実に食っているのだから。そこんとこは僕は誤解したくない。
※5)男のやせ我慢は、やせ我慢ができる男同士から見れば、たまらなくいじらしく、かっこいい。たとえ負け犬と言われても。僕の大好きなやせ我慢の歌がある。
「鉄砲玉」作詞:阿木燿子、作曲;宇崎竜童、編曲・演奏:ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの布陣。
軽快な曲にのって語られるのは、惚れた女のために、惚れた女は他の男と駆け落ちするというのに、やせ我慢して、かっこつけて、最後まで女の兄貴分を気取って、無償の愛を注いじまった男の歌だ。
最後まで笑顔で通す、始末が終わった後で、舌打ちの一つもして、「こんちくしょう!」と呟くのだろうか。
僕は、この歌が、大好きだ。


鉄砲玉
「DOWNTOWN BOOGIE WOOGIE BAND Singles 東芝EMI(株) TOCT-24110-11 封入ジャケット集より」
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://kosumosunikimito.blog9.fc2.com/tb.php/81-8079c77c

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

コスモスに君と

Author:コスモスに君と
FC2ブログへようこそ!

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード