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「銀河鉄道999」の時代


さよならだけが人生さ‐

人生は出会いと別れの繰り返しだ。どんなに幸せな人生を送ったとしても、どんなに幸せな恋と結婚をしたとしても、死という別れが待っている。
旅もまた然り。
ロードムービーという言葉があって、旅の道行での出会いと別れを描いた映画の一群を指す。旅には常に出会いと別れがつきまとうから、旅自体が映画の素材になりやすい。
映画「銀河鉄道999」もまた、その一つと言っても良いだろう。
この映画の終わり、主人公の星野鉄郎とメーテルは、駅の歩廊でたたずみ、互いを見つめ合う。
二人が出会ってから、どれくらいの月日が流れたのだろう。二人は長い、長い星の旅をともにしてきた。今、その度も終わり、別れの時を迎えていた。
別れたくはない。叶うならば、このままずっと、同じ時を過ごしたい。
でも、その願いは叶わない。
限りある命を生きる鉄郎。
永遠の時を生きるメーテル。
二人は魅かれあいながら、しかし、このままずっと寄り添い続けることはできない。
それをわかっているから、二人は別れを受け入れた。
銀河鉄道が走り出す。メーテルを乗せて走り出す。
万感の思いを込めて、汽車が行く。
さらば鉄郎
さらばメーテル
さらば銀河鉄道999

日本のアニメ映画史上、最も美しい最終場面だろう。僕は「泣くな、はらちゃん」のはらちゃんと越前さんの別れの場面を見ながら、鉄郎とメーテルの別れを思い出していた。
「銀河鉄道999(スリーナイン、と読む)」は、正真正銘、松本零士の代表作だ。連載開始は昭和52年(1977年)、あの劇場版「宇宙戦艦ヤマト」が公開され、アニメ人気が燎原の火となって広がりを見せた時期だった。松本自身の人気も頂点を迎えようとしており、まさしく上昇気流に乗っていた。
掲載誌は少年画報社が発行していた週刊少年キング(※1)。廃刊となって、今はない。
キングでの連載は昭和57年(1982年)に終了した。物語はここで区切りをつけている。しかし、松本零士はこの作品を生涯の仕事とし、以後も断続的に新たな作品を発表し続けている。
だが、何と言ってもキング連載初期の挿話群こそ、「999」の真骨頂を示している。そこには松本零士の抒情性豊かな想像力が宝石のように結実した、素晴らしく詩的な世界が展開されている。今でも文庫で入手可能である。最初の1、2巻だけでも一読をお勧めする。永遠の名作と言ってよい。



この物語は、人類が宇宙全体の星々に進出した世界を背景にしている。星々は銀河鉄道で結ばれている。銀河鉄道999号に乗って旅をする鉄郎とメーテルが、行く先々の星で出会う人との事件が物語の中心となっていた。
それぞれの星には全く独自の文化と文明があり、だから起こる事件も星によって変わってくるのだった。
もう一つ、この物語の根幹に関わるのが「機械人間」の存在だ。意識を機械の身体に移植することによって、人類は永遠の命を手にいれられる世界なのだ。
ただし、機械の身体は非常に高額だ。だから、永遠の命を手にいれられる人間は、一部の特権階級だけになる。しかも機械の身体を手にいれた人間たちは、生身の身体の人間を下等な物、動物とみなして狩りをして楽しむのだ。
星野鉄郎は、機械伯爵の「人間狩り」で母親を殺された。原作では鉄郎は機械伯爵に復讐する挿話から始まっている。
鉄郎は機械人間と戦うために、力を欲した。力として、自らも機械人間になることを望んだ。だが、鉄郎には金がない。
ただ、噂があった。「銀河鉄道999号に乗れば、機械の身体をただでくれる星に連れて行ってくれる」と。怪しげな噂である。だが、その噂に鉄郎は賭けたかった。
ところが、その999号に乗るのにまた金が、非常に高額な金がいる。矛盾だ。機械の身体を買う金がないから999号に乗りたいのに、999号に乗る金がない。
これは仕掛けなのだ。強い意志を持つ人間を釣るための。
鉄郎の前に、謎の美女メーテルが現れる。常に黒い毛皮帽とマントをまとっている。
「私と一緒に999号に乗って、機械の身体をくれる星へ行きましょう」。
鉄郎に異論なぞあるはずもない。二人の旅は始まった。

時代背景について触れておこう。
昭和52年劇場用「宇宙戦艦ヤマト」が公開された。当時は世間に認知されていなかったアニメ映画でありながら、一般映画と互角に渡り合い、同年度興行収入9位、約9億円の成績を上げた。観客の熱意は社会的注目を集め、「アニメ人気」が初めて世間の目に届いた年だった。
また、同じ昭和52年は永井豪とダイナミックプロとの提携を終えた東映動画が、新たに松本零士と提携を開始した時期である。この年、「グレンダイザー」の後番組として松本零士原案の「惑星ロボダンガードA」が東映動画によって製作され、日曜午後7時からの時間帯で放送されている。

こうした機運と併せて、松本零士個人の人気も急速に高まる中(※2)、「銀河鉄道999」の原作連載が始まったのだ。松本の快進撃が始まったのは、だいたいこの時期だったと記憶している。
翌昭和53年(1978年)の春から、松本が強い思い入れをもって描いていた「宇宙海賊キャプテンハーロック」の東映動画によるTVアニメも放送開始となった(※3)。

そして、この年の夏、全国のアニメ愛好家を興奮の坩堝に落とした「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」が封切られ(※4)、興行収入約21億円、邦画としては「野生の証明」に続いて2位となった。
同年にはかの「スターウォーズ(第4話)」「未知との遭遇」も公開されており、この2作は一般社会を広く巻き込んで、公開に先立って1年ほども前から話題となっていた。だが、「さらば」はそんな人気大作に肉薄する勢いを見せたのだ。

まさしく昭和53年(1978年)は
SF人気急騰
アニメ人気急騰
松本零士人気急騰
と、3種類の人気急騰が同時発生して、社会からも注目され、それまで日陰者扱いだった文化の認知度が一気に高まった分岐点となる年だったのだ。
この流れの中で重要な点は、松本零士がSFにもアニメにも関わっていたということだ。松本は両者の接合点にいたため、より一層、彼に注目が集中する結果となった。
いや、むしろ松本の存在がSFとアニメの人気を加速したとも言える。確かに「スターウォーズ(第4話)」「未知との遭遇」という巨大な存在があったとはいえ、「ヤマト」がなかったら、果たしてSFは今ほど日本に定着していただろうか。アニメだってどうなっていたか。
翌年の昭和54年(1979年)には「機動戦士ガンダム」の放送が始まっている。
「ガンダム」にしても、その根底には「ヤマトを超えろ」という素朴な意気込みもあった。「ヤマト」を仮想敵を定めたからこそ、「ガンダム」があのような作品となれた、という見方すらできる。
昭和52年から54年にかけて、わずか3年の間に、あるいは「ヤマト」を軸にして、あるいは踏み台にして、アニメに関する様々な技術の習熟度が一気に加速を始めた。ことほどさように、「ヤマト」の存在は大きかったのだ。
これを考えると、ある意味でSF人気もアニメ人気も、松本零士が触媒になって生まれた強烈な社会的化学反応の結果だと言えるかもしれない(※5)。
しかし、私たち愛好家にとって幸いだったのは、日本のアニメ業界が個性的な多士済々に恵まれ、かつ業界の核となりうるアニメ製作会社が少なくなかったことである(※6)。確かに松本零士は触媒として重要な働きを演じたが、その存在に刺激を受けた多くの才能が、連鎖して爆発的な化学反応を起こしたことが、その後の日本のアニメ界の深化をもたらしたのだと思う。
その結果、日本のアニメの表現の幅は急速に拡大した。どのような物語を題材にするか、その選択の幅も同様だった。「名作劇場」から成人向けアニメまで、他国では考えられないような広がりを見せた。子供向けのディズニー作品が主体であったと思われる当時の米国に比べて、その差は歴然だった。

話を戻そう。
そんな昭和53年の秋、TVアニメ「銀河鉄道999」が始まった。製作はやはり東映動画である。人物造形には荒木伸吾と湖川滋(友謙)、作画監修は湖川滋(友謙)と小松原一男が関わっている(※7)。
ウィキペディア銀河鉄道999
小松原一男の思い入れが強く込められた「ハーロック」とは異なり、「999」では万人に受け入れやすい人物造形がなされていた(※8)。
また、基本的に「ハーロック」が宇宙人(マゾーン)とハーロックの戦いが物語の基本構造であり、また原作の掲載誌が秋田書店の「プレイコミック」という青年向け雑誌だったことから、TVアニメの「ハーロック」の人気は限定的にとどまった。視聴率も1桁台だったという(※9)
だが、星々を巡る物語にしたことで、寓話的なものにも、童話的なものにも、もちろん戦闘を主体としたものにも物語を変えることができる様式の「999」は、より万人向けの内容になりえた。
懐かしい蒸気機関車が銀河鉄道として宇宙空間を走るという設定は、宮澤賢治著「銀河鉄道の夜」から得た着想であることは言うまでもない。
広く知られた宮澤賢治の童話の魅力、そして、銀河鉄道という発想そのものの魅力。
これらは「SF」という単語すら知らない人々にも、この物語を受け入れさせる扉となったことだろう。
メーテルという松本零士描く女性美の集大成ともいえる存在も大きかった。男臭い物語よりも、女性の美しさを描くことに成功した物語の方が、社会的には人気を得るものだ。
TVアニメ「銀河鉄道999」は、放送された時期も絶妙であると同時に、その構成も大衆的な人気を得やすかったこともあり、TV番組として成功した。アニメ番組としては十分な視聴率を得たようで、放送は2年半にわたった。今にして思えば意外と短い年数にも思われるが。

こうして旅立った銀河鉄道999号は、翌年の昭和54年(1979年)、原作の完結を待たずに劇場版にて終着駅に到着するのであった。

この稿、続く。

※1)週刊「少年キング」は、ジャンプ、サンデー、マガジン、チャンピオンと並んでかつて5大少年週刊誌と称された。が、恐らくジャンプ・サンデー・マガジンのつばぜり合いから弾き飛ばされたチャンピオンの更に後塵を拝していた存在であった。「キング」といえば、望月三起也著「ワイルド7」とこの「銀河鉄道999」以外、これといった作品が思い浮かばない。僕なら聖悠紀著「超人ロック」も挙げることができるが、これくらい。だから、休刊になった。「999」人気絶頂の頃は「999号のパスをプレゼント!!」などの販促も行われていたが、肝心の漫画の方は、けっこう休載になることが多く、編集部も大変だったらしい。松本零士が元々、手塚治虫と並んで遅筆であったこと、劇場アニメの製作中は漫画よりも映画に没頭したことも原因らしい。


※2)当然ながら、彼の少年漫画のみならず性描写の場面もふんだんに盛り込まれた青年向け漫画「ガンフロンティア」や「元祖大四畳半大物語」まで一気に子供たちに読まれることになってしまった。もちろん、僕も読んだ。親は秘かに心配していたことだろう。当時は本宮ひろしの「俺の空」第一作目も人気を博しており、小学生のクソガキどもも血眼になって読み漁っていた。



※3)当時は再現が難しいと思われていた松本の強弱の強い描線を、小松原一男が当時のTVアニメとしては最高の質で描いていた。番組の予告編をみた時、僕は「すげえ、原作のマンマや!!」とうなったものだった。
※4)公開に先がけてアニメ専門の月刊誌「アニメージュ」が創刊された。表紙は銀の描線のみで描かれた宇宙戦艦ヤマトの画であり、多少立体的に見えるように特殊印刷された意欲的なものだった。この創刊号ではいきなり「太陽の王子ホルスの大冒険」が回顧特集されており、この時点から既に宮崎駿との深い関連を伺わせる。
アニメージュ創刊号を紹介したHP

※5)「ヤマト」が西崎の作品か、松本の作品かという問題は裁判となり、傍目にも泥仕合と感じられた。愛好家の視線からすれば「そんなもん、二人で作ったもんだろが」である。ある意味、「ヤマト」も「才能の衝突」の産物であったともいえる。また、松本零士は確かに導き手の役割を果たしたと思うが、彼以外の多くの素晴らしい才能たちの存在なくして、SFもアニメの習熟と定着はありえなかった。
※6)TVアニメの黎明期は個人規模(タツノコプロはその代表格)でも参入できた。手塚治虫によって「鉄腕アトム」の1本当たりの製作予算が不当に低く設定されるという前例ができてしまったため、TV局と広告代理店もTVアニメを発注しやすかったことも影響しているのだろう。弊害として、当然のことながら現場の労働条件が恵まれなかった。
※7)グレンダイザーに触れた折、荒木と小松原は以後、共同作業は行っていないと書いてしまったが、していました。ごめんなさい。ただし、同時期には関わることはなかったので、厳密にはやはり共同作業にはなっていないのだが。
※8)TV版のメーテルや鉄郎の基本的な造形を行ったのは、荒木伸吾でよいのだろう。彼は第一話の作画監督を務めているが、どういう事情か降板して湖川に後を引き継いでいる。また、第一話の製作者紹介の中に彼の名前の記載はないという。
以下の質問欄も参照されるとよいだろう。
http://okwave.jp/qa/q3865042.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1345079348
荒木メーテルと湖川メーテルの違いがよくわかるHP

※9)アニメージュでも当時、「ハーロック」について「人気はありそうなのに、なぜか視聴率10%未満」なんていう記事を組んだりしていた。ちなみに「(ハーロックの製作者紹介の中に)金大中氏の名前が出ているのをご存知ですか?」なんていう韓国への外注作業を紹介する記事もあったな。通常、当時の日本で金大中(キム・デジュン)氏と言えば、韓国の民主化運動に関わったために、昭和48年(1973年)東京在住中にも関わらず、韓国諜報情報部(KCIA)に拉致されちゃった政治家として有名であった。日本の首都で発生した、他国の諜報機関による拉致事件であり、政治家の拉致事件であり、日本の国家主権にも関わる事件でもあったりした。後に民主化なった韓国で第15大大統領に選ばれている。ま、そんな政治的な基礎知識を要求するはずの記事が、さりげなく載ったりする時代でもあったわけである。
ウィキペディア:金大中
ウィキペディア:金大中事件
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