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日米安保とマジンガー4  それは兜甲児の記憶をつないだ物語

双葉社版グレートマジンガー裏表紙1,2

(承前)
選挙も終わり、年も改まったというのに、題名の「日米安保」どーたらになかなか行き着かない。とはいえ、今しばらくお付き合いを。
さて、今回、作家・漫画家としての桜多吾作の魅力について語ってみよう。

桜多吾作は物語の構成が抜群にうまい。
今回、改めてマジンガー3部作に目を通して思ったことだ。
人物造形、性格設定がしっかりしている。登場人物の人となりを、作家が十分に理解している。だから、物語の展開、登場人物の行動に破綻が感じられず、流れるようにたたみかけるように筋が進んでいく。逸話を一つ一つ積み重ねながら、大きな物語が渦のように展開する。
桜多は漫画の歴史の中で埋もれた存在となっているが、物語を構築する彼の技量は、少年漫画界の中では最も優れた位置にいるのではないだろうか。
と言いつつも、先にも述べたように、復刊された「マジンガーZ」上巻については、郷愁がない方には勧められない。小学校中学年くらいまでが対象の作品づくりになっており、1970年代当時の水準を考えると、今の読者には面白味があるまい。僕自身も上巻は読んでいて「・・・イマイチ?」と感じたものだ。
しかし、中巻になってエンジンがかかり始めると、桜多独自の語りが出てきて、俄然、面白くなってくる。これが下巻となると絶品だ。
グレート篇などは改めて読み返してみて、味わい深すぎて、惚れ直してしまったほどだ。現時点では絶版だが、心よりグレート篇の復刊を望みたい。これこそ、新たな読者につなぎたい作品だから。

桜多の作家としての構成力が顕著になったのが、マジンガー篇復刻版下巻に収録されている「R1計画の秘密」だ。
これは128頁を費やされており、当時としては大作だ(※1)。桜多が初めて大掛かりなSF的な舞台設定を施した作品である。
R1計画とは、地球の自転を反転させるという破天荒な作戦だ(※2)。この計画が実行されれば、地上に壊滅的な被害がもたらされる。この計画を盾にして、あしゅら男爵が世界各国を脅迫するというのがこの挿話の骨子になっている。
この本筋に加えて、あしゅら男爵のDrヘルに対する造反劇、新幹部ゴーゴン大公の登場、そして前回に触れた兜甲児の高校留年、精神的葛藤の挿話も交え、物語は大きなうねりを醸しながら、一編の映画に匹敵する展開を見せている。

また、桜多の作家としての着眼点は、当時としても独特であり、鋭い。その見本が単行本用に描き下ろされた(※3)「闘え!! Drヘル」であり、知る人ぞ知る怪作だ。
これは敵の首領であるDrヘルの半生記を描いた挿話である。Drヘルの生い立ち、トラウマから、自らの軍団を築きあげるまでの経緯が語られている。
1970年代は変化球を好む漫画家が多かったとはいえ、敵の首領の半生記を描こうなどという発想は、やはり桜多独特と言ってよいだろう。
普通なら、狂信的科学者の半生記なんて面白いか?と考えるだろう。目つきの悪いじいさんが主役なのである。この逸話がなくても、特に物語の進行には何の支障もないのである。
それでも描いてしまうのが桜多吾作の桜多吾作たる所以である。そして、それがまた小学生をして「おもろいやんけ」と思わしめる語りの上手さがあるのだ。ナチスドイツも絡めていく語り口は上手い!の一言である。逆にこの逸話があるからこそ、最終話におけるDrヘルとブロッケン伯爵の決別の場面が一層、生きてくるのであり、ここにも桜多の構成力の見事さを感じている。

さて、マジンガー篇で培われた桜多の演出力は、グレート篇で最高潮に達する。
この第一話は、ある意味、「続篇物」としての最高傑作だと思う。
冒頭は次の語りから始まる。
地球 その生み出せし生命に 限りなきやさしさと うるおいをあたえ はぐくみ
また あるときは 極限のきびしさ 試練をあたえたもう
わがおおいなる 宇宙船・・・地球
そしてその みずから作りし 生物・・・人間のために
すでになやめる姿を よぎなくされた今も
かずかずの文明と かわることなき なぞにみち
神秘のベールにつつまれ ひっそりと息づく 巨大なる大地
その・・・ 地下深く 数千年のあいだ 人間にしられることなく 生き続けた
ある一族があった・・・・・

荘厳な世界観、熾烈な戦いの扉が開こうという予感に満ちた、はったり十分の素晴らしい語りではないか。
何か、これまでのマジンガーZとは違う雰囲気だな、何かただ事ではなさそうだなと、当時のクソガキは思わせるだけの力がみなぎっている。今度の戦いは人類全体を巻き込む戦いと宣言しているのだ。
導入の語りの後は、いきなりグレートマジンガーが登場し、訓練の場面が描かれる。
訓練から、というのが、剣たちが戦闘の専門家であることを印象付ける。同時にさりげなくマジンガーZとの性能差も描写されていく。
訓練中のやり取りにも、桜多の「計算」が感じ取れる。
剣鉄也「高度5万」「おひょ お月様もぜんぜん近く見えま~す」
炎ジュン「うそつけ」「空気がないんだもの 地上より小さく見えるはずよ」
剣鉄也「女ってのは人がいい気分になっているとすぐ現実にひきもどす」「夢がねーなあ」

このやり取りだけで、会話する二人が科学知識に精通していること、それだけでなく厳しい訓練の中でも状況を楽しむ余裕があるくらい優秀な操縦士、戦士であることが言外に語られている。
‐明らかに兜甲児とは戦士としての技量が違う。
そう思わせるだけの説得力を感じさせるのだ。
この後も第一話で、桜多は再々、「今度の敵はDrヘルのような誇大妄想の一科学者とは違う」、地上人とミケーネ人の生存権をかけた戦いなのだという台詞を登場人物に語らせている。それだけで緊迫感が増し、最後の場面で描かれる剣鉄也の非情さまでも、読者に受け入れさせる効果をもたらしている。

この第一話では、科学要塞研究所の位置を突き止めようとするミケーネ軍の追跡、謀略、また戦闘獣との悪戦苦闘が描かれていく。今からみれば素朴な部分はあるとしても、要所々々でハッとする場面が用意されており、飽きさせない。

「マジンガーZ対暗黒大将軍」では複数の戦闘獣をサンダーブレークで一撃に倒し、歴史的な語り草になるほど衝撃的な初登場を演じたグレートマジンガーだが、第一話では相当に苦戦する結果となった(※4)。
まだまだ鍛錬が足りないと怒った兜剣蔵は、第二話では鉄也に自衛隊特殊部隊の訓練に参加させるのである。
この第二話の導入の語り口も巧みである。いきなり、「剣鉄也が死んだ」という展開から話が始まるのだ。第二話にして、主人公、いきなり死亡!! いったい何が起こったのか!? この場面での炎ジュンの演技が、芯が通っていて素晴らしい。一気に引き込まれる。
この挿話では、現実の日本社会の構造、日米安保体制まで踏まえた、ミケーネ帝国の日本攻略の戦略が示されている。そして、ミケーネ帝国の周到な作戦は、人類に築かれることなく、さりげなく進行しているという怖さも描かれており、秀逸な挿話だった。桜多の世界観の構築の上手さを感じさせる。

グレート篇は双葉社版の単行本でわずか4巻程度の尺の中に、語りつくせないほどの多くの要素が詰め込まれた物語だ。特に主人公である剣鉄也たちが、日本国家から追われる立場になる後半の展開は、今の視点からみても読みごたえがある。
グレート篇が復刊された暁には、是非とも実際に読んでみてほしいと思う。
双葉社版グレートマジンガー裏拍子3,4

次に、桜多の画風について触れたい。
彼の人物造形や描線は、基本的に1970年代の水準から大きく飛びぬけてはいない。
兜甲児も剣鉄也も、太眉毛でまなじりのあがった、熱血少年漫画の系譜上にある。
今となっては古風と言わなければならないだろうか。
しかし、桜多の描線は実に絵心に溢れ、登場人物の表情も豊かだ。
男女ともにうっすらと、当時の少年漫画に欠けやすかった、程のよい色香も漂わせている。
石森章太郎の作画補助を経験したからだろうか、振り返ってみれば、桜多の描線にはどことなく少女漫画的な面影を感じるのだ。
少年漫画的な硬さと、少女漫画的な柔らかさ。これが程よく絡み合った描線なのだ。
安彦良和の描線に相通ずるものを僕は感じている。

また、表情の誇張も実にうまい。劇画的な表情と漫画的な表情の使い分けが巧みなのだ。
今の時代、桜多よりも素描(デッサン)の上手い描き手はいくらでもいるだろう。だが、桜多の描く人物は実に生き生きしている。
決して凄い描写力があるわけでもなさそうなのに(※5)、つい読ませてしまう。
歌手で言えば、僕のひいきの宇崎竜童のような存在だろうか。
人によっては「下手」と言ったりするのだが、つい聴かせてしまう歌唱力。
相通ずるものを、桜多の描線に僕は感じるのだ。

そんな桜多の描く人間像は、実に泥臭く、しかし実に愛らしく、そして実に生々しいのだ。
彼らの表情、言動、行動。
僕は当然ながら傍観者でしかないのだが、彼らを見ていると、創作上の存在を超えた肉声と肌の温もりが感じられるようにすら思えるのだ。

漫画版の気楽さからか、桜多の手による兜甲児と剣鉄也は、素直に男らしく助平だ。
1970年代の小学生対象の漫画でありながら、桜多ときたら、かなり際どい男女の描写をこそっと挿し込んだりしている。大人になってから読むと、「桜多の助平!!」と笑いたくなってしまう。
中巻に収録された「暗黒大陸のマジンガーZ」の一場面で、女性のゲリラ戦士に襲われた兜甲児が彼女を取り押さえようとした時、
‐う・・・・女くせえ~
と呟く描写がある。子供心にもドキッとしたことを覚えている。
何がどう、女くさかったのか? それについての余分な描写は一切ないが、そうした台詞一つで男女というものを示してくるのである。
だが、その描写に大人になって接すると、より一層、登場人物たちに実在感を覚えてしまっている。
下巻収録の「ダモス∑9とメドルーサエゼン」での正気を失くした兜甲児の振る舞いときたら・・・「やっちゃいかんが、気持ちはわかる」とだけ言っておこう。

桜多版の剣鉄也について少し。
TV版の剣鉄也は、太眉毛で眼の半分に影がはいっており、目つきはあまりにいかつい。髪型を変えればデューク東郷(ゴルゴ13)ですと紹介されても、何の違和感もないほどだ。加えて声の担当が渋すぎる野田圭一とくれば、黙って後ろに立とうものなら、手刀が飛んできそうである。
だが、桜多版の剣鉄也は違う。
泥臭く、しかし愛嬌があって、非情に振る舞おうとするくせ、寂しがり屋なのだ。
ここでの剣鉄也は、活きのいいアンちゃんという性格だ。時には自称を「あたい」と呼んだりと、デューク東郷とは1億光年くらい隔たりのある性格をしている。
喜怒哀楽を隠さず、また、決して万能でもない。大企業の社長の用心棒に戦いを挑んで、「こいつはつええや・・・」と呻きながら袋叩きにあったりもする。
剣鉄也の強さも弱さも、等しく描き出す。彼の人間としての魅力を、桜多は十全に描き出した。
そんな剣鉄也だからこそ、終盤での彼の孤独や、大切な人を次々と失った時の決意が痛々しいのだ。

他方、兜剣造の人物設定についても触れよう。
彼は兜甲児の実父であるが、死んだことして身を隠していた。父親・兜十蔵がマジンガーZを開発、建造したが、剣造はこっそりと、父にも息子にも隠れてマジンガーZを凌駕するグレートマジンガーを建造していたのだ。
そのグレートマジンガーの操縦士には、孤児の剣鉄也を鍛錬していた。
なぜ、甲児ではなく、鉄也だったのか。実はそこら辺の事情はTV版でも桜多版でも語られていない。しかし、深読みすると、剣造の本音が垣間見えてくるかもしれない。
桜多吾作はそんな兜剣造を、実に小憎たらしくも情の厚いガンコ親父として描いている。鉄也やジュンを怒鳴りつける一方で二人の心配をし、時にはがさつな生き方を反面教師のように見せてみせたり、俗っぽい欲も隠さない。
だが、最後には鉄也の、血のつながりはなくとも大事に育てた我が子のために命を投げ出している。桜多は「一見厳しく、暴力的に見えながら、それでも子供の成長に一喜一憂し、自らを犠牲にすることも厭わない」梶原一騎的な父親として。剣造を描いているのだ。
そのあまりにありきたりな人間臭さが、今の僕には愛しくさえ思える(※6)。

もう一つ、桜多吾作の語りの魅力は、個々の物語がきちんとつなげて、一つの歴史、叙事詩としていることだ。
TV版ではZはZ、グレートはグレーと物語的なつながりはあまり強くなかったそうだ。
グレンダイザーともなると、兜甲児が副主人公として搭乗したり、劇場版でグレートが登場したりはするものの、原則的に前2作とは独立した物語となっていた。
だが、桜多は個々の物語を一連の流れで語ることを怠らなかった。
その世界に生きた人々の記憶、こだわりを継承し続けたのだ。
双葉社版グレンダイザー1,2

桜多版グレンダイザーでは、TV版では無視されていたミケーネ帝国が再登場する。グレンダイザーと共同してベガ星軍団と戦いを繰り広げている。桜多版ではグレンダイザーという物語が、グレートマジンガーからの時間の流れを引き継いでいるのだ。
当然ながら、兜甲児はミケーネに対する怒りと憎しみを隠せない。
デューク・フリードは甲児を冷静になだめるが、それは彼が先の戦いでは部外者だったからだ。
しかし、甲児は違う。甲児とミケーネの間には、殺し合いを演じた記憶が風化することなく、まだ生々しく残っていた。それくらいの短い時間しかたっていないのだ。
桜多のこうした登場人物の過去の記憶を尊重する姿勢が、僕は好きだ。
兜甲児はただ一人、3部作全てに登場(参戦)しているのだが、彼がマジンガーZに搭乗して戦った勇者であること、格闘技の修練も積んでいること、失った人々への想いをずっと忘れない青年であることを、桜多はさりげなく語ってくれている。
それは、兜甲児を漫画の登場人物という「記号」としてではなく、生きている「人間」として扱おうという桜多のこだわりなのだろう。
TV版グレンダイザーでは、兜甲児はデューク・フリードを引き立てるための道化を演じている(※7)。TV版ではデューク・フリードは甲児を「甲児君」と呼び、甲児は彼を「大介さん」と呼んでいた。明らかに甲児が格下扱いである。
だが、桜多は甲児に「俺だってマジンガーZで戦った勇者様だ」と自己顕示させるとともに、格闘能力でも決してデューク・フリードに劣らないことを示している。
TVでは様々な事情でないがしろにされる「登場人物の過去の業績」を桜多は無視せず、例え主人公の座から降りても、兜甲児は兜甲児なのだと宣言しているのだ(※8)。
TV版では登場しなかった弓さやかは、桜多版ではグレンダイザーに再登場したばかりか、物語後半の中心的役割まで演じている。
再登場時の顔で笑って心で角を尖らせるさやかの人物描写も愛らしいし(※9)、物語終盤の人類の滅びを目前にした時のさやかの姿は、まるでイムホフ・カーシャの嘆きの場面が被さるかのごとくであった。

登場人物を使い捨てにしない、桜多の創作の姿勢を、僕はこだわりを持って支持したい。

さて、次回は、意外なことにも、マジンガー3部作の世界観が富野作品に色濃く投影されていることについて触れたいと思う。

※1)今時、128頁程度で大作というと叱られそうだ。だが、今なら単行本5巻程度かけそうな逸話を、一定の尺(頁数)の中でまとめきる技量を再評価してほしいと僕は思う。
※2)昭和37年(1962年)公開された東宝映画「妖星ゴラス」を参考にしたと桜多も語っている。映画公開時、桜多は中学生くらいである。観たのだろうか? 感激しちゃったのだろうか?
※3)初めて単行本化された秋田書店サンデーコミックスの第6巻に収録された。この単行本はボロボロになるまで読んだことを思い出す。たぶん、冒険王連載分だけでは頁が足りなくなったので、何か書き下ろして欲しいと編集部に依頼されたのだろう。しかし、その頁をDrヘルの半生記で埋めてしまうところが、桜多の偏屈というか、へそ曲がりっぷりというか、最高に素晴らしいところかもしれない。
※4)そうなのだ。桜多版に限らないのだが、グレートの登場はあまりに華々しすぎたのだ。初戦での強さがあまりに凄すぎた。サンダーブレークさえあれば無敵じゃん・・・と普通は思うわな。しかし、それでは物語に緊迫感が得られないからと、グレートにはやたらとみみっちい弱点が設定された。深海では弱いとか。なんでやねん、マジンガーZよりボロクソ強いはずやのに、そんな弱点ありえへん、とクソガキどもが突っ込んだのは言うまでもない。後年、口の悪いアニメ雑誌「OUT」でも、「しょーもない弱点だらけ」と笑いのネタにされる始末であった。
※5)と言いながら、細密なギルギルガンの描写をしたりするのだから、実は相当、うまい人なのだと思う。それとも、作画補助者が描いたのだろうか?
※6)兜剣造の年齢設定は40代後半くらいだろうか。今の僕の年齢くらいなのだろう。
※7)詳細は忘れてしまったが、アニメ雑誌の兜甲児を追想する記事があり、兜甲児の支持者がグレンダイザーの感想を求められた折、「グレンダイザーの兜君は、兜君ではないの(マジンガーZの兜甲児とは別人という意味)」と答えてたのを思い出す。実際、別人だと僕も思う。
※8)これでかつての戦闘服でマジンガーZに乗ってグレンダイザーで活躍してくれれば最高なのだが、流石にそこまでは桜多吾作もやらかしてはいない。無念。
※9)物語の時間軸では20代にはいっていたのだろうか、グレンダイザーでの兜甲児は色気づいて実に助平であった。そんな甲児に対するさやかのやきもち(嫉妬)の桜多の描写がなかなかに凄みがあって好きだ。
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