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東映動画の空前絶後の仕掛け

本年7月9日、広く公示されたように、福島第一原発の「社災」事故対応に追われた吉田昌郎さんが58歳という若さで永眠されました。
心より、お悔やみ申し上げます。



映画「銀河鉄道999」にはいくつもの仕掛けが施された。
仕掛けは大成功し、当時の中学高校世代の興味と興奮を誘った。
まさしく東映の目論見の通りであり、これほどの成功は以後、得られなかったほどだった。

第一の仕掛けは主人公、星野鉄郎の年齢変更だった。当初から予定されていたそうだが、原作とTVでは10歳だった鉄郎の年齢設定を、15歳に引きあげたのだ。
つまり、映画の対象年齢を、小学生中心(家族向け)から中学高校生へ変えたのだ。
時代はアニメ人気急騰を迎えていた。機械や人物の設定表やセル画は、それまでは何の商品価値もないと思われていた。ところが、アニメ人気とともに設定表を、セル画を所有したいという需要が芽生え、これを商品化しても採算が取れた。新たな市場が生まれたわけである(※0)。
アニメ雑誌も次々と創刊され、ムック本もまた次々と出版された。


音楽の立場もすっかり変わった。それまでは子供が対象だった。主題歌のシングル盤の売り上げを伸ばすことが目標だった。それが劇判音楽も含めて「鑑賞する」時代がきた。それに併せてモノラル録音からステレオ録音に切り替えられた。
これらの商品にお金を注いでくれるのは、小学生たちの親ではダメだった。当時の親にはそれらの商品に何の価値があるかすらも理解できなかったことだろう。
だから、市場の中心になったのは、アニメ愛好家であり、主体的に小遣い貢いでくれる中学高校生だった。
-彼らが劇場にきたいと思わせることができれば、この映画はきっと高い興行収益を上げることができるだろう。
社外の人間に一大事業の監督を任せるような今田社長のことだ。それくらいのことは計算していたことだろう。
いや、それだけではなかったかもしれない。10歳の少年では無理があるが、15歳の少年にならできることがある。
恋愛だ。
15歳の少年なら恋心を描くこともできる。観る側だって、恋をしたいお年頃だ。
活劇だって、15歳の方がもっと格好よく描ける。

何かの記事で読んだことがある。
たぶん東京だろうが、某所でこの映画の予告編が初めて公開された会場の様子について触れていた。15歳の鉄郎が画面に登場した時、場内には驚きの声があがったという(※1)。
この変更は観客からも歓迎された。僕もそうだった。今でも映画の鉄郎の方が好きだ。

第二の仕掛けは原作とTVに先がけて、メーテルの人間関係や999の終着駅の現実について明らかにしたことだった。これらは原作とTVでは謎、物語の終盤までの秘密とされていた。
逆に現在なら、例えば最初から3部作として企画し、最終作まで秘密は伏せたままにして観客の興味を引っ張ることだろう。映画自体がTV化している時代だからだ。
だが、昭和54年公開のこの映画は、出し惜しみをしなかった。
メーテルが機械化人間の女王プロメシュームの一人娘であることや、999の終着駅が機械化人たちの本拠地・機械化母星メーテルであること、メーテルの本心と目的などが、映画の終盤で一気に畳みかけて明らかにされていった。
その潔いほどの語り口は、劇場に足を運んだ観客を魅了し、話題になり、映画の評判も高め、新たにあるいは再び劇場に人を呼んだのだった。
今となっては「話をつめこみすぎ」という評価もあるようだが、僕はそんなことは一切、感じなかった。

第三の仕掛けは、TV、いいや原作ですら実現できなかった、松本零士世界の重鎮たちを映画の中で共演させたことだった。メーテルと鉄郎を中心に、松本零士の主要人物であるキャプテン・ハーロック、クイーン・エメラルダス、大山トチローらが次々と銀幕に姿を現したのだった。
松本零士人気が頂点に達していた頃、愛好家たちは、松本零士が同じ登場人物を様々な作品に登場させて、併行世界の物語群を形成していることを知った。中でもハーロックやエメラルダスは重鎮であったが、実際に共演することはマンガの中でもほとんどなかったと思う。
僕はかなり早い時期に大山トチローの存在を「ガンフロンティア」で知ったが、ド近眼で眼鏡をかけ、背が低い上に胴長短足という日本人の劣等感を具現化したような容姿であった。だが、居合の達人であり、銃の使い手である相棒のハーロックとともに、19世紀の西部を放浪するという物語だった。
松本の代表作の一つである「男おいどん」の主人公、大山昇太や「元祖大四畳半大物語」の主人公、足立太と同じく、松本零士の分身系なのだ。
トチローは、松本にとっても感情移入しやすく、物語でも動かしやすかったのか、次第に「ハーロックの無二の親友」という立場になった。松本にとっては登場人物は皆、彼の個人的精神的友人なのである。大山トチローを介して、更にその愛情と絆を深めたかったのだろう。
もう一度述べるが、こうした主要な人物たちは、TVはもちろんのこと、マンガ作品の中でも正面切って共演することはなかった。
というよりも当時はできなかった。版権の問題があったから。
「銀河鉄道999」は少年画報社に
「宇宙海賊キャプテンハーロック」は秋田書店に
「クイーンエメラルダス」は講談社に
それぞれ版権があった。TVは仕方がないにしても、原作でも意外としがらみがあって、堂々と共演することはなかったのである。
その「じらされた」結果、銀幕での彼らの共演は、当時の松本零士愛好家たちにはたまらなかった。もちろん、当時の僕も感激したものだった。
最後の戦いでは東映のヤクザ路線もかくやと言わんばかりに、鉄郎の危機を救うため、巨大な戦力が待ち受ける機械化母星メーテルに、「負けるとわかっていても、戦わねばならない時がある。鉄郎はそれを知っていた」と名台詞をはいて、ハーロックのアルカディア号とエメラルダス号が揃い踏みで殴り込みをかけるのである。
しびれたよね。



細かな仕掛けとしては、999号の車番にまつわるお話もあった。999号の原型となった蒸気機関車はC62型というもので、原作では実在したC62-48の車番票が使用されていた。しかし、種々の事情からTV版ではC62-50という架空の車番が使用されていたのだが、映画では原作と同じC62-48になりました、めでたしめでたし、という記事があったりもした。
C62-48の車番票
TVと劇場の違いを紹介しています

また、この映画の撮影のため(と称して?)新しい撮影カメラかレンズが採用されたようで、発色だったか色彩がとてもきれいに表現できるようになったというベタ記事もパンフレットか何かで読んだと記憶している(※2)。

さて、最後の仕掛けは主題歌に施された。対世間的には最高の仕掛けだったと思う。
これがなければ、恐らく映画の評判・興行成績は地味に終わっていたことだろう。
その仕掛けとは、主題歌に、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いであったGODEIGO(ゴダイゴ)を起用したことだ。

(続く)

※0)この稿の登録作業中に「リレイズセル」という商品が存在することをたった今、知った。「銀河鉄道物語」関連商品が2~3万円の高額で販売されていた。
正直、びっくりした。
※1)こうした催事に地方の人間は当然ながら無縁だった。地方都市に住んでいた僕は、こういう記事を読まされると嫉妬と羨望を感じたものだ。
首都圏は自己完結でも十分に採算が取れる。だから、首都圏だけを対象とした催事のことでも平気で全国放送で宣伝する。ウィキペディアによれば首都圏人口は3400~3700万人。世界最大ということだ。日本の人口の約25%に相当する。あとの75%を無視しても物事が成り立つと考えている。そこら辺の傲慢さは今でも鼻につくことがある。
※2)時々、東映動画はさりげなく「撮影部門」の自己主張を行っている。例えば東映まんが祭の「グレンダイザー・ゲッターロボG・グレートマジンガー決戦! 大海獣」でも、予告編で「特殊撮影をいっぱいしています♪」と自己主張している。
意外と、撮影部門(裏方さん)の力が、押し出しが強いのである。
でも、僕はこういうこだわり、好きだな♪
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