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日米安保とマジンガー 桜多吾作がクソガキの心に刻んだもの 前篇

桜多吾作「マジンガーZ」最終巻


今年、「マジンガーZ」と「デビルマン」が、昭和47年(1972)の発表から数えて生誕40周年を迎えた。
この2作品は、単に漫画家永井豪の代表作というだけにはとどまらない。
「デビルマン」の原作版は、人間の根底にある排他性と残虐性を白日の下にさらけだした傑作であり、その作品生命は恐らく永遠と言っても過言ではない。例え少数であろうとも、これからの時代々々に新たな世代の読者を獲得する物語だろう。
アニメ版も子供番組のある種、許容範囲を超えた暴力性を、荒々しい描写で映像化しており、そのアニメ史上、最も壮大な空間を醸成する主題歌とともに、永遠の傑作と称して差し支えあるまい。
他方、「マジンガーZ」が、巨大ロボットに主人公が搭乗して活躍するという物語様式を確立した道標的作品であり、この物語がひいてはガンダムへ、エヴァンゲリオンへと続く道を開いたことは言うまでもない。
また、「マジンガーZ」は複数の漫画家による製作集団(ダイナミックプロ)、東映動画、講談社、ポピー(玩具会社:現バンダイ)、フジテレビ、旭通信社(広告代理店:現アサツー・ディ・ケイ)らによって、雑誌記事とTV本編が連携して派手に子供たちを刺激して、次々と発売される商品に対する購買欲を高める戦略を展開した。
これは今でいうマルチメディア:複数媒体が連携して商品展開を行う商法の先駆けとなった。
「マジンガーZ」の商業的な大成功が「ゲッターロボ」の企画成立をもたらし、この作品が「合体ロボット」という新たな商品分野を確立した。
そして、更には劇場版「マジンガーZ対デビルマン」で、番組(つまりはTV局と広告代理店)枠を超えて主役が競演するという、劇場版のみに許される特殊性を売りにした様式を初っ端から生み出した。
この主役の競演という特殊性は、東映まんがまつりにおける主役を確保するだけでなく、関連作品が常に子供たちの話題の中心に居続けるための求心力を生み出した。
「マジンガーZ」の当時の子供(クソガキ男子)文化への影響は、「仮面ライダー」「ウルトラマン」などとともに非常に大きく、特に「マジンガーZ」は人気が上昇してからは、やること成すこと、全てが大成功であったといっても過言ではない。それだけではなく、ロボット物に関するあらゆる様式を全て確立した、やりつくしたと言ってもいいくらいの存在だった。
ロボットの性能強化、敵対組織内部の争いや交代劇、支援ロボットの存在、そして主役ロボットの交代、他の番組ロボットとの競演等々、後続のロボットアニメは、例えそれがガンダムだろうと、マジンガーZが作り上げた様式を原則、踏襲しているのだ。

さて、私事になるが、そんな偉大なるマジンガーZの人気絶頂時代を、子供の頃の僕は存分に味わうことはできなかった。
昭和47年(1972年)は、昭和40年生まれの僕にとっては小学校1年生の時期に相当する。
その前年には「帰ってきたウルトラマン」「スペクトルマン」「仮面ライダー」が始まっており、子供向け特撮・アニメ番組の全盛期を迎えようとしていたし、テレビ番組についての僕の記憶もしっかり残るようになった頃合いだ。
どういうわけか、「デビルマン」は第一話から見ることができた。あの主題歌を観た時の衝撃は忘れられないし、残虐さと諧謔さが同居する、荒々しい永井―東映動画の世界もまた、衝撃的だった。当時、感じたぞくぞくするような刺激は、今も思い出せる。
ところが、「マジンガーZ」となると、気がついたら始まっている番組だった。不思議なことに、主題歌と副主題歌の映像は何度も観た記憶があるのに、本編の記憶がほとんどない。他の番組ではそんなことはなく、「デビルマン」は本編の内容も鮮明に記憶に残っている(それぐらい、激しさと怖さを感じたのだ)。
玩具として一世を風靡した、ジャンボマシンダーにも超合金にも縁がなかった。
マジンガークラブ(テレビマガジンが企画したファンクラブ)も入会しなかったし(できなかったし)、かの伝説的な劇場版も、一度として劇場で観ることはなかった。
僕にとって、マジンガー作品は雑誌で楽しむ作品だったのだ。
しかも、友達の雑誌を借りて。
多くは語らないが、経済的な問題ではなく、親の教育方針のために生じた現象であった。
買ってやれよ、テレビマガジンくらい(※1)。
見せてやれよ、東映まんがまつりくらい(※2)。
せめて超合金かジャンボマシンダーの片割れだけでいいから、買ったれよ。
その時分の心残りが尾を引いてアニメにどっぷりはまってしまった結果、この年になって、まだこんな文章書いているわけだよ。

雑誌には目を通せたので、その時々のマジンガーを巡る情勢は把握できていた。しかし、雑誌以外にはマジンガーの映像も玩具も接する機会が少なかったので、雑誌に関する記憶だけが強くなっていった。
そんな中、僕の中でマジンガーと言えば、この人、桜多吾作(おうた・ごさく)ということになっている。
桜多吾作は永井豪が主宰するダイナミックプロに所属した漫画家である。彼の手になるマジンガー作品は、「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「グレンダイザー」と三部作を形成するのだが、TV版の最低限の物語を踏襲しつつ、彼独自の作劇、世界観で展開された。
彼の手によるマジンガー作品は、子供向け漫画化の領域を超えてしまい、物語の舞台に現実社会を投影してしまった。
また、桜多吾作版マジンガーは、TV版よりも遥かに、登場人物に人間の生々しさが感じられた。その生々しさゆえに、桜多吾作版の兜甲児、剣鉄也、デューク・フリードは、今に到るも忘れられない「人間」として、僕の記憶に住み着いている。
僕は、この一連のマジンガー作品について、触れずにはいられない。

さて、桜多について語る際、避けて通れないのがダイナミックプロという会社の在り方と、「冒険王」という月刊誌の存在である。
それでは先ず、ダイナミックプロについてから語ろう・・・・と思うのだが、僕の言いたいことは既にウィキペディアに簡潔にまとめられている。
ウィキペディア:永井豪
2010年代の現在においてすら、通常、漫画家と○○プロと併記された場合、○○プロとは、その漫画家個人のための会社である。所属する作画協力者たち(アシスタント)も、どこまでも補助的な立場にとどまる。
漫画家はプロ野球選手同様、個人業主として扱われる。収入については、会社組織として処理しないと、売り上げにもよるだろうが、課税額が相当に変わるらしい。
要するに、あくまで税金対策のための会社なのだ。
例えば本宮ひろし(※3)は多数の漫画家を育てた。車田正美、江川達也、高橋よしひろ、金井たつお、荻野真など、錚々たる面々が揃っている。しかし、彼らはあくまで本宮の下では弟子のような存在であり、決して対等ではなかったろう。本宮と彼ら漫画家たちとの間には古典的な徒弟制度の香りが漂っているし、独り立ちしたら本宮の下を離れて自立するのが普通だ。言わばのれん分けのようなものか。
だが、ダイナミックプロは違った。
ウィキペディアにあるように、所属する社員の中で、有能と思われる漫画家がいれば、作品を発表して収入をあげられるように、会社として取り組んだ存在だった。
つまり、「うちで一番の売り上げがあるのは永井豪ですが、他にもこんな漫画家がいます。一度、使ってみてもらえませんか? この漫画家の作品もけっこう売れると思うんですよ」と売り込んでいったのだろう。例えて言えば、多数の芸能人を抱える芸能プロダクションのごとき在り方をしていたとも言える。
所属する漫画家は自立できる立場になっても、ダイナミックプロに所属したまま、連載を続けた者も多いようだ(独立した者もいるだろうが)。
ダイナミックプロの設立は昭和43年(1968年)である。そんな漫画プロダクションを、今に到るも僕は他に知らない。
このダイナミックプロがあったからこそ、石川賢や桜多吾作といった作家が世に出たと言っても、差し支えない。ダイナミックプロがあったからこそ、石川はゲッターロボと、桜多はマジンガーと巡り逢えたのだから(※4)。
ダイナミックプロは、「マジンガーZ」以後のアニメ作品の企画に、原作者として永井豪以外の漫画家も加われるように配慮した。「ゲッターロボ」の原作に石川賢を永井とともに配した。この巡り合わせが、あの凄まじい漫画版を世に出さしめた。
「鋼鉄ジーグ」では安田達也が原作の役割を担った。
更に後年、桜多吾作もアニメ「グロイザーX」の原作・企画を担当している。
グロイザーXDVDボックス



昨今、漫画家と出版社との間の様々な対立を耳にするが、基本的に漫画家(個人業主≒零細企業)と出版社(中小企業~大企業)(※5)の対立という構図になっている。それを漫画家集団になることによって、漫画家の立場を零細企業規模から中小企業規模の立場へと強化し、出版社、ひいてはTV局や広告代理店、アニメ制作会社との交渉を有利にしたのがダイナミックプロであると考えられる。
これは、今もって、画期的である。
しかもだ。
ダイナミックプロの中では、恐らくは永井豪も石川賢も桜多吾作も対等に近かったであろう。桜多の面接記事を読んでも、自分よりも3歳年長の永井のことを「豪ちゃん」と呼びこそすれ、「先生」とは呼んでいない。
彼らの関係は、子弟関係ではなく、会社の同期のそれに近いと思われる。
同期の存在は意外と重要で、仕事を続ける上での意欲を維持してくれる。
仲が悪ければそうもいかないが。
石川賢が晩年まである程度の質を維持した創作活動を続けられたのも、ダイナミックプロという存在があったればこそ、と感じられる。

あるいはまた、所属していた人員が「団塊の世代」であったことが、ダイナミックプロの性格を決定づけたかもしれない。
ダイナミックプロの最盛期に所属した漫画家の多くは、恐らく「団塊の世代(定義にもよるが昭和20年代:1945~1954年生まれ)」であろう。
60年安保闘争、全共闘運動、学生紛争、ひいては市民運動が活発であった時代の空気を吸った、あるいは中心にいた彼らである。それも漫画家集団という、ある意味、それ自体が反体制的な、社会の非主流派に属するような組織を立ち上げたわけである。
中心人物である永井の作風(※6)と相まって、上下関係の厳しい徒弟制度でもない、ましてや官僚的でもない、永井という指導者のもとに結集した同志たち、といった気風があったのかもしれない。例によって、僕の妄想だが。
一方、ダイナミックプロの中心構成員がそうした世代であり、本質的に闘争的であるためだろうか。今回、調べてみると意外に取引先との揉め事が多い。
例えば、「マジンガーZ」は当初、集英社が版権を獲得し、永井豪が週刊少年ジャンプに、桜多吾作が別冊少年ジャンプに漫画を連載していたが、これが途中で中断された。永井は講談社のテレビマガジンに、桜多は秋田書店の冒険王にそれぞれ連載の場を変えることとなっている。背景には永井豪が関わらぬところで、原稿料を巡ってダイナミックプロの渉外担当者と集英社で対立が生じたためらしい(※7)。
ここでジャンプからテレビマガジンに提携先が変わったことが、その後のマジンガーZの快進撃に結びついたのだから、(永井豪は知らなかったことらしいが)「強気で押したもんが勝ちなんじゃ!!」という気運がダイナミックプロ内で高まっちゃった可能性は高いと、僕は思う。
当時の子供番組を巡る、雑誌掲載の版権獲得競争(※8)はけっこう、激しかったようだ。それが更にダイナミックプロをいけいけにしていたと、僕は推測する。
その後も小学館の少年サンデーで連載していたゲッターロボが、急遽、冒険王に移籍したりしたのも、某かの対立が生じたからだろう。
更には今回、初めて目にしたのが、グロイザーXにまつわるウィキペディアの記載である。
「ナック社長の西野聖市によれば、当時永井豪が『マジンガーZ』をめぐって東映を相手に裁判を始め、東映が「一切永井豪の作品をやらない」という話になり、ナックに持ちこまれた企画だったという」
ウィキペディア:グロイザーX
実際、裁判になっていたのかどうかは検索できなかった。それにしても、団塊の世代は、やたらと喧嘩っぱやい。

さて。
残念なことは、永井豪を超える才能がダイナミックプロから出なかったことだろう。
作品の質・量ともに、永井は傑出していたが、あまりに凄すぎて常人では追いかけようにもとても無理な話だった。
唯一、永井にはない独特の魅力を持ちえ、追随できたのが、ただ一人、石川賢であった。
だが、他のダイナミックプロの漫画家たちは、独自の世界を築きつつも、到底、この二人には及ばず、活動の場を表舞台から裏方へと移していった。
また、前述のような武闘派集団であった??ためか、時代の流れのためか、次第にダイナミックプロが関わる番組は減っていった。
東映と袂をわけた後は、円谷プロと組んで「アステカイザー」なる相当に奇天烈なプロレスヒーロー番組に携わったり、「グロイザーX」のナックと組んで「バトルホーク」という着ぐるみの完成度が実に残念な特撮番組に携わったが、昭和52年(1977年)にこれらの番組が終了すると、TVの舞台から彼らは姿を消したのだった。
しかしだ。それでも、彼らの足跡は確実に表舞台に残されている。その中でも特筆すべき程に輝いているのが、桜多吾作のマジンガー作品なのだ。

桜多吾作は昭和23年(1948年)生まれ。
昭和20年(1945年)生まれの永井と同じく、一時、石森プロに所属して石森章太郎の作画協力を行っていた。それが永井の独立とともにダイナミックプロ(1968年設立)に転籍した。
本来、彼は冒険王連載の「デビルマン」を担当するはずであった。ところが旅行に出かけて遊びほうけている内に時間がなくなって、蛭田充が担当することになったという。
蛭田充版デビルマン
永井には相当に怒られたらしいが、当時を振り返る面接記事を読んでも、桜多が反省したらしい形跡はうかがえない。
やがて別冊少年ジャンプ連載版の「マジンガーZ」を桜多が担当することになった。
この時点では、全くもってTV版の内容を逸脱しない、素直な物語展開になっている。
永井版では、顔つきの禍々しく、振る舞いも狂気をまとう科学者として表現されている兜十蔵も、桜多版では温和な風貌であり、常識人として表されている。
永井版で強調された「この力があれば神にも悪魔にもなれる」マジンガーZの両面性も、桜多版では基本的に正義の力としての描写がほとんどだった。
だから、最近、復刻された桜多吾作版「マジンガーZ」は、恐らく新しい世代の読者には、少なくとも第一巻はきつい(つまらない)だろうなと、僕は思う。
歴史的資料として目を通すなら別だが、郷愁を感じるべき世代の僕でも退屈な展開と感じるからだ。唯一、刺激的と言える場面は、海に落ちた船員を機関銃で嬉々として虐殺するアシュラ男爵の描写だろうか?
少なくとも「マジンガーZ」の物語前半では、永井版の方が圧倒的におもしろい。例えば脳の改造手術を受けた鉄仮面が、「自分で考えなくていいから楽だぞう」とニタリと笑う凄みは、永井ならではのものだ。
だが、「マジンガーZ」の連載が秋田書店の冒険王に移籍してしまうのだが、ここから彼の快進撃が始まる。

アニメ音楽と関係がないにも関わらず、この項、続く!!
永井豪版マジンガーZ



※1)小学館の「小学○○生」なら、買ってくれた。でも、振り返ってみれば、つまんなかった。
※2)東宝チャンピオンまつりは1回だけ連れて行ってもらえたな。「ゴジラ対ヘドラ」が看板映画だったな。ヘドラか・・・・。気の滅入る映画だったとしか覚えてないな。
※3)本宮は作品が「面白いかどうか」よりも、「売れるかどうか(収益があげられるか否か)」を最優先して、製作を行っていると聞く。彼の下には、将来、漫画家として独り立ちを目指す者もいれば、作画補助の専門家に徹する者もいた。本宮は、前者にはその成長の具合をみてから、有望とみれば出版社に紹介して独立の手助けをした。それだけでなく、後者であっても、その道の専門家として評価し、高額所得(年収2千万)を確保できるように、本宮プロの仕事量、収益を維持することを目指しているらしい。また、彼の作品を管理する会社を立ち上げ、その社長に採用した人物に「今後、お前の月給は一生、○○万円で固定する。その代わり、お前が工夫して得た収入は全部お前のものだ」と指示している。そうすることによって、社長がその地位に甘んじることなく、意欲を持って仕事をするように仕向けたわけだ。つまり、彼の感覚は、漫画家というよりも経営者なのだ。
※4)石川や桜多はマジンガー作品やゲッターロボ作品に登場する、個性的な敵ロボットの造形も自ら手掛けていた。
※5)日本最大手の出版社である集英社で資本金1億80万円(なんだ、この中途半端な80万円てのは)、従業員数795人とウィキペディアにある。
ウィキペディア:集英社
他方、中小企業の定義の一つに「資本金又は出資の総額が3億円以下の会社並びに常時使用する従業員の数が300人以下の会社及び個人」というのがある。集英社規模の出版社は中小企業と大企業の中間くらいに位置するということだろうか?
※6)僕たちの世代には常識だが、永井豪が「ハレンチ学園」をPTAに糾弾されたことに対し、その報復?としてマンガ本編で主人公たちとPTAが戦争を始め、陰惨な結末を迎えさせた。あるいはまた、「バイオレンスジャック」初期作品では、子供を人質にして盾にしたやくざの首を、人質の子供の首もろともジャックが切り落とす場面など、生半可な人権主義など、蹴散らしてしまうような作家なのだ。
※7)前述のウィキペディア:マジンガーZの項参照

※8)子供の頃、小学館の雑誌にはウルトラマン関連の記事が多数掲載されていた。ところが、あれだけ人気なのに仮面ライダーもマジンガーZも掲載されていない。キカイダーは載っていたな。他方、テレビマガジンやテレビランドにはウルトラマン系列は掲載されず、マジンガーやライダーがてんこ盛り状態だった。いわゆる、版権というものがあることを後年知った時、「そうだったのか!!」と呟いたものだった。
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