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ホルスとマジンガーZをつなぐもの 浦田又治


劇場版マジンガーZのブルーレイをつい、買ってしまった。
40年前の巨大ロボット作品だったが、けっこう面白い。若い人に勧めるかどうかは別として、色んな発見があって楽しめた。
中でも目をひいたのが、「マジンガーZ対デビルマン」。いきなり富士山の裾野で、マジンガーZとアフロダイAが、2体の機械獣と戦う場面から始まるのだが、この初っ端から、オヤジの僕には注目点満載なのだ。
斧を武器にする機械獣が登場するのだが、斧にカメラを寄せたり、逆に大きくカメラをひいて戦場を俯瞰したり、撮影手法(カメラワーク)が相当に凝っている。
演出(実質、監督)の勝間田具治は実写畑の出身だ。彼は実写の世界の撮影手法を積極的に、というか自然とアニメに取り入れていった。例えば人物を中心にして回り込む撮影手法は、実写では当たり前だったが、アニメになると人も背景も動かさないといけなくなる、」つまり作画の枚数を食うので採用されていなかった。
しかし、勝間田は回り込んだ。人も富士山もグルグルと回りこませた。「マジンガーZ対デビルマン」は劇場版ということもあって、勝間田の作風が前面に出た作品だった。
東映のHP:勝間田具治談話記事
CGWORLD.jp 勝間田具治
ところでこの映画を見ていると、東映動画が作成した映画「太陽の王子ホルスの大冒険」が思い出される。高畑勲が監督し、宮崎駿が八面六臂の活躍をした作品として有名だ。日本のアニメ映画史においても一種の道標扱いを受けている。この映画でも、監督の高畑勲が主人公ホルスの武器である斧に重要な役割を与えて、その描写に力をいれていた。
もちろん、「ホルス(昭和43年公開)」と「マジンガーZ(昭和48年公開)」には何の作品的つながりもなければ、勝間田と高畑とでは経歴も、恐らく労働争議の時期のふるまいも違ったことだろう。作風も全く異なる。だから、両者を同じように語ると叱られてしまうかもしれない。
だが、同じ時代、同じ東映動画に在籍した二人が、全く別個の映画で斧の描写一つにこだわってみせた偶然が、不思議な縁と僕には感じられる。


「マジンガーZ対デビルマン」の製作の背景から触れていこう。この映画は別々の番組の主人公が番組枠を超えて共演するという点が画期的とされた。マジンガーZが新たな装備であるジェットスクランダーで空中飛行ができるようになる、それもTVに先駆けてという点も売りだった(念のためだが、マジンガーZには当初、飛行能力がなかった)。
共演するデビルマンも空を飛ぶし、マジンガーZもジェットスクランダーで空を飛べるようになった。敵のデーモン族シレーヌもDrヘルの「空飛ぶ機械獣」も皆、空を飛ぶ。そんなわけだから、当然、この映画では空が舞台になる場面が多くなる。
その空の描写なのだが、これが実に素晴らしい。今回、改めて観てしみじみと感じた。
抜けるような青い空に、様々な雲が散りばめられた映像は、ブルーレイで再生すると、気持ちいいほど美しいのだ。
空だけではない。富士山麓の樹海、色とりどりの様相を示す富士山、その力の籠った背景美術は、これが巨大ロボット映画であることを忘れさせそうなほどである。
この映画の美術監督は浦田又治。下記のHPによれば、東映動画のTV作品「風のフジ丸」から美術の仕事を始めたようだ。そして、浦田は先の「ホルス」でも美術監督を務めている。
Allcinema: 浦田又治の頁(※1)
学生時代、レンタルビデオで初めてこの映画を観た時は、僕は何も感じなかった。だが、今、改めて鑑賞してみて、この映像からほとばしる美術担当者たちの執念とも言える表現欲に僕は魅かれた。故意か偶然かは別として、この映画の向こうに、伝説となった「ホルスの大冒険」の残像が垣間見える思いがした。
実は、この映画の美術は「マジンガーZ」としては異色なのである。TV版の基本的な背景に比べて、「美しすぎる」からだ。
というのも、TV版「マジンガーZ」の背景は、特に戦闘場面では空を暗雲たちこめる禍々しい色調で表現しており、「戦闘空」とでも言うべき特徴的な色彩が用いられていた。この点を映画版2作目の「マジンガーZ対暗黒大将軍」と比べるとよくわかる。こちらはTV版を踏まえた「戦闘空」が描写されている。
両者から受ける映像の印象は、相当に異なって僕には感じられた。記念すべき映画版1作目だというのに、美術陣はどうしてTV版とは異なる方針を選んだのだろうか。
背景を担当した浦田は、かつて「ホルスの大冒険」の美術を担当した人物である。
この映画は当時の東映動画の若手社員が中心になって、お互いに意見を出し合い、様々な試みを施し、苦心の末に完成した映画である。そして、この映画の完成後、東映動画は労働争議の終焉とともに、それまでとは違う道を歩み始めることになる。
僕には「マジンガーZ対デビルマン」の息を飲むほど美しい背景画には、かつての長編動画に寄せる浦田の強い思いが籠められているように感じられた。


そもそも東映動画とは、日本でもディズニーのような本格的な長編アニメ映画を作るために設立された会社である。昭和33年に日本初の、長編でしかも総天然色映画である「白蛇伝」を世に問うて以来、かつてのディズニーを追い越せと、作品毎に新たな着想、新たな映像表現を試みようとした気運があった。言わば、現在のスタジオ・ジブリのお手本であり、宮崎駿も高畑勲も青春を過ごしたこの時代の東映動画の再現を目指した末に今があると言っても過言ではないだろう。
しかし、昭和38年(1963年)にTV作品「鉄腕アトム」が始まってしまったことが、東映動画の運命を変えてしまった。
「アトム」の製作契約をTV局と結ぶ際、手塚治虫が採算割れするほどの低額な条件を受け入れてしまったというのは有名な話である。しかし、劣悪かつ不利な条件に思われた「アトム」だったが、国民的人気を博し、関連商品の市場も潤い、米国にも輸出される結果となり、社会的にも商業的にも大成功した。
これが東映動画に影響しないはずはない。
TVアニメは売れる。儲かる。
TVアニメを作れ。
そうした意向が出てくるのは時間の問題である。そして、TV時代の到来とともに、それまでの古今の名作を題材にした独自規格の、時間をかけて丁寧に築き上げる長編映画路線から、TVや漫画と連携して短時間に大量生産する路線へと変わっていったのだ。

昭和33年(1958年) 白蛇伝
昭和34年(1959年) 少年猿飛佐助
昭和35年(1960年) 西遊記:手塚治虫と連携
昭和36年(1961年) 安寿と厨子王
昭和37年(1962年) シンドバッドの冒険
昭和38年(1963年) わんぱく王子の大蛇退治
  同年       わんわん忠臣蔵
昭和39年(1964年) 長編映画なし
昭和40年(1965年) ガリバーの宇宙旅行
昭和41年(1966年) サイボーグ009:石森章太郎と連携
昭和42年(1967年) 少年ジャックと魔法使い
同年       サイボーグ009 怪獣戦争:石森章太郎と連携
昭和43年(1968年) アンデルセン物語
同年       太陽の王子 ホルスの大冒険
昭和44年(1969年) 長靴をはいた猫
  同年       空飛ぶゆうれい船:石森章太郎と連携
昭和45年(1970年) ちびっ子レミと名犬カピ
  同年       海底3万マイル:石森章太郎と連携
昭和46年(1971年) どうぶつ宝島
  同年       アリババと40匹の盗賊
昭和47年(1972年) ながぐつ三銃士
  同年       魔犬ライナー0011変身せよ!!
昭和48年(1973年) パンダの大冒険
  同年       マジンガーZ対デビルマン

上の年表をみていくと、3作目の「西遊記」では早くも漫画家手塚治虫と連携している。もっとも東映動画の画風が前面に出ていて、少なくともパッと見の印象は手塚治虫らしさはない。こうして昭和40年の「ガリバーの宇宙旅行」までは、世界の名作に題材を得た、東映動画独自の企画で映画を作っていた。
しかし、昭和41年に大きな節目が来る。石森章太郎原作の作品が、「サイボーグ009(」「サイボーグ009怪獣戦争」と2年続いたのだ。これは明らかに人気漫画=TVアニメを意識した企画である。それまでの名作路線から転換がはかられている。実際、このサイボーグ009では映画の尺も60分程度と短くなり、作画枚数も制限され、制作体制も大幅に変わり、それまでの長編映画とTVアニメの中間的な状況になったそうだ。
ウィキペディア:映画サイボーグ009の企画経緯



そう、「009」を境に時代が変わったのだ。否が応でも、TVを意識しなければならなくなったのだ。
これは幸福だった時代の終焉と、現場では感じられたことだろう。自分たちで企画し、自分たちで生み出していく喜び。それが遠のいた瞬間に感じられたかもしれない。
そして‐
労働者の団結という意識が強く出た、時代の空気もあっただろう。
サイボーグ009で施された、製作体制の大幅な改変への不満もあっただろう。
何と言っても、現場の人間が若かったということも大きかっただろう。
紆余曲折を経て、「ホルスの大冒険」が製作された。

かつて徳間書店のアニメージュ別冊として発売された「ホルスの大冒険」ロマンアルバムは、現在もジブリロマンアルバムとして入手可能だ。ここには宮崎を中心とした多数の素材画が収録されている。美術監督の浦田も談話を寄せており、新たな映像表現を生み出すために多くの工夫と努力を重ねたことを語っている。
映画としての「ホルス」完成度や、真価は、決して伝説の語る額面通りではないかもしれない。だが、この映画に注がれた熱意と労力は、まさに伝説と呼ぶにふさわしく、その創作の熱気が流れ込んだ「長靴ははいた猫」は、名実ともに歴史に残る傑作になったという(※2)


しかし、この映画のあとは再び、石森章太郎との連携作品が続いている。尺も60分の中編にまた戻っている。内容的には以前の009よりも活力のある物語、映像が展開し、「空飛ぶゆうれい船」「海底3万マイル」は今も(オヤジには)傑作として遇されている。だが、この後の作品を眺めても、もはやかつての意欲的な企画を、現場が提出できる時代が終わったと感じられる。「どうぶつ宝島」から「パンダの大冒険」まで、どことなく安全路線を選びましたという印象が強いのだ。

閑話休題。
手塚治虫は僕たちの世代にとっては、やはり「漫画の基本」のような存在だった(※3)。そして、当時の世間的には日本の商業アニメの創始者とみなされていた。だから、彼が永眠した平成元年(1989年)、数多くの追悼が行われた。雑誌COMIC BOXも追悼特集を組んだ。その中には宮崎駿の談話も掲載された。
だが、その内容は辛辣である。彼からすれば、手塚は創始者ではなく、破壊者だったからだ。映画製作者としては未熟、経営者としては失格、そんな人物がアニメに手を出してくれたばかりに、アニメ業界が歪になって、東映動画はとばっちりを受けたという内容だ。手塚がTVアニメに手を出さなければ、東映動画は独自の長編映画路線をまだある程度は継続できたかもしれないのにと、呪詛の言葉を吐いている。
雑誌である上に、もはや廃刊となっている。今となっては極一部の図書館か古書店を捜さないと読むことはできないのだが、この談話をまるまる転載したブログがある。
「愛・蔵太の気になるメモ」
ここに刻まれた宮崎の言葉は、怨念そのものと言っていい。この後、宮崎は日本全体から支持される地位を獲得したが、この時はまだ「宮崎駿時代」の黎明期だった。まだ手塚の伝説を追撃する立場だった。だから、自分の言いたいことを言ったという印象だ。
「皆はあの人のことをほめるけどなあ、俺たちはあの人のせいで苦労させられたんだよ!!」と。
文章に寄せられた絵

「ホルスの大冒険」「長靴をはいた猫」で最後の輝きを放った、東映動画の独自路線が終焉を迎えた。外注製作会社と連携した、TVアニメ大量生産の時代を迎えていた。
労働争議も人心に深い傷跡を残して終焉した。その寒々しい心象風景を五味洋子(※)が語り残している。
Webアニメスタイル:アニメーション思いでがたり
激しい対立と、輝かしい過去の業績への追憶。
僕には浦田の筆に籠った熱気が、どうにも見過ごせない。
映画を統括する立場の勝間田がどのように指示したのかは、叶うならばご本人に直接、伺いたいところだが、このTV版からは乖離した美しすぎるほどの表現力を発揮した背景画は、どのような意図を含んでいたのか。
これは、「俺たちがこれまで築き上げてきた画力、表現力を失いたくないんだ」という浦田の絶叫にも近い祈りが籠っているとしか、僕には思えないのだ。
浦田はこの後も「Drスランプ アラレちゃん」などで童話的な背景(世界観)の確立を手掛けて作品を成功に導くなど、会社の求める水準の仕事をきっちりとこなしている。
だが、僕には「マジンガーZ対デビルマン」という映画にぶちまけられた、浦田又治という男の情熱とこだわりが、ズキズキと突き刺さるように感じられるのだ。後世からみれば、企画物以外の何物でもない、「マジンガーZ人気に便乗しただけの、その場しのぎの価値しかない映画」と言われるだろう。
だが、それで終わらせたくない。ここにくるまでに自分たちが育んできた技術、東映動画の伝統を、その片鱗でも残したい。
勤め人だから、会社の指示には従う。だが、それだけでは済まさない。俺の怨念も理想も希望も、しっかりと刻ませてもらう。
それくらいの意志が伝わってくる画面なのだ。

浦田以外にも、撮影を担当した平尾三喜、目黒宏のさりげない自己主張も僕の目を魅いた。最後の〆の件で、マジンガーZとデビルマンが握手する場面があるのだが、両者の輪郭がほんのりと後光で縁取られている。この自然で温かい光の表現に、やはりそれまで培ってきた撮影技術に対する彼らのこだわりを感じた。
彼らは他にも水中の戦闘場面での水の揺らぎ具合に腐心したりと、市場から見ればTVアニメと玩具の宣伝の一環扱いに過ぎない映画の映像表現に、これでもかとこだわりを見せている。

以前にも触れたことがある。東映動画(現東映アニメーション)は、会社を存続・維持させるために、独創性を犠牲にして安定路線を歩んでいる。自発的な企画をあえて封印して、広告主の意向にそった、あるいは確実な人気、営業成績を期待できる企画に専念してきた。
だが、その背後には煮えたぎるような表現への渇望と熱情が渦巻いている。
井筒和幸がどんなにこきおろそうが、「ワンピース フィルムZ」に籠められた表現意欲には目をみはるものがある。
東映アニメーションには、今も脈々と、映像表現に対する熱い思いが継承されているのだ。

技能者が本気を出せば、仕上がりは格段に変わるのだ。グローバルだか何だか知らないが、現場の人間をないがしろにするな。物づくりもできない人間の発想だけでは、しょせん当たり障りのない程度の代物しかできないんだ。
現場を馬鹿にすんじゃねえ。

最後は僕の独り言。
この映画、世評的には郷愁で語るよりない作品かもしれない。
だが、僕には職人たちの技術と伝統の継承の祈りが染み込んだ映画として、今後も記憶に残る作品なのだ。
技術の継承は心の継承なのだ。

おまけ。ネットを検索していたら、こんな代物に出会えた。伝説のアニメ職人と、美術担当者の共同作業(※4)。

※1)なお、この記事では「美術」「美術監督」の区別がされている。しかし、「マジンガーZ対デビルマン」は映画では浦田が美術担当として表記されているので、美術監督とみなしてよいと思うのだが、このHPでは美術とされている。
※2)実は、まだ生まれてこの方、この傑作を観たことがない・・・・。できればブルーレイで観たいので、我慢している。
※3)厳密に言えば、現代では「それは違う」という意見も多いだろう。その時代々々を代表する漫画家がおり、手塚は決していつの時代も先頭を走っていたわけではない。むしろ、彼自身、「僕はいつも二番手を走っていた」という旨の発言をしていたと記憶している。しかし、彼はその死の直前まで、漫画家として第一線を走り続けていたのはまちがいがなく、その持久力が新陳代謝の激しかった1980年代までの漫画界では驚異的であった。
※4)浦田又治と森康二の共著(!!)アンデルセン童話
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