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[C62]

桜多版マジンガーシリーズに自衛隊が出てたという話は聞いてましたが、そこまで危ない描写があったとは!子供向け作品という建前で実は大人向けに描いてたのかもしれませんね。機会があったら読んでみます。ちなみに、ゲームのスパロボシリーズに、桜多版を原典とする量産型グレートマジンガーが登場するんですよ。

引き合いに出されたウルトラセブンですが、こちらもやはり表面上は子供向け作品ながら、大人にならないと理解できないようなメッセージがたくさん込められてましたね。今あらためて見ても名作だと思います。
  • 2016-06-10 03:37
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[C67] 管理人です

いつもコメントいただき、ありがとうございます。
子供の頃は気にしませんでしたが、年を取って、周囲が見えるようになるとわかってきました。
残念ながら「Gマジンガー」と「グレンダイザー」の復刊は、今のところないようですね。電子書籍ででも復刊してほしいですね。

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日米安保とマジンガー 最終回 僕と日米安保



(承前)
さて、最後となったが、日米安保とマジンガーについて。
アニメ愛好家にとってはつまらない話になるかもしれないが、日本人として、避けては通れないことだから、語ります。

桜多は「マジンガーZ」の初期から、繰り返し自衛隊を登場させている。
しかも、極自然に。
自衛隊は往年のTVアニメは「国防軍」などと呼称を変えて登場するのが通常だった。
たとえ登場しても、「国防軍」はあくまで主役の引き立て役にとどまり、ただ強力な敵に破壊されるだけの存在だった。ましてや主人公と深く関わりあうこともなかった。
自衛隊を「国防軍」と呼び、あくまでやられ役としてしか登場しない‐ここに日本の軍備や防衛に関する、屈折した状況があることは語るまでもないと思う。

今でこそ大幅に状況が変わったが、社会の左翼的風潮が強かった時代、自衛隊は「鬼子」扱いだった。鬼子扱いとは、異端者と見なしてつらく当たることで、実際にその通りだった(※0)。
平和憲法とも呼ばれる日本国憲法第9条を保持する国として、自衛隊の存在はあたかも国家の恥であるかのごとく扱われもした。

第9条の条文は以下の通りである。
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

敗戦そのものの衝撃と米国占領に伴う国家理念の180度の方向転換は、大勢の人々に政治に対する態度の急激な変容をもたらした。
その結果、多くの国民が、雰囲気として戦争を嫌う、軍隊を嫌う状況となった。
米国も一度は日本の軍備を徹底的に壊滅する方針だった。経済も破壊して、貧しい国としてのみ存在を許すつもりだった。
ところが共産圏の亜細亜地域における勢力拡大、中国の共産化、中国の支援を受けて北朝鮮が朝鮮戦争を開始するなど、国際情勢の変化を受け、米国は方針を変えた。ソ連・中国の共産圏の勢力が太平洋を超えないよう、米国は日本に防波堤として再軍備を促した。
その結果、警察予備隊という組織を経て、自衛隊が誕生したわけである。戦争を支援させるために、経済も復興させた。

しかし、一度は軍備を放棄する思想を受け入れた日本国民側に、自衛隊の誕生を拒絶する空気が生まれた。更にこれに加えて、独立後も間接的に続く米国支配の根幹である日米安保条約(地位協定)の問題と絡み合い、1960年には安保闘争という社会的な激しい抗議活動が繰り広げられた。
この安保闘争という社会的な嵐が吹きすぎた後も、積極的にしろ消極的にしろ、戦争反対、自衛隊反対の意見が日本国民の恐らくは過半数を占める時代が続いた。

米国に敗北し、占領支配を受けたという屈辱。
今もなお、歴史的に「敗戦国」であるという認識。
様々な劣等感がない交ぜになり、日本の大衆は軍隊に、自衛隊に拒絶反応を示す時代が続いたのだ。

さて、そんな軍隊や自衛隊を戦後、子供向けの作品はどのように描いたのだろうか。
人間の性というか、やはり昔も今もクソガキは戦いが好きで、昭和30年代の少年漫画界では、太平洋戦争(※1)中の日本軍の部隊を主人公とした戦記漫画が人気を博していた。
名を残している作品としては、辻なおき著「0戦はやと」(※2)、ちばてつや著「紫電改のタカ」などがある。
しかし、昭和30年代とは、社会的には前述の通り、60年安保闘争などがあった時代でもある。戦記漫画人気は「あかつき戦闘隊事件」などの社会的批判も受けながら、次第に下火になっていったようだ。
復刻された戦記漫画の一覧
戦記マンガ名作選
⇒戦記漫画を簡明に紹介しており、同時に社会的批判を受けた「あかつき戦闘隊事件」についても触れており、読みやすい。



他方、そうでありながら、昭和30年代、映画の中では自衛隊は大活躍していた。
言わずと知れた東宝怪獣映画群である。
軍隊帰りの本多猪四郎と円谷英二を中心とする監督たちは、出現する怪獣たちを向こうに回して自衛隊が大活躍する物語を展開した。その特殊な装備を駆使する自衛隊は「東宝自衛隊」の愛称とともに、僕らより10年くらい年長の親父世代に熱い記憶を残している(※3)。
しかし、昭和40年代になると、戦記物も影が薄くなり、しかも東宝怪獣映画が次第に元気を失くしていったりして、自衛隊の影は薄くなっていった。
昭和39年に開催された東京オリンピックの成功もあって、昭和40年代前半、子供たちの世界を席巻したのは梶原一騎作品を中心としたスポ根(スポーツ根性)物だった(※4)。


敗戦から20年の月日が過ぎ、高度成長時代を迎え、経済活動さえ考えればよいという環境下におかれた時代、それが昭和40年代であった。
そうした中で「マジンガーZ」が始まり、「仮面ライダー」とともに、クソガキ男子文化に新たな時代を開いたりした。マジンガーZのTV版では「とにかくスカッとしようぜ!!」のノリに近く、手強そうな敵をやっつける物語を展開していた。
その一方で、漫画版で桜多はさりげなく、自衛隊を物語に再登場させていたのだった。

例えば、あしゅら男爵が移動要塞サルードで洋上作戦を展開する「悪魔の大回転攻撃」(上巻収録)では、マジンガーZが自衛隊の護衛艦(※5)とともに出撃している。
ここで桜多がさりげなく登場させたのが、当時の最新鋭の設備である誘導弾(ミサイル)を搭載した「対空誘導弾搭載護衛艦」あまつかぜである。他の護衛艦も登場しているが、桜多は特にあまつかぜは細部までこだわって描写していることが、写真などと比べてみるとわかる。
艦首の163の船番号、あまつかぜの船名、電子戦用の装備など、桜多はこだわって描いている。


ウィキペディア:自衛艦あまつかぜ
Keyのミリタリーなページより あまつかぜの艦首の「163」の数字がよくわかる。
海上自衛隊横須賀教育隊 あまつかぜ「遺品」プロペラ

護衛艦あまつかぜは、物語の中では大活躍とはいかなかったが、桜多の思い入れを一身に受けていると感じられた。
また、この逸話では、この後も断続的に登場し、(後述するが)「グレート篇」では日本における自衛隊という存在についての自問自答を顕在化したような役回りを演ずる、中年の自衛隊司令官(名前は不詳)が登場している。

次に自衛隊が登場するのは最終話「Drヘルの最後」なのだが、ここでもいつの間にかさりげなく、光子力研究所‐マジンガーZ‐自衛隊という共同戦線が張られていた。自衛隊はあたかも当然のようにマジンガーZと共同作戦を展開するのだが、今にして思えば「最終回まで自衛隊は何をしていたのか!?」と突っ込みたくなる。
しかしながら、子供の頃に読んだ時、一切、違和感はなかった。
「ああ、自衛隊もきてんのね」
その程度だった。深い読みは一切なかった。なんせ、小学校低学年だったのだから。
ここでは兜甲児が「30型国産ロケット発射台のおつな使い方を見たか!!」なんて台詞もあり、子供の頃はそんなもんかと軽く流していたが、今になると「なんて趣味に走っているんだ、桜多吾作・・・」という感想が芽生える場面でもあった。
ウィキペディア:67年式30型ロケット弾発射機

さて、ここで登場しているのは陸上自衛隊である。前回、登場した海上自衛隊の司令官が、今度は陸上自衛隊の司令官として登場しており、思い切り突っ込みたくなるのだが、野暮はやめよう。
ちなみに誘導装置を有するのがミサイルで、有さないのがロケットという解釈があるらしいが、そこら辺も軽く流しておく。
実物の写真は「67式30型ロケット弾発射機」で画像検索をかければ、その道の愛好家の迸るような愛情のこもった画像と記事が多数、確認できたりする。
グーグルにおける「67式30型ロケット弾発射機」画像検索の結果

さて、この最終話では主役ロボであるマジンガーZが、敵の本拠地である地獄島に単独で突入するという展開に進むのだが、そこまでに到る過程で、自衛隊が大活躍する。
細部は実際に読んでいただいた方がよいのだが、(一部の人間にのみ)有名なのが、核地雷と核ミサイルを使用する場面である。
ピグマン子爵と機械獣を核地雷で吹き飛ばし、先の司令官が悦にいって叫ぶ。
「だてにアメ公を30年も駐屯させてんじゃねえ! 核地雷の1個や2個、くすねるのはわけがねえ!!」
流石の兜甲児も呆然と、きのこ雲を見上げる始末。
それだけにとどまらず、ブロッケン伯爵の乗る飛行要塞グールにまで核ミサイルをぶつけて(これは撃墜されるが)破壊しようとするのだ。

それにしても、だ。
核ですよ。
要するに、原子爆弾なんですよ。
それを使うんですよ、被爆国である「日本」の自衛隊が
しかも「日本国内」で
しかも自ら進んで
それも在日米軍からくすねて!!

もう一度、繰り返そう。
「だてにアメ公を30年も駐屯させてんじゃねえ! 核地雷の1個や2個、くすねるのはわけがねえ!!」
子供の頃の僕には理解できない台詞だった。
アメ公って?
駐屯って?
軽く読み流していた。
しかし、今は、桜多がこの一言に忍び込ませた、戦後日本の縮図の重みを実感している。

「在日米軍が日本国内に持ち込んだ核兵器を、自衛隊が米軍に無断で持ち出して、日本国内の実戦に使用してしまう」という、この物語は、相当に危険な要素を含んでいる。
子供向けの巨大ロボットが暴れるような、大人から見れば出鱈目な漫画だから、何のお咎めもなく、軽く流されたのだろう。
だが!
もしも、同じような設定のお話を、映画会社やTV局が作ろうとしたらどうなっていたか。
まず、ただでは済まない。
少なくとも世に出る前にお蔵入りである。
なぜなら、この設定には二重三重の禁忌が含まれているからだ。
第一に、昭和40年代当時、日本国内およびそこにいる在日米軍には、「核兵器はもちこまれていない」というのが、政治的な建前だったからである。

あえて問うが、「非核三原則」という言葉をご存じだろうか?
日本は「核兵器を持たず、作らず、(米軍によって)持ち込ませず」というものである。
ウィキペディア非核三原則
この非核三原則のうち、「(米軍によって)持ち込ませず」については、次のような発言により実際は守られていなかったことが判明している。
1974年10月退役海軍少将のラロック(※6)が、米議会で「核兵器搭載可能な艦船は日本あるいは他の国に寄港する際、核兵器をおろすことはしない」と証言し、更に1981年ライシャワー元駐日大使もこれに賛同する意見を取材陣に述べている。
つまり、米国側から日本への核持ち込みがあると暴露したのだ。
それでも人類史上、世界的にも「唯一の」被爆国である日本が、政府として「日本に核兵器は存在しない」と言い続けることは、多くの意味で大切なことだった。
しかし、1974年のラロック証言を知ってか知らずか、同じ年に桜多は「Drヘルの最後」で核兵器は日本に持ち込まれていたという前提で、物語を構築した。

あるんでしょ、核兵器。
どうせ持ち込んでるよね、米軍は。
悔しいから自衛隊にくすねさせるね。
使わせちゃうよ、核兵器。Drヘル相手だから。

そんなノリで、桜多は「くすねた」核兵器を使用したのだ。

それにしても、自衛隊が在日米軍の、最高機密であるべき核兵器を「くすねる」という状況を、桜多はまあ、図々しくも言葉にしてしまったものだった。
自衛官ならこう言うだろう。
‐そんなことは、天地がひっくり返ってもありえないし、無理だ。
ありえないことがありえる世の中とはいえ、恐らく、自衛隊は在日米軍に「物申す」ことさえ容易ではない上下関係におかれているのではないだろうか。その自衛隊が米軍の意向に逆らうどころか、欺くような行為を語ること自体が、ある意味、禁忌であろう。

そして、くすねた核兵器を、あろうことか日本国内で使用してしまう、その神経の太さ。
前回でも触れたが、多くの日本人にとって、核兵器はこの世の終わりと連結して語られる「べき」兵器であり、それをたとえ対Drヘル軍団とはいえ、「通常の」武器として使用することは、昭和40年代当時は原則、認められないことだったのだ。それをあるまいことか、またしても日本の国内で使ってしまうという!
昭和のずぼらさがここでは良い方向に働いたから、陽の目を見ているが、一歩間違えれば「遊星より愛をこめて(※7)」のごとく、封印作品にされかねなかっただろう。

わずか数頁の展開で、実に過激なことを桜多はしてしまったのだった。
そして、子供たちの潜在意識に残した意義を考えると、桜多の行為は決して小さなものではなかった。
‐米軍は日本に核兵器を持ち込んでいるんだ。
以上の情報を、僕はあくまで一つの情報として脳裏に刻んだ。
批判でも肯定でもない、あくまで一つの事実として。
だから、非核三原則が有名無実であったという認識が広がってきた時代になっても、「今さらですか~?」という感覚が強かったものだった。

そして、「グレート篇」では、自衛隊は悲哀をこめて描かれていくようになる。
以前にも触れたが、第2話で剣鉄也は自衛隊の特殊部隊の訓練に参加するのだが、この部隊はミケーネに乗っ取られていたりする。偽の自衛隊司令官が鉄也を追撃する場面で、「オートガンてのは上下に撃つんだよ!!」といかにもマニアな台詞が出たりする。
この逸話の終盤でグレートともに、本物の自衛隊特殊部隊が共同でミケーネの基地を攻撃する場面があり、ここではまだ「マジンガーZ」最終回のごとく、マジンガー部隊と自衛隊には協力関係が残されていた。

しかし、「ブラックグレート篇」になると、自衛隊の基地が私企業の私欲(量産型グレートの性能誇示のため)のために攻撃を受け、壊滅させられる場面が出てくる。
いくら桜多でも、これはやりすぎ。
こんなことして日本政府が黙っているわけねーだろと突っ込まずにはいられまい。
だが、このやりすぎには、桜多の自衛隊=日本に対する屈折した想いもこめられていたのかもしれない。同じく「ブラックグレート篇」で量産型グレート軍団が科学要塞研究所を行為檄するのを察知した航空自衛隊が、戦闘機をスクランブル発進しようという直前で、発進中止になる場面がある(※7)。
ここで司令は第10雄洋丸事件を引き合いに出して、自衛隊の戦闘力ではグレートには太刀打ちできないとして、出撃を許さないと命じている。
第10雄洋丸事件とは、洋上の衝突事故によって石油搭載タンカーである第10雄洋丸が炎上し、この船の処理として自衛隊による撃沈が決定された。海上自衛隊によって砲撃が加えられたが、撃沈が速やかに行われず、自衛隊の能力が疑問視されたものであった。
この事件については僕も幼いながらに知っており、自衛隊の存在意義すらも問われかねない風潮があったと記憶している。
撃沈が速やかでなかったのは、ある程度、自衛隊の現場では織り込み済みであったようだが、計画が滞っていた側面もあったらしい。
ウィキペディア:第10雄洋丸事件
自衛隊の能力について、桜多が感じていたもどかしさが、このような物語展開に影響していた可能性はありえるだろう。

だが、桜多の自衛隊=日本の主体性に対する問いかけは、「グレート篇」後半で極限に達している。
地獄大元帥の策略によって、日本政府は兜剣造以下、グレートマジンガーも含めて日本より排除し、ミケーネ帝国に差し出す決定をくだした。これを実現するために、自衛隊が出動することになる。
スーパーロボット相手に、自衛隊で排除しようというのである。先の展開とは矛盾するが、ここは目を瞑ろう。
ただ、この自衛隊の攻撃の中で、「マジンガーZ」の頃から登場していたちょび髭の司令官が、己の存在に疑問を感じ、自衛隊司令官の立場を捨て、戦闘中に職場放棄をして、剣鉄也たちの側に合流するという展開が示されている。
この司令官の存在や投降は、本来、なくても物語が成り立つものだ。物語の進行には支障はなかった。
それをあえて、桜多は組み込んだ。
ここに桜多の自衛隊の、国家の主体性に対する意思を感じる。

マジンガー作品に自衛隊が目立つ立場で登場するのは、単に桜多が軍備愛好家であるからだけかもしれない。
しかし、それだけなら、単に武器が好きなだけなら、自衛隊を派手に活躍させれば済むことだ。
こんな屈折した、役にたつのかたたないのか曖昧な立場に、自衛隊を置いたりはしなかっただろう。
彼が問いたかったのは、自衛隊は、俺たち日本人は、いざ戦いに直面した時、どうしたらよいのかを、自分たちで決断できるのかどうか、というものではなかったろうか。

「グレート篇」で、日本政府はグレートマジンガーを排除することを決定する。これは、ミケーネ帝国の恫喝に屈服したということである。そこには「グレートを排除して、ミケーネ帝国の善意にすがる」という構造であり、そこには自らの手で自らを守るという意思は欠如している。
案の定、ミケーネの「善意」にすがるだけであった日本は、グレートを排除した後はミケーネ軍団に蹂躙され、多数の無残な死骸の山を築くこととなる。
それに対する桜多の視線は冷徹だ。
‐ばかな国民、汗水たらして守ってやるってしんどいもんね
これは劇中の炎ジュンの台詞である。
日本政府による排除攻撃を受け、逃亡しながらもミケーネと戦う道を鉄也たちは選んだ。無人島に潜み、物資を調達するために堺の工業地域で強奪を働いたり、犯罪者と呼ばわれながらも、鼻歌まじりのようにジュンは呟くのである。
‐ばかな国民、汗水たらして守ってやるってしんどいもんね
もしかすると、桜多は自衛隊の本音のつもりで、この言葉を語らせたのではないかとすら思える。
自ら戦うことを放棄して、自らを守ってくれる存在を排除した、愚かな日本国民に、同情の余地はない、と語っているようにすら思える。

剣鉄也側に投降した先の司令官は、日本を、自らの意志で主体的に守るべきという桜多の意志の代弁者として描かれたものかもしれない。
防衛について主体性のない国家は、独立を維持できないし、滅亡の危機も乗り越えられない‐乗り越えたければ、自らの判断で、自らの力で決断しなければいけないのだ。
それができなければ、他人にいいようにされても、何をされても、黙って我慢するしかない、屈辱を覚悟しなければいけない‐そういう考え方を、桜多は潜在的に子供たちに植え付けたとも言えるのだ。

それを、僕は間違っているとは思えない。
人生においても同じだ。人の意志によって決断を左右されていては、後悔しかない。
人は他人を決して自分以上には扱わない。
自分の運命は自分で決めなければ、不利にしかならない。
ましてや国家間においてをや、だ。

桜多は在日米軍についてもさらりと触れている。
「マジンガーZ対暗黒大将軍」では、米国第8艦隊(実際は第7艦隊)がミケーネ軍団に壊滅させられている。
グレートマジンガー第2話では、「仮にミケーネが日本を占拠したとしても、日本に対して差別意識を持っている米国は放置するだろう。米国が油断している隙に日本国民に脳改造を施して兵士に改造し、1億人の軍隊で全世界に宣戦布告する」というミケーネ帝国の戦略が示されている。
当然ながら、ここには安保条約に対する信頼もへったくれもない。

物語の後半では、兜剣造一派は、日和見を決め込む米国に無理矢理おしかけ、大気圏外の巨大レンズを攻撃するために、米国が保有する大陸間弾道ミサイルを使用することを直談判で要求する。交渉がまとまらないことも想定して、交渉をする一方で実力で強奪すべく、ミサイル基地への攻撃も同時に行っている。交渉はまとまるが、それまでの間に死者も出ている。
交渉‐並行しての武力行使。この政治的駆け引きにまつわる桜多の感覚も侮れない(※8)。
このミサイルを巡る攻防の中で、自衛隊元司令官も落命する。彼の名前は劇中では示されていないと思うが、桜多の彼に対する思い入れは、今も僕に強い印象を残している。

「グレート篇」である程度、物語内での自衛隊の役割は終わったと考えたのだろうか。
「グレンダイザー」では自衛隊はほとんど活躍しない。
「グレンダイザー」では、ベガ星連合軍の日本に対する攻撃をみて、在日米軍は早々に日本を立ち去るという描写を桜多は行っている。
自分の身を守ることを他人任せにして、うまくいくわけがない。
桜多は言外にそう語っているのだ。

団塊の世代である桜多は、学生運動が最も活発だった時代に思春期を過ごしている。
当時は「安保反対」「自衛隊反対」という掛け声が強かったと聞いている。
桜多は「武力を持たないで、どうやって国を守るんだよ。他国が攻めてこないなんて、甘ちゃんもいいとこだろ」のノリだった。
彼は当時の一般的な左翼学生と比べれば自衛隊には肯定的だったようだが、日米安保については上記の通り、否定的な立場だったのだろう。
学生時代から紆余曲折を経て、僕も今は桜多と同じ感覚を、自衛隊や日米安保に対して抱くようになっている。

さて、ここで日米安保を論じようなどという大それたことは考えてもいないが、日米安保とどう向き合っていくのかは書き記しておきたい。

平成24年は、日米安保にまつわる著作が衆目に触れやすい年だったと感じる。
中でも元外交官である孫崎亨の著作「戦後史の正体」は、地味ながらも注目を集めていた。
僕も書店の軒先に並べられた様をみて、興味を持って、手にした。
この本で孫崎が最も強調していたのは、安保条約と地位協定の成立についてであった。
安保条約はあくまで隠れ蓑のような存在であり、日米関係(上下関係)を最も強く定めたのは、実は地位協定であると説明している。そして、それぞれがどのような場所で、どのような参加者によって締結されたか。この件については、実際に孫崎の著作を読まれてみてはどうかと思う。
この本を読んで僕がしみじみ思ったことは、
・日本は今も「敗戦国」なのだ
・日本と米国の関係は、「敗戦国」と「戦勝国」という太平洋戦争後の枠組みから変わっていないのだ(※9)
・その枠組みの真の根底こそ、日米安保条約であり、地位協定なのだ

孫崎は特に「地位協定」の存在の大きさを強調している。繰り返しになるが、日米の関係を決定づけているのは、安保条約ではなく、地位協定であるとしている。条約として声高に言えない関係を、こっそりと定めているのが地位協定であると。
地位協定の中に記された内容こそが、真の日米関係の縮図であると。

これを読んで感じたことだが、あえて言う。
日本は米国の植民地に等しい、と。
未だに在日米軍の犯罪者を自国で裁けなくて、どうして真に米国から独立していると言えようか。

この本では同時に、戦後の日本の歴史、政治とは、敗戦国である日本が、占領国である米国の意志によって左右されてきたのだとする歴史観が表されている。
もっとも、この歴史観自体は、大勢の日本人が少なからず感じていることだろう。
「米国がくしゃみをすれば日本が風邪をひく」という言葉もある。
ニクソンショック、プラザ合意、バブル崩壊、リーマンショック、アフガン・イラク戦争諸々、日本は米国に常に左右されてきたことは、孫崎に指摘されるまでもない。
そもそも、日本は防衛や外交について、独自で動けないではないか。
また、自衛隊の兵器の多くが米国に依存している。
鳩山内閣が廃止するまでは「年次改革要望書」が日米間で交わされ、日本の様々な分野に「改変」を促している。
現在も、将来の日米間の関係に大きな影響を及ぼすであろうTPP(環太平洋戦略的経済連携協定:Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)に参加するかどうかが論議されている。
ウィキペディア:年次改革要望書
ウィキペディア:TPP
沖縄の基地問題と言い、日本が常に米国の顔色を窺わねばならない状況におかれていることは、日本人なら誰しも否定しないことだろう。

ただし、孫崎は独自の見解として、次のような構造を指摘する。
米国は占領時代に政治のみならず、報道や経済界、法曹界に人脈を築いた。この人脈は占領終了後、現在に到るも機能しており、米国の意に添わぬ政治家(政治的運動)がいれば、報道や経済界がこれを排斥する社会的風潮を形成するように工作し、引いては法曹界からも特捜部が汚職事件で起訴して排除してきたとするものだ(※10)。
こうした米国の意向にそった人脈や働きかけが、現在も日本の中枢に存在しており、この存在について触れることが禁忌(タブー)であると孫崎は記している。

この孫崎の著作は、彼の元外交官という肩書も加わって、説得力あるものとして注目を浴びた。この著作の後も「アメリカに潰された政治家たち」などの追随本が刊行されたことからみても分かるように、世間より評価された。すなわち、大勢の人がこの本を購入して読んだということだ(※11)。
他方、こうした孫崎の著作に対し、「事実誤認(要するに間違いがある)」を指摘し、「謀略史観」による信頼性の低いトンデモ本でしかない、元外交官という肩書が過剰評価されているにすぎないとする意見も出されている。
謀略史観とは、一部の団体の指示によって、世界の動きが定められ、歴史が作られてきたとするものだ(※12)。
実際、新聞系の週刊誌(週刊読売とか、朝日とか、毎日とか)と、出版社系の週刊誌(週刊現代とか、ポストとか)とでは、この本に対する評価が割れているようにも感じた。

確かに、この著作の主張が全て正しいというほど僕も若くはないが、それでも非常におもしろかった。
日本の戦後史は、実はとても重要でありながら、煩雑であるとか、授業時間に余裕がないとかで、少なくとも僕らの世代ではないがしろにされていたものだった。今はどうなのだろうか。
だが、戦後日本史について、僕たちはもっと知るべきだと思うし、孫崎の史観や個人的解釈が前面に出ているとはいえ、この著作が戦後史をわかりやすくまとめていることには変わりはない。
しょせん、絶対に中立な文章など、ありえないのだ。一読をお勧めする。



安保条約、地位協定ともなれば、沖縄の米軍基地問題に触れずにはいかない。
守屋武昌著「『普天間』交渉秘録」は様々な面で興味深かった。
守屋は防衛庁を防衛省に昇格させた他、沖縄の基地移転問題でも、米国‐日本政府‐沖縄の各方面と交渉を行った事務次官という中央官僚としては最高職についた人物である。僕が覚えているのは、「防衛省の天皇」として権勢をふるい、最後には収賄で起訴され、失脚したという報道内容である。
従来の報道を鵜呑みにすれば、傲慢さが命取りになった浅はかな人間のように見えるのだが、この著書を読むと、守屋が非常に慎重で明晰な人物であることがわかる。
彼は感情を極力抑え、淡々と事実を積み重ねて記している。
そこでは沖縄側の交渉者が、毎回、言説を翻し、交渉がまとまること自体を拒絶しようとしたり、地元業者の利権のためにようやくまとまりかけたかに見える移転案を反故にしようとしたりと、誠意ある交渉者としての姿は見えてこない。
他方、中央の政治家、官僚たちもそまた、それぞれの思惑に乗って、国家の大問題を個々の権益を守るために私の動機からいじろうとする。
ここには「沖縄=弱者」「日本政府=弾圧者」という単純な構図を超えた、人間の業の混沌が示されている。
守屋は収賄罪で失脚するが、彼はむしろ米国の権益を守ろうとしているのに失脚しているわけで、そこら辺は前出の「戦後史の正体」の主張とは異なっている。
この著書の中で守屋は、自分が受けた有罪判決について抗弁はしていないが、この本を読み進めれば、彼が多くの利権絡みの人間から排斥を望まれていた存在であると推測するようになる。つまり、「私は私の存在を疎む勢力によって排除されたのだ」という守屋の言外の訴えが聞こえてくるのだ。

沖縄基地問題に関する著作はそれこそ無数にあり、この1冊をもって断じるのは浅慮である。例えば、この本の印象だけで、「沖縄は約束を結ばないし、守れない土地だ」とするのはあまりに早計であり、やはり地位協定が存在する状況下では、沖縄は不利であり、この誠意のなさは沖縄の基地問題に対する戦略そのものであるとも理解される。


さて、まとめになるが、僕は日米関係に何を望みたいか。
究極に言えば、理想を言えば、日本が自衛隊の手で守られた、絶対の中立国になることだ。
絶対の中立者であると同時に、世界の紛争の仲介者にもなれる国。
それが日本のあるべき姿と思う。
あくまで理想である。
これが100年やそこらで実現するとは僕には思えない。
戦後73年を過ぎてなお、我々はまだ米国の支配下にある。
だが、目指すべきものがなければ、ただただ米国の言うなりにならざるを得ないだろう。

もちろん、今の日本が米国の政治・経済・軍事から独立して行動することは不可能だと受け入れるよりない。現実認識として、それが不可能であると認めなければならない。そこから始まらなければならない。
いきなり米国と対等になろうとしても、潰されるだけということは、鳩山由紀夫がその中学生のような無邪気さと脳天気さで実証してみせてくれた。
何の戦略も計画も忍耐も交渉もなしに、いきなり「今日からタメやで」と言っても通用しないのだ。力は圧倒的に向こうの方が強いのだから。

しかしながら。
もしも沖縄の基地問題を少しでも融和していくのなら、何をおいても先ず地位協定を見直すべきだ。最低でも、米軍の犯罪を日本の国内法で裁ける条件に変えるべきだ。これは沖縄だけの問題ではないはずだ。
先ず、そこからでなければ、普天間からの基地移転は強制的にでもしなければまとまらないと僕にすら思えるし、移転を強制的に行えば沖縄と本土の溝は決定的になり、中国のつけいる隙を与えることになる。著しく国益を損なう。
それを米国に受け入れさせるには、地道な交渉が必要だろう。理念や正義を振りかざすよりも先に、それが米国にとっても利益になると説得できれば、道は開けてくる-かもしれない。

在日米軍を沖縄に残そうというのなら、まず何をおいても、沖縄の人々とともに共存しようという意思を示さなければならない。基本的に米軍基地に接して住む人々が先ず望むことは、「少しでも安全にありたい」という素朴な気持ちのはずだ。何か犯罪を犯しても、米国に逃げ込めばそれで終わるなどという地位条約のままでは、米軍と安心して暮らせない。
共存するということは、互いが規則を守ってこそ成り立つ。今の地位協定では、規則を破っても許されるに等しい。

日米地位協定は外務省HPで条文を確認できる。
地位協定

この17条において刑事裁判に関する規定がなされている。
「1 この条の規定に従うことを条件として、
(a) 合衆国の軍当局は、合衆国の軍法に服するすべての者に対し、合衆国の法令により与えられたすべての刑事及び懲戒の裁判権を日本国において行使する権利を有する。
(b) 日本国の当局は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族に対し、日本国の領域内で犯す罪で日本国の法令によつて罰することができるものについて、裁判権を有する。
2 (a) 合衆国の軍当局は、合衆国の軍法に服する者に対し、合衆国の法令によつて罰することができる罪で日本国の法令によつては罰することができないもの(合衆国の安全に関する罪を含む。)について、専属的裁判権を行使する権利を有する。
(b) 日本国の当局は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族に対し、日本国の法令によつて罰することができる罪で合衆国の法令によつては罰することができないもの(日本国の安全に関する罪を含む。)について、専属的裁判権を行使する権利を有する。
(c) 2及び3の規定の適用上、国の安全に関する罪は、次のものを含む。
(i) 当該国に対する反逆
(ii) 妨害行為(サボタージュ)、諜報行為又は当該国の公務上若しくは国防上の秘密に
関する法令の違反」

一読してみると、日本側で裁く権利は保障されているようにも見えるが、現実には政治的介入があって、日本国内法で裁けない事例が起こっており、これは沖縄の反発を生むのは当然だろう。
原則、国内で米兵が起こした犯罪は、日本国内法で裁くという内容にしなければ、事態は前に進まないと僕は思う。

最後に昨年より激化している領土問題についてだが、僕などは野田政権が尖閣諸島の国有化に踏み切ったのは、領土問題による中国との対立が激化することを見越して、その上で沖縄の基地やオスプレイは必要であると国民に思わせようとする計算があるのではないかと思える。また、そうした米国の意図を組んでの行為ではないだろうか。
今、巷では勇ましい言葉が並んでいる。
いわく、中国軍は実は弱い。紛争になっても自衛隊は勝てる。中国政府は紛争など望んではいない。
いわく、いざとなれば自衛隊は戦えばよい。

僕はあえて言う。
もし、戦うというのなら、自分や自分の家族が命を落としたり、蹂躙される結果もありえるという覚悟を持て。
その場の勢いだけで勝てるものなのか?
もし、戦うとしても、「絶対に勝てる」という自信と根拠が得られない限り、極力、戦いは避けるべきだ。
覚悟も根拠もない戦いは、太平洋戦争の二の舞である。

あの戦争は追い込まれた末の戦争であるという意見がある。日本を潰すために詰将棋のように、戦争へと誘導されたとする意見である。日本を米国との戦争に引き込むことによって、「合法的に」日本の政治・経済・軍備を破壊できた米国の策略勝ちとする歴史観だ。
それを教訓とするならば、誰かと戦うならば、それに勝てるか、自分の身を守れるかどうか、ようく吟味することだ。
強かでないものは、戦争などしないことだし、戦争しようというなら、強かにならねばならない。
はたして米国に依存せざるをえない、世界情勢に関する今の日本の情報収集能力を見ていても、「俺たちは戦争しても強い」と豪語できる根拠はどこにも見受けられない。

日本有利とする文章の中には、「中国軍は洋上作戦の経験はないが、日本にはミッドウェー海戦などの実績がある」・・・って、それ、何十年前の話なんだよ。それなら自衛隊も条件は一緒だろ。

戦争してでも己の自立を守るならば、それなりの覚悟がいる。
今の日本に覚悟はあるか?
覚悟とは無謀ということではない。
計算し、策略を巡らし、それでもなおうまくいかなかった時に、己が身にふりかかる肉体的精神的壊滅的災厄を受けるだけの気力があるかということだ。
その段になって泣きわめき、「こんなはずじゃなかった」と後悔するくらいなら、勇ましいことはするべきではない。
少なくとも100手先まで読むくらいのことはするべきだ(※13)。
臆病に生きたとしても、最後まで生き延びた者が勝者なのだ。
戦う限りは、生き延びろ。

おりしもアフリカの砂漠で多くの人々がテロに殺され、中国軍は攻撃の前段階の行動を日本に対して示している。
改めて、日本という国を、いいや、日本人を、いかにして守るかというその方策が問われている。

たかが子供漫画のマジンガー作品が伝えようとしてのは、とどのつまりはそういうことなのだ。
とりとめがなかったが、この稿、終わり。

※0)鬼子扱いは依然として認めている。
「陸自大津駐屯地:「戦闘服通勤やめて」 地元住民反発、市長に協力要請 /滋賀
毎日新聞 2月9日(土)16時38分配信
 ◇「災害即応のため」
 陸上自衛隊大津駐屯地(大津市際川1)の隊員が今年から迷彩服で通勤を始め、地元住民らが「戦争の象徴の服で日常生活に不安を感じる」と反発している。住民有志約20人は「自衛隊の戦闘服通勤はやめての会」(高田敬子代表)を結成、8日までに「戦闘服通勤の中止」を求めるよう越直美市長に文書で要請した。【千葉紀和】
 同駐屯地によると、迷彩服での通勤は災害派遣に迅速に対応する狙い。今までは制服着用で通勤していたが、着替えに時間がかかるとし、1月から約350人が徒歩や自転車、バイクなどで迷彩服通勤しているという。
 一方、地元学区の九条の会や新日本婦人の会を中心とする「やめての会」側は、「異様だ」「緊急性が求められる消防隊員も常に消防服を着ていない」と反発。説明会開催が昨年暮れだったことも「唐突だ」としている。
 やめての会の高田直樹さん(62)は「夜は交通事故の危険性も高まる。住民との合意がないまま強行するのはおかしい」と憤る。同駐屯地の上原敏彦広報室長は「災害はいつなんどき起こるか分からない。全国の駐屯地でやっていることで、一部の人が反対しているだけ」としている。
 陸自陸上幕僚監部広報室は「全国に迷彩服通勤を指示しているわけではなく、各駐屯地司令の裁量だ。地元で必要だと判断したのだろう」と説明した。
2月9日朝刊」
反対なされるのはよいが、先の東日本激甚災害の折、不眠不休の活動を行ったのは誰だと考えているのだろう。感謝の念は感じられない。
「兜甲児を留年させた」意識と同一の者を反対者に感じる。
先の中国軍による護衛艦のレーザー照射紛争においても、自衛隊の現場の自制力、克己心は世界に誇るべきである。
ところで自衛隊法の改正が叫ばれているが、同時に、情報収集、戦略を構築する文民側の鍛錬があまりに乏しいのではないか。文民側が未熟では、かえって紛争に発展する危険は高まろう。己の実力を認識することは、生き延びる上で必須である。
※1)日米戦争とも大東亜戦争とも呼ばれる。
第二次世界大戦における一局面でもある。
そして、日中戦争とも連動している。
※2)僕らくらいの世代(昭和40年生)には「タイガーマスク」の作者としての方がなじみがある。最近、出版された但馬オサム著「世界の子供たちに夢を~タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡」で知ったことだが、吉田竜夫と少年時代からの知友であり、画業を競い合った仲とのことだ。なお、アニメ化された「ゼロ戦はやと」では、日本軍の敵国は架空の国家とされた。敗戦国ゆえの自主規制である。
※3)はずなのだが、実際はどうか? 僕自身、東宝怪獣映画について熱く語る親父に会ったことがない。アニメ雑誌や漫画雑誌に登場するような親父たちは熱く語ってくれるのだが、僕の周囲にはこれまでいなかった。なお、撮影に協力してくれる自衛隊に対し、いいかげんな監督は「適当にやってください」と話して隊員の顰蹙を買うのだが、本多は具体的に「こういう風な作戦を展開していますので、このように隊員を動かしてください」と的確な指導を行うものだから、自衛隊からも評価の高い監督だったという。
※4)恐るべきことに、最盛期の梶原一騎は、原作を務めた「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」の3作品が同時に週刊少年マガジンに掲載される時期があった。しかも「巨人の星」が終わったと思いきや、次には「空手バカ一代」が始まり、3作品同時掲載の時期が続くという、少年漫画雑誌空前絶後の時代があったのだ。ただし、梶原一騎は漫画家や編集者に対する様々な暴力が問題となり、逮捕という処置が行われ、社会の表舞台から退去を命ぜられることとなった。
スポ根は、「しごき」という名の暴力的指導によって選手は精神的肉体的に成長し、成功を治めるという考え方であった。更には労苦をともにすることで師弟の絆をもたらすという理念を喧伝して、一世を風靡した。
だが、ちょうど今、平成24年に大阪市での体罰による高校生の自殺が、柔道界では選手側からの指導者の暴力が告発され、改めてしごきという暴力を拒否する社会的気運が明らかになっている。
確かに僕たちくらいの、スポ根をみて育った世代は、体育系の人々はしごきに耐えて成長するというのが常識のように感じていた。
相撲やプロレスの世界でも「かわいがり(いじめと同質のしごき・暴力)」があり、これを乗り越えて肉体的にも精神的にも成長するという発想があったと、往年のプロレスラー(今も現役ではあるのだが・・・)天龍源一郎が語っていたのを思い出す。
そのような訓練に全くの効果がないかというと、正直、僕自身は否定しきれない。なぜなら、人間はある程度の緊張下におかれないと、成長できない動物であるからだ。戦いを基本とする分野では、理不尽な暴力にも耐えうる精神力が必要という発想を、完全には否定できない。
徴兵制があり、現在も北朝鮮と臨戦状態にある韓国選手の日本に対する姿勢をみると、そう感じられる。
だが、指導者が絶対的な権力を持ち、その指導者に倫理的な判断力が不十分であった場合、そうした関係は破綻をもたらす。指導者が己の視野の狭さを自覚していない時、これを修正できる存在がないのが現実ならば、やはり「しごき(体罰)」を根底においた指導法は、教えられる側に一方的な精神的・肉体的障害をもたらすことになる。
それは犯罪であり、してはならない。
梶原一騎は、少なくとも「巨人の星」や「あしたのジョー」の物語に限れば、指導者たちは教え子以上に己の肉体に鞭打ち、その成長に涙するほど喜んでいるという点では、実在の「しごき」系の指導者には真似のできない絶対的な愛情をもって、指導にあたっていた。でも、そういう物語を語りながら、現実には梶原も暴力で身を滅ぼしており、説得力を失っている。
※5)自衛隊における護衛艦とは、通常の戦艦に相当するらしい。つまり、洋上戦闘の主力兵器であり、その戦闘の対象は戦闘機、戦艦、そして潜水艦なのだろう。そして、その主力兵器となるミサイルという言葉を空気のように僕たちは語っているが、これは遠隔操縦もしくは自動操縦によって、標的を「追尾」して破壊する爆弾兵器である。第二次世界大戦、太平洋戦争までは、主力の爆弾兵器は発射後は物理法則に従って、放物線を描いて対象に着弾できるかどうかであって、発射した後のことはどうにもできないから、着弾点の計算が重要であったらしい。ミサイルは日本語で誘導弾と訳され、発射後も方向を変えて、対象を追いかけることができるようになった。その誘導弾(ミサイル)を搭載したという点で、あまつかぜは太平洋戦後の日本(自衛)艦隊の中では最先端だったのだろう。
※6)ジーン・ラロック(Gene R. La Rocque)。1918年生まれ。元米国海軍提督(少将)。退役後は平和活動に従事している。彼の発言は有名であるが、「ラロック発言」とあるばかりで、普通に検索してもかれの姓名がきちんと出てこない。意図的にも感じられる。
米国版ウィキペディア:Gene R. La Rocque
ラロック
退役後のラロック氏の肖像写真
海軍時代のラロック氏の肖像写真
※7)「ウルトラセブン」12話。中学生くらいの頃、「何でウルトラセブンの12話はないんだ?」と不思議に思っていた。敵役であるスペル星人が何かのまちがいで「原爆星人」の称号を付して雑誌掲載され、それが反原爆団体の関係者の目にとまって抗議され、封印されたという事実を僕は大学生くらいになるまで知らなかった。これは誤解による冤罪であるにも関わらず、現在も封印扱いで「放置」されている。怠慢と言わずして何と言おう。桜多のこの設定の方こそ、余程、過激なのだが見過ごされている。何といいかげんなのだろう。もちろん、今さらこの桜多作品を自主規制だの、封印だのすることこそ、迷惑至極。
※8)この場面も実は突っ込みどころ満載。基地の司令官が、発進寸前の戦闘機の操縦士を止めるという場面だが、これではまるで操縦士の独断で発進しようとしているようにすら見える。ありえへんやろ。普通はスクランブル発進するかどうか、まず司令が判断することなのだから。まあ昭和のいいかげんさで、チャラというところか。
※9)米国と世界の関係、枠組みは、ご承知の通り全く様変わりした。
※10)孫崎の著書においても、日本の独自路線を主張して米国から排除されたという見方をされている鳩山由紀夫だが、最近の尖閣問題に関する中国での発言には呆れ返った。確かに彼の理念は立派だ。基地を沖縄県外に移すと主張し、年次改革要望書を廃止して米国の干渉を排除しようとした。だが、彼のやり方は、何も考えずに地雷原に突入し、自爆したようなもので、無策、浅慮に過ぎる。それで政治家が務まるなら、僕にでも務まる。
※11)孫崎の著作の中で、「戦後史の正体」以外に推すならば、「カナダの教訓~超大国に屈しない外交」だろう1990年代の著作であり、既に20年以上が経過したが、示唆に富み、米国の政治構造を理解するのに役に立つ。
ここでは外交という国家間の交渉においても、究極的には交渉する当事者の個人的な人間関係が非常に重要と記している。よく「中国中枢部にパイプがない」などの表現がなされるが、政治家や実力者と個人的な人間関係を築くことは、円滑な意見交換のためにはとても重要なのだ。


孫崎は基本的にTPPには反対の立場であり、僕自身も国内法よりも上位に立つとされるTPPには反対である。だが、米国という存在と関係を続ける以上は避けては通れないとも感じている。今は低いとされる日米間の関税も、米国はその気になれば「報復として」引き上げることも可能だからだ。
※12)謀略史観で記憶に残るのは広瀬隆著「危険な話」である。1980年代後半、反原発運動の代表的著作として広く読まれたし、僕も読んだ。欧米の財閥の意志によって、原発が多数建設されているのだという内容もあった。今の僕は信じない。反原発からなんでそっちにいっちゃうの? 普通に原発反対といっていればよかったのに。
ウィキペディア:広瀬隆
※13)果たして野田政権は、尖閣諸島国有化において、どこまで「先を読んでいた」のだろうか。米国の言いなりに国有化して、後は野となれ山となれだったのか。この後に総選挙となり、野田は政権の座を追われた(降りた?)。国有化に伴う日中間の関係悪化については野田は尻をまくったに等しい。
そもそも国境紛争は政治の最高の地位にあるものが、慎重に根気よく話し合いを続かなければ、落としどころがない問題なのだ。国境問題を国民に煽れば、力ずくでの解決しかなくなってしまうではないか。こっそり、静かに行い、いつの間にか国境で両国が交流できている状態に持っていくべきなのだ。保身のために国民間の感情を荒立てるような行為は政治家として最低である。国境問題は国民の問題であったとしても、国民を巻き込んではいけないのだ。
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コメント

[C62]

桜多版マジンガーシリーズに自衛隊が出てたという話は聞いてましたが、そこまで危ない描写があったとは!子供向け作品という建前で実は大人向けに描いてたのかもしれませんね。機会があったら読んでみます。ちなみに、ゲームのスパロボシリーズに、桜多版を原典とする量産型グレートマジンガーが登場するんですよ。

引き合いに出されたウルトラセブンですが、こちらもやはり表面上は子供向け作品ながら、大人にならないと理解できないようなメッセージがたくさん込められてましたね。今あらためて見ても名作だと思います。
  • 2016-06-10 03:37
  • JoJo
  • URL
  • 編集

[C67] 管理人です

いつもコメントいただき、ありがとうございます。
子供の頃は気にしませんでしたが、年を取って、周囲が見えるようになるとわかってきました。
残念ながら「Gマジンガー」と「グレンダイザー」の復刊は、今のところないようですね。電子書籍ででも復刊してほしいですね。

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